5-8 斎宮殿の戦い(三)
アージェントの策により無事に儀礼殿への侵入が叶った朝陽と御影。
儀礼殿の外側にはあれだけ郡兵がいたというのに、中には逆に誰もいない。
「ーー儀式の為に邪魔な人間は儀礼殿に置きたくなかったんだろうよ」
「……」
表の間を抜け、奥の間へと続く渡殿を駆ける。
やがて辿り着いた奥の間。
広々とした空間に石造りの舞台がある。
斎宮が祈りを捧げる為の祭壇であるそれーーこれもまた儀礼殿と同様に御影達が以前の九陰巡礼の最中に見てきた物よりも数段豪華で荘厳なものだった。
「誰もいないな」
「どういうことでしょうか」
てっきり奥の間まで来れば皇達がいるものとばかり思っていた。
しかし、実際決死の覚悟で飛び込んでみればそこには目当ての人物はいないときた。
「どういうことだ……?」
御影の言葉のおうむ返しの様に朝陽が呟いていた時だった。
「ーー朝陽様、これを……っ!!」
石造りの舞台の床を調べていた御影が張り詰めた声を飛ばす。
御影の元に朝陽が駆け寄ると、すぐにその緊張した面持ちの理由が分かった。
「これは……」
床の一部が剥がされている。
暗いため先まではよく見えないものの、どうやら地下へと伸びる階段の様だった。
「ーー行こう、御影ちゃん」
「はい」
この先に皇達がいる。
確信を胸に朝陽と御影は地下へと足を踏み出した。
*****
地下へと続く階段には異様な気配が満ちていた。
おそらく瘴気ではないーーけれども全身に感じるピリピリとした感覚と、胸に沸き上がる不安と胸騒ぎに足が酷く重くなる。
御影の顎を冷たい汗が伝う。
気を抜けば全身を苛む威圧感の様な何かに負けそうになる。
御影の肩に止まるヒヨ助も先程から小さく震えながら縮こまっている。
(ーーやっぱりヒヨ助は無理にでも上に残してくるべきだったわね……)
そうは言っても今更どうにもなるものでもないのだが。
御影と前を行く朝陽の間にも最早会話は無い。進むだけで精一杯なのだ。
この先にいるものは怪異などという低俗なものではない。それを改めて実感させられた。
(ーー前に、進むのよ)
(ーー月灯様の為に)
(ーーアシハラの、皆の為に)
前を行く朝陽も御影と同じ気持ちの筈だ。
心を奮い立たせながら、御影は一歩一歩と歩みを進めた。
そうして気が遠くなる様な感覚に耐えながら階段を下りきった御影と朝陽はそこで信じられないものをみた。
まず、その広さである。
地下空間の広さはそれだけで斎宮殿全体を優に越えるものだった。
更に驚くべき事にその地下空間の面積の殆どは中央に空いた大穴が占めている。
その大穴の周囲には木杭が打たれ、木杭と木杭とを注連縄が幾重にも巻かれていた。
その大穴が何なのか。最早考えるまでも無い。
「ーー龍神の封印、か」
場に満ちる重たい空気に耐えながら朝陽が呟いた。
そう、この大穴の下からは今も御影や朝陽を威圧する様な重く胸を締め付けられる様な気配が吹き出している。
御影としても立っているのがやっとである。
(ーーでも、そんな事は言っていられないわ)
そうして御影が辺りに注意を向けた時だった。
木杭の上に備え付けられた燭台の仄かな灯が照らす中ーー姿を現したのは金糸銀糸が縫い止められた紫紺の狩衣の男。
「ーー来たか。四乃から遠路遙々ご苦労な事だ」
当代皇、葦原天谷であった。
「叔父上……」
朝陽が眼差しを険しくする中、御影は皇の後方ーー金髪の女に引きずられる小柄な人影に思わず悲鳴を上げた。
「ーー月灯様っ!!」
白装束に着替えさせられたその姿は紛れもなく月灯で、少年もまた御影や朝陽と同様にこの場の空気に充てられているのか酷く青い顔をしていた。
御影と目が合った月灯は何かを言おうとし、しかし結局は何も言わぬまま俯いてしまう。
それは情けない自分に対する口惜しさからかもしれないし、もっと別の理由からかもしれなかった。
すぐにでも月灯の元へ駆け出して行きたい気持ちを何とか堪えた御影の横で、朝陽が眼前の叔父に向かって吐き捨てる様に言う。
「ーー随分涼しそうな顔をしてるじゃないか。とうとうそこの妖狐に魂まで差し出したって訳かよ?」
「それなら何だと言うのだ。利用出来るのであれば何であろうと利用する。そういうものだろう」
つまらなそうに返す皇に、朝陽の額に青筋が浮かぶ。
「ーー父上を殺してまで、皇の座が欲しかったのかよ」
朝陽が口にした言葉に月灯が息を飲んだのが離れた場所にいる御影にも分かった。
朝陽の発言はカマをかけるという面が大きいものだ。
しかしーー。
「あぁ、欲しかったとも。しかし諦めていた。あの人は兄であり、周りの人間達も兄しか見ていなかった。
しかしある時、私の目の前にこの者が現れた。私は悟ったのだ。天が私を求めているのだと、な」
「叔父上、いい加減目を覚ませよ……っ!! その妖狐がアシハラの守護神なんかに収まる訳がないだろうが……っ!!」
「世迷い言です。わたくしの心は常に陛下と共にありますれば」
頭を下げる金華を一瞥した皇は右手を掲げると厳かに告げた。
「ーーこれより龍神解放の儀を執り行う」
月灯の腕を掴む金華の手に力が籠り、そのあまりの強さに月灯が思わず呻いた。
金華の紅い目が隠し様の無い歓喜に爛々と輝いている。
大穴を取り囲む様な燭台の灯ーー仄かな橙色だったそれが禍々しい紫に変わる。
場に満ちる異様な気配に朝陽と御影の間に緊張が走る。
「ーーさぁ、斎宮殿下。お務めを果たされる時ですよ」
笑みを浮かべながら金華が月灯を奥へと引きずって行こうとするのを見、御影の中に怒りが沸き上がる。
「ーー月灯様を離しなさい……っ!!」
駆け出した御影に朝陽も続く。
しかしーー。
「ーーあぁっ!!」
「御影ちゃん……っ!!」
御影達を阻む様に間に立った皇によって御影が弾き飛ばされる。
危うく大穴に落下する所だった御影を朝陽が寸前で防ぐが、その額にも大粒の汗が浮かんでいた。
「ーー弱いな」
「そっちが反則なだけだろうが」
思った様に動けない自分への苛立ちを口調に滲ませる朝陽だが、そんな朝陽達をよそに儀式はついにその時を迎えようとしていた。
金華が月灯を引きずりながら大穴の中央に向かって突き出した橋を渡っていく。
「そんな、月灯様……」
その光景に御影が絶望の眼差しを向けた、その時ーー。
次の瞬間、眼前で起きた出来事に御影は言葉を失った。
ヒヨ助である。
御影の肩に何とか付いていた状態のヒヨ助が御影の肩から離れ、今までに見たことの無いような速さで皇の脇を飛び、そのまま月灯の手を掴んでいた金華の腕に特攻していったのだ。
「ーーっ!?」
驚くべき事に金華はヒヨ助によって月灯の手を離した。
更に驚くべきは此処からである。
その場で尻餅を着いた月灯の肩に止まったヒヨ助はまるで頬擦りをするかの様に月灯の頬に身体を擦り付けると、「ヒヨ」と小さく鳴いた。
何処か哀しげな鳴き声を響かせた後、ヒヨ助はすぐに再び空中に舞い上がると今度は急降下していった。
大穴の中に、である。
*****
「ーーヒ、ヒヨ助……っ」
「どうなってんだ、くそ……っ」
「何だ……?」
御影、朝陽、皇が眼前で起こった出来事に呆気に取られる中ーー橋の上、間近で今の出来事を目にしていた月灯と金華には前者の三人とはまた別の物が見えていた。
月灯の耳元で小さく囁いたヒヨ助の鳴き声は只の鳴き声である筈なのに、その時の月灯には確かに「今まで有り難う」と聞こえた。
更に月灯の元から飛び立ったヒヨ助が大穴へと飛び込んで行った際、その姿は古風な麻の服に身を包んだ黒髪の乙女の姿をしていたのだ。
月灯が混乱する思考を落ち着けようとしていた時、月灯の横で同じ様に眼前の出来事を見ていた金華が一拍の後に忌々しげに呟いた。
「ーーおのれ、斎か」
次の瞬間、大穴から光の奔流が立ち上った。
更新遅くなってすみません。明日はまた21時過ぎに更新出来ると思います。




