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5-6 斎宮殿の戦い(一)

 久方振りに訪れた喜瀬の町は変わらない様でいて、何処かがおかしかった。


 街が妙にざわついているのだ。


 御影を始め、朝陽、アージェント、南雲、若葉も誰もがそれを感じていた。


 ーーその理由はすぐに分かった。






 九陰における政治と神事の中心地、喜瀬の斎宮殿ーーそこに只事ではない人集りが出来ていた。


 町人達の姿もあるが、その多くは郡司や巫女達である。常ならば斎宮殿の中でそれぞれの務めに従事している彼らが一様に外にいる光景は異様であった。


 (どういうこと……?)


 困惑しながらも周囲を見回していた御影は、視線の先に見知った顔を見付け駆け寄った。


 「ーー泰菜……っ!! 東海林様……っ!!」


 「御影……っ!?」


 「御影殿……っ!? それに朝陽殿下に、白黒頭もか……っ!?」


 久方振りに聞く同僚の声音に弾かれた様に二人が振り向く。


 「あんた達帰って来てたの……っ!? 怪我とかしてないでしょうねっ」


 「今さっき戻って来たのよ。怪我も無いわ、大丈夫よ」


 「本当でしょうね、貴女はこちらが冷や冷やする程無鉄砲な所がありますから」


 泰菜と幸路から口々に言われ、思い当たる点の多々ある御影は苦笑するしかない。


 「朝陽殿下に白黒あたーーいや、アージェント殿も無事のご帰還、何よりです」


 「あぁ、有り難う」


 「いやいや、私にまでご丁寧にどうも」


 朝陽とアージェントを労った幸路はそのまま二人の後方に視線を向けた。


 「そちらは……?」


 「ーー俺は四乃の橘南雲。この者は御影と同郷の若葉だ」


 南雲に紹介され、若葉が頭を下げた。


 「若葉です。宜しくお願いいたします」


 初めて見る四乃の二人に、幸路の傍らにいた泰菜が興味深げに目を輝かせ、次いで御影に目を向ける。


 まさしくニヤニヤという表現がぴったりな顔を向けられ、御影は思わず後退る。


 (ーー泰菜ったら、何かろくでもない事を考えていそうな顔ね……)


 思い返せば泰菜と今はもういない小百合から南雲との仲を根掘り葉掘り聞かれたこともあったものだ。


 「ーーそれで、斎宮殿のこの状況はどういう事なんだ?」


 いつになく真剣な表情の朝陽の言葉に、泰菜と幸路も表情を引き締める。


 「ーー数日程前、一陽から皇御一行がこの喜瀬にいらしたのです。それも斎宮殿には何の通達もなく、いきなりに」


 「そうよ。おまけに何か大きな儀式を執り行うだとかで巫女も郡司も皆斎宮殿から追い出されたのよ……っ」


 「追い出された?」


 御影の言葉に泰菜が苛立たしげに頷く。


 「そうよ。皇御一行が来て以来、こっちは何の仕事も出来やしないのよ。だから毎日皆此処に来て直談判に来てる訳。


 でも、こっちの話なんて聞いてくれやしないし、私達が中に入れる気配も一向になし。


 その割にさっきよく分からない牛車が中に入っていったりして、本当に意味不明よ」


 そうジト目で言う泰菜に、御影と朝陽は目を見合わせた。


 「朝陽様……」


 「あぁ、その牛車には十中八九月灯が乗ってるだろうな……」


 もう余り時間が無い。


 ふと、アージェントが口を開いた。


 「ーーところで、松江殿はどちらに? お二人と一緒ではないのですか?」


 その言葉に泰菜が気まずげに視線を下に落とす。


 「ーー松江様は斎宮殿の中に残ってるのよ」


 「え?」


 「皇御一行があんまり強引な事を仰るものだから、松江様は『この斎宮殿の主は斎宮である星乃様であらせられます。いくら皇といえど勝手は許されません』って啖呵を切ってね……」


 泰菜の口から飛び出した内容に松江を知る者達は皆一様に顔を青ざめさせた。ただ一人、アージェントを除いてだが。


 「いやはや、松江殿。一国の王に向かって何ともはや……。流石肝が据わっていらっしゃる」


 感心した様に言うアージェントだが、御影や朝陽の心情はそれどころではない。


 「ま、松江様……」


 「何というか……あの叔父上の事だ。座敷牢に入れられていてもおかしくない……」


 そんな中、それまで静かに話を聞いていた南雲が声を上げた。


 「どうやら余り悠長な事は言っていられないらしいな」


 「よく分からないけど、その人も御影達の大切な人なんでしょ? それなら助けにいかないといけないんじゃない?」


 若葉の言葉に朝陽が頷く。


 「そうだな。だが、どうするか……。あーー、こんな時此処にいる全員が御影ちゃんみたいに隠形術を使えたら話が早かったんだが……」


 その言葉に御影だけでなく若葉も少々気まずげな顔をする。


 若葉も御影と同様、隠形術は使えるものの他人に行使する事は出来ないのだ。


 「気にするな。御影もお前も自分に出来る事をしてくれれば良い」


 「は、はい……っ」


 南雲の言葉に上擦った声で答えた若葉だが、その後俯いた若葉の頬がこれ以上無い程に紅くなっていることに南雲は気付かなかった。


 「ーーふむ。いよいよ、時間がありませんね。策を弄するのも結構ですが、此処は最早強行突破もやむなしかと思いますが」


 「中々大胆だな」


 「えぇまぁ。決して見くびる訳ではありませんが、中にいるのが例え皇達が連れて来た選りすぐりの郡兵だったとしても、相手が只の人間ならば私達が後れを取ることも早々ないでしょう。


 それに状況が状況です。今更保身を考えるよりも、事を急ぐべきかと」


 アージェントの言葉に、朝陽が頷く。


 「そうだな。行こう、皆」






*****


 慣れ親しんだ斎宮殿だが、そこにあるのは常とは異なる一陽の郡兵達の姿。


 御影達は目に入るそれらを次々と圧倒していった。


 先刻のアージェントの言葉通り、怪異でもない只人など御影達の敵ではなかった。


 朝陽が下した郡兵に松江の居所を聞けば、返ってきたのは想像通りの座敷牢という答えだった。


 「ーー座敷牢か」


 「松江様が御無事だと良いのですが……」


 「松江さんはああ見えて強かな人だ。きっと無事だ」


 半ば自らに言い聞かせる様に朝陽がそう言った時、渡殿の向こうから見覚えのある灰色の何かが凄まじい勢いで飛来した。


 「ヒョォーーっ!!」


 「ヒ、ヒヨ助……っ!?」


 御影が言うよりも早く、突如として現れた小さな小鳥は御影の肩に収まるとまるで返答するかの様に一つ鳴いた。


 灰色の小さな小鳥ーーヒヨドリのヒヨ助は御影と月灯が助けて以来、斎宮殿に住み着いた小さな住人である。


 月灯が斎宮殿にいる時には月灯が、そうでない時には松江や泰菜が代わりに面倒をみていたものだ。


 「ヒヨ助ったらまだ斎宮殿の中にいたの?  此処は危ないのよ。今の内に外に逃げなさい」


 しかし、そんな御影の言葉にも当のヒヨ助は御影の肩口で勝手に羽繕いを始める始末である。


 「御影ちゃん、時間がない。先を急ごうぜ」


 「ーーそうですね、急ぎましょう」


 そう言いながら、御影は肩に留まる能天気な小鳥を軽く突いたのだった。






 斎宮殿、母屋の座敷牢ーー御影にとっては以前大事な同僚を失った因縁深い場所でもあった。


 薄暗い牢内、その柵の向こうーー。


 「ーー松江様っ!!」


 御影の呼び掛けに牢の中の人物が顔を上げた。


 「その声、御影なのですか?」


 「あぁ。助けに来たぜ、松江さん」


 「まぁ、朝陽殿下にアージェント殿まで……」


 「松江様、少し下がっていて下さい。今から私と若葉で木柵を破壊します……っ」


 その言葉の後、宣言通りに忍びの娘二人は座敷牢の木柵を破壊した。


 違反行為どころではないが、最早それすらも些細な事柄であった。


 巻き上がる土埃に袖で口許を押さえながら牢内から出てきた松江に、若葉が声を掛ける。


 「お怪我はありませんか?」


 「えぇ、有り難うございます。手を煩わせましたね」


 そう言い、松江はすぐに御影と朝陽に目を向けた。


 真剣な、何処か縋る様な眼差しに御影と朝陽は息を飲む。


 「母屋の奥、儀礼殿に向かって下さい。皇達はそこにいる筈です」


 「儀礼殿……」


 「えぇ。先程見張りの者が月灯殿下を儀礼殿へお連れしたとも話していました。


 どうか月灯殿下の意思と尊厳をお守り下さい」


 あちらの望みとこちらの望み、そのどちらの場合でも月灯に待つ運命は変わらない。だからこそ、せめて月灯の望む形で本懐を遂げさせてくれと松江は言っているのだ。


 松江の言葉に御影は胸に何か重石でも乗せられたかの様な心持ちになった。気を抜けば目から涙が零れそうになる。


 それでも御影は自身の感情を抑えて松江に答えた。


 「ーー必ず」


 御影の言葉に松江も頷く。


 「松江さん、此処は危険だ。何処か安全な所へ」


 「でしたら私がお連れします。此処までの道は覚えましたから」


 若葉の申し出に、しかし松江は静かに首を横に振る。


 「私でしたら一人でも問題ありません。皆さんはこれから大仕事なのですから、余分な事に数を割く事は良策とは言えないでしょう」


 ふいに松江は御影の肩のヒヨ助へと目を止めた。


 「ヒヨ助、貴方も私と共にいらっしゃい。皆さんの邪魔をしてはなりませんよ」


 そう言って御影の肩へと手を伸ばす松江だだったが、ヒヨ助はそれを拒む様に御影の反対側の肩へと移動した。


 「ヒョ」


 「ヒヨ助、松江様の言う通りよ。此処から先は本当に危ないの。お願いだから、松江様と一緒に行って頂戴」


 御影の再三の命令にも従わず、ヒヨ助は今度は朝陽の肩に飛び乗った。


 「ーーまぁ、良いんじゃないか。こいつ月灯が世話してやってたんだろう? こいつなりに月灯の事を心配してるのかもしれないし」


 「良いのですか?」


 「いざと言う時は勝手に逃げるだろ。鳥なんだしな」


 あっけらかんという朝陽に御影と松江は顔を見合わせた。


 朝陽の肩では当のヒヨ助が能天気にあくびをしているのだった。

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