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2-4 御影と星乃と小さな小鳥

 小百合、泰菜と別れた御影は迷いの無い足取りで母屋を更に奥へと進んだ。


 中庭は母屋の中でもかなり奥まった所にあることもあり、榊の手入れにやってくる巫女達以外にはあまり訪れる者もいない場所だ。


 広い中庭には、微かな甘い香りが漂う。初夏の榊が小さな白い花を付けて御影を出迎えていた。


 「ーー良い香り。心が落ち着く香りって、きっとこういうのを言うのね」


 榊の木々は御影の背丈と同程度の高さで揃えられ、それらが等間隔でこの広い中庭一帯に植えられている。その数およそ百本。


 「さてと、手早く済ませないといけないわね」


 小百合に教えられてきた事を反芻しつつ、御影は木々を見ていく。


 「ーー病気無し。虫害も大丈夫そうね」


 決して少なくはない本数を一人でさばくのは楽では無いが、小百合を送り出した手前、ここは作業を完遂しなければならない。


 御影はてきぱきと榊の木々の健康状態を確認していく。


 「ーーあ、葉に黒い(かび)が……。確かすす病よね……。薬剤はっと……」


 「ーーこっちは虫が葉で巣を作ってしまっているわね……。この葉は採っておかないと……」


 そうして次々に木々を診ていけば、榊の木の健康診断もあっという間に残り僅かという所まで来ていた。


 ーーそんな中。


 「ーーあら?」


 小さな鳥の鳴き声の様だった。


 何処かか細い様なそれの出所を求めて、御影はたった今まで診ていた榊の木から視線を外す。


 「確かあっちの方……」


 そう呟きつつ御影は前方ーーこれから診る予定の榊の木々が立ち並ぶ先へと歩を進める。


 (ーーえ? あれって……)


 榊の木を十数本通り過ぎた辺り、他のものよりも幾分か立派な榊の下に、何やらうずくまる様な人影が見えた。


 流れる様な艶やかな黒髪。間違える筈も無い、この斎宮殿の主、斎宮ーー星乃の姿であった。


 「ーー斎宮殿下!? どうされました!? 何処かお加減でも悪いのですか!?」


 慌てて星乃の元へと駆け付けた御影に、当の星乃は突然話し掛けられた事に驚いたのかきょとんとしていた。


 「ーーえ、御影……?」


 「斎宮殿下が地面にうずくまっていらっしゃるのを偶然見掛けたので、どうしたものかと駆けて来たのですが……」


 心配そうな御影に、合点が言ったらしい星乃が「あぁ……」と小さく呟く。


 「ーーすみません、心配を掛けてしまった様ですね。わたくしはこの通り何ともありませんよ」


 「そうでしたか、良かった……」


 心底ほっとした様な御影に、星乃は何を思ったのか少し顔を背けた。そして、「ただ……」と何処か悲しげに手元に視線を向ける。


 つられる様に御影も視線を星乃の手元に向けた。


 そこには柔らかな灰色の羽毛の小鳥がぐったりとした様子で横たわっていた。


 「ーー猫か何かに襲われたのか、この榊の根本でぐったりしていたのです」


 御影の中で得心がいった。先程の鳴き声はこの子のものかもしれない。


 「少し見せて頂けますか?」


 御影はそう言うと、小鳥の翼や足の状態を確認する。


 「ーーヒヨドリですね。少し翼を痛めている様ですが、他には特に怪我なども無い様です」


 「そうですか、良かった……」


 御影は着物の(たもと)から手ぬぐいを取り出すと、一部を裂いた。そうして星乃に一言断りを入れると、傷付いたヒヨドリの翼に優しく手ぬぐいを巻いてやる。


 「これで暫く安静にしていれば、また元気に飛べる様になるでしょう。ヒヨドリは果物が好きですから、みかんや桃など喜ぶと思います。あとは青菜や虫ですね」


 つらつらとヒヨドリの育成論を述べる御影をまじまじと見詰めたあと、星乃は微かに頬を紅く染めた。


 「ーー御影は何でも知っているのですね。強くて、賢くて、とても優しい……。わたくし、御影の様に素晴らしい女性を他に知りません」


 星乃からの惜しげ無い賛辞に、御影はあわあわと頭を振った。


 「ーーそ、そんな……っ。 勿体無いお言葉にございます……」


 「その様に謙遜する事はありません。ここのところ、御影とは中々話す機会が取れませんでしたが、今日はこうして御影と話す事が出来て良かった……。


 このヒヨドリはわたくしが責任を持って面倒を見ます。良いですか、御影?」


 「ーーは、はい……。きっとヒヨドリも喜ぶと思います」


 御影の返答に、星乃は花の様な笑顔を浮かべた。


 その柔らかな微笑に、御影の脳裏にこの中庭に来る直前に耳にした郡司二人の会話が(よぎ)る。


 「ーー斎宮殿下。先程、当代の斎宮は神事だけでなく政治にも積極的に関わられているとお聞きしました」


 考えるよりも先に言葉が口を()いて出ていた。


 「この御影、とても感銘を受けました」


 一介の巫女が斎宮に弁を述べるなど分不相応だとは思ったが、幼いながらに大きな責務を全うしようとする星乃に、御影はありったけの称賛を贈りたかった。


 御影の言葉を受け、当の星乃はぽかんとした顔をするも、すぐに俯いてしまう。


 気に障ってしまったかと一瞬焦った御影だったが、それは思い過ごしだった様だ。


 次に顔を上げた斎宮は先程までと変わらない花の様な微笑みを浮かべていた。


 「ーー有り難う、御影。そう言って頂けるとわたくしも自信が持てます。御影の言った通り、斎宮として九陰の政治にも及ばずながら参加していますが、中々難しくて……」


 「殿下……」


 「九陰の全ての民の望みに沿うことは出来ないですし、わたくしが関わる様になったことで変わった事も多く、それを良く思わない者達も多いことでしょう」


 淡々と語る星乃は自分の置かれた立場、周りからの評を的確に理解している様だった。


 そんな星乃に掛ける言葉を見付けられずにいる御影に、当の星乃が微笑む。


 「ーーそういえば、御影。此処での生活に何か不便などはありませんか?」


 「ふ、不便だなんて……っ。十分過ぎる位です」


 「ふふふ、御影は謙虚ですね。ですが、何かあれば遠慮なく言って下さいね」


 嬉しそうに言う星乃は本当に御影に良くしてくれる。貴族出身でもない御影には些か申し訳なく思ってしまう程に。


 御影は少し考えた後で、一瞬迷った後に口を開いた。


 「ーーこの斎宮殿に来るまでに九陰の村々を見てきました。斎宮殿のあるこの喜瀬に比べてあまりにも怪異への備え方が脆弱で……。


 あの村々にも堅牢な壁を造るとか、怪異に対処出来る人間を配置するとか……もう少し何か出来れば良いのにと……」


 そこまで言って御影は深く頭を下げる。


 「出過ぎた言葉、申し訳ございません……。ですが、九陰の多くの村々が日々を怪異に怯えながら暮らしています。どうかご一考を……」


 御影の偽らざる本心だった。御影が助けた村の人々も今回は偶然御影が助けに入ったから助かっただけで、あんな事が次も起こるとは限らない。怪異の驚異はそれだけ身近なものだ。


 「お顔を上げて下さい、御影。九陰の民のこと、そんなにも考えてくれて、本当に有り難う……」


 「斎宮殿下……」


 「御影の言葉、わたくしの心にも深く響きました。きっとすぐには難しいでしょうけれど、きっと何とかしてみせます」


 「はいっ。斎宮殿下ならば、きっと出来ます」


 微笑む星乃に釣られる様に、御影も笑顔を浮かべる。


 そんな中ーーざりっと地を踏み締める足音が二人の耳に入った。


 「ーー殿下、こんな場所にいらしたんですか」


 背後から掛けられた言葉に御影と星乃が視線を向ける。


 「幸路(ゆきみち)に松江……」


 「随分と探しましたよ」


 現れたのは深緑の狩衣を纏った長身の男。そしてその隣には御影の上役でもある巫女頭の松江の姿もあった。


 銀灰色の髪をした男は、髪と同色の瞳に訝しげな色を浮かべるとそれを星乃の横に立つ御影へと向ける。


 「そちらは?」


 男ーー幸路の問いに御影が口を開くよりも早く、松江が答える。


 「その者は新しく入った上位巫女の御影ですよ」


 松江の言葉に幸路は「あぁ……」と何か納得した表情を浮かべるも、その次には険しい眼差しを御影へと向けている。


 「ーー良いですか、御影殿。上位巫女といえど一介の巫女。立場は弁える様に」


 「は、はいっ。申し訳ございません……」


 「幸路、その様な事を言わないで下さい。この御影はわたくしの事を心配してわざわざ声を掛けて下さったのですから……」


 「し、しかし……」


 当の斎宮によって諌められ困惑する幸路をよそに、松江が星乃の手元に目を止める。


 「殿下、その手の中の物は何です?」


 「ーーあぁ、いけない。この子を早く休ませてあげなければ」


 そう言うと星乃は手の中の灰色の毛玉を愛しげに撫でると、御影に向かってはにかむ様な笑みを向ける。


 「ーー御影、今日は本当に有り難う。また何かあれば宜しくお願い致しますね。


 さぁ、幸路も松江も何時までも此処にいては御影の邪魔になってしまいます。わたくし達は戻るとしましょう」


 星乃はそう言うと、二人を引き連れてその場を去っていった。


 残された御影は暫く呆然と立ち尽くした後、我に返った様に榊の木々の確認作業に戻るのだった。

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