2-2 斎宮殿の巫女姫
九陰において人が暮らせる場所はそう多くない。
日々何百という怪異が生まれ落ちるこの九陰では、国としても土地の全てを守る事は出来ず、ある程度場所を絞る必要があった。
当然そうなると、国が重点的に守りを固くするのは、金鉱や油田などアシハラの生命線となる場所である。
安全な場所に人が集まるのは当然の事であり、九陰最大の油田と金鉱を有する喜瀬は九陰最大の都市でもあった。
そして、アシハラの民の為に祈りを捧げる巫女姫であると同時に、九陰の郡領も兼ねる斎宮の屋敷である斎宮殿もこの喜瀬にあるのだった。
「ーーなんて綺麗なの……」
眼前に広がる光景に、御影は思わず呟いた。
溜め息が出るほど広大な敷地内に、赤・白・金を基調とした寝殿造りの巨大な屋敷。
敷地の南には白砂が敷き詰められた優美な庭が広がり、訪問者を出迎える。
北・西・東にはそれぞれ対屋があり、敷地の中央に建てられた取り分け豪奢な母屋と渡殿で結ばれていた。
この母屋に斎宮がいるという事だろう。
みっともないとは思いつつも、好奇心から辺りを見回す事を止められない御影の元に、しずしずと歩み寄る人影があった。
歩み寄る人影に、これまで御影に帯同して来た者達が数歩下がった。
「ーー四乃の御影殿ですね。よくぞ此処まで来てくださいました」
そういったのは蜂蜜色の髪をした中年女性だった。
白い小袖に濃紺の袴、その上に色取り取りの袿を何枚も羽織った雅な装いから、女性がこの斎宮殿でも位の高い人物であることが窺えた。
(ーーあら? この人、何処かで会ったかしら……?)
何か既視感の様なものを感じる御影をよそに、女性が名乗る。
「私はこちらで巫女頭をさせて頂いております、松江と申します。本日より上位巫女となる貴女の上役でもありますので、よく覚えておく様に……」
「承知いたしました。宜しく御願い致します、松江様」
斎宮殿で自分がどういった立場になるのかも全く知らなかった御影だが、内心で思案した。
(ーー上位巫女ということは、それなりに高い身分なのかしら。下女くらいの立場になると思っていたけれど……)
通常、貴人の身の回りの世話などは、それなりに身分の高い貴族出身の人間がするものだ。平民である御影がそういった事を任されるのは完全に想定外であった。
「ーーでは御影、こちらへ……。先ずは装束を着替えなさい。しかるのち、斎宮へ拝謁を賜ります」
「はい、松江様」
松江に連れられ、御影は西の対屋に入った。
(広いわ……。この建物だけで、うちの里がすっぽり入ってしまいそうね……)
「この西の対屋は主に巫女達が寝起きをする場所になります。上位巫女は個人の室も与えられますから、貴女もその様に」
(ーー個人の室まで!?)
想像以上の厚待遇に御影は目を丸くする。
そうこうする内に目的地に着いたらしい。
松江が障子の戸を開ける。そこにあったのは真新しい畳の敷かれた十二畳程の室だった。
「今日からこちらが貴女の室になります。自由に使いなさい」
布団の一式から始まり、桐箪笥、文机、行灯等々……生活に必要な物は一通り揃っていそうだ。壁には何やら掛け軸まで掛けられている。
(ーー実家の自室よりずっと立派だわ……)
しかし、何よりも御影の目を引いたのは室の中央の御衣掛けに掛けられた見事な袿の数々だった。
「ーー全て貴女の装束ですよ。早速着替えてしまいましょうか」
言うや否や、松江は手を叩いた。すると外に控えていたらしい質素な装いの娘達が入室してくる。
流れる様に御影の両脇に控えた娘達は、「失礼致します」と一言声を掛けると、慣れた手付きで御影の服を脱がし始める。
そのまま、あれよあれよという間に装束の着付けが完了した。
松江と同じく白い小袖に濃紺の袴。その上に色取り取りの袿を何枚も羽織る。一番上に重ねた袿は見事な山吹色だった。
ちなみに、この装いに御影の普段の髪型は合わないという事で、藤色の髪はそのまま下ろされている。
(ーーこれは確かに一人で着付けするのはかなり難しいわね……)
姫君の様な装いにときめきを覚える反面、着るのも動くのも一苦労な装束に御影は心の中で溜め息をついた。
「ーーでは、母屋に向かいましょう。斎宮がお待ちです」
「はい」
いよいよ、御影を呼び寄せた巫女姫との対面である。
*****
斎宮殿、母屋の大広間。最早畳何枚分とも知れない広々とした室。
金箔をふんだんにあしらった襖と屏風に囲まれた室は怖いほど煌びやかで、こういった場所に馴染みの無い御影は若干気後れしてしまう。
床の間に飾られている宝石の木など、まるで竹取物語に登場する「蓬莱の玉の枝」の様だ。
(ーー住む世界が違うって、こういう事を言うのね……)
御影が心中で呟いた時、斜め前に座っていた松江が流れる様な動作で平伏する。
御影もすぐさま松江に続いた。
(ーお出ましね)
衣擦れの音と共にしずしずと入室してくる気配。やがて、気配は一段高く作られた上座で落ち着いた。
「ーーお顔を上げて下さい」
鈴を転がす様な可憐な声音に、御影は顔を上げた。
そこにいたのは天女もかくやという儚く可憐な姫君だった。
歳はおそらく12歳前後。背丈も御影の頭一つ分は小さいだろう。
腰まであろうかという艶やかな黒髪に、大きな銀色の瞳。肌は透き通る様に白く美しい。
淡い桃色が美しい十二単に、金細工の冠を戴くその姿は、正しく斎宮の巫女姫と呼ぶに相応しいものだった。
「四乃の御影ですね。遠い所、よく来て下さいました。わたくしは当代の斎宮、名を星乃と申します。こうしてお会い出来る日を楽しみにしておりました」
「勿体無いお言葉に御座います」
言いながら、御影は目の前の斎宮に対して、数刻前に松江に対して感じたものと同じ感情を抱いていた。
奇妙な既視感である。
(ーーいいえ。こんなお姫様、一度会ったら忘れる筈が無いわ……)
「ーー恐れながら。斎宮殿下と私は以前にも何処かでお会いした事があったでしょうか……?」
言ってから、御影は自分がとんでもなく失礼な事を言っていると自覚し、顔を青ざめさせた。
しかし、対する斎宮は御影の発言を気にすることもなく、まるで見るものを浄化する様な清らかな微笑みを浮かべるのみだった。
「ーー御影。長旅は疲れたでしょうから、今日はもうお休みなさい。この斎宮殿が貴女にとっても心安らぐ場所となれば良いのですが……」
慈愛に満ちた眼差しでそう言うと、斎宮は入室時と同じ様に、従者の巫女と共に退出していった。
無意識の内に気を張っていた御影は、これから自分の主となる斎宮との邂逅を終えて脱力したのだった。
ついにタイトルの巫女姫様の登場です。