5-4 帰郷(二)
妖狐の封印の為に必要となる笛と剣舞。それらを習得する為、一行は暫く里に滞在する事になった。
笛は朝陽、月灯、そして南雲が里でも有数の笛の名手である大吾から直々に教えを受けた。
剣舞については元々問題なく舞える御影であったが、若葉と共に改めて清香と若葉の母から教えを受けた。
「ーーふむ、良いでしょう。皆、随分と上達しましたな」
場所は戸叶家の座敷である。
大吾の言葉に、朝陽、月灯、南雲の三人は笛を置いた。
「あぁ、何とか……形にはなっている、かな……?」
そう言って頭を掻いたのは朝陽だった。月灯から見てどんな事でもそつなくこなすこの兄は意外にも笛が苦手だった。
「ふっ。最初に比べたらお前の笛も大分聴ける様になったじゃないか」
そう言うのは南雲である。前皇の御子に対して、相も変わらずとんでもない口の聞き方だが、当の葦原兄弟は気にしていない。
南雲は更に月灯に向かって笑い掛けた。
「まぁ、俺達三人の中ではお前が一番上手いな」
「ーーそう、かな。そうだと良いんですが……」
「いえ、私も月灯殿下は笛の才がお有りだと思いますよ。とても筋が良い」
「あ、有り難うございます……っ」
惜しみ無い賛辞に月灯の顔が赤くなった。
御影達の剣舞も仕上がっていると聞く。着々と準備は整いつつあった。
その日も笛の稽古を終え、何時も通り奥座敷を後にしようとする三人であったがーーこの日、月灯だけは普段と違った。
座敷に残った月灯は、この屋敷の主である大吾と向かい合い座る。
「ーー僕は、大吾殿にも清香殿にも謝らなければなりません」
「謝る、とは?」
「ご存知の通り、僕は斎宮です。本来の性別を偽り、今の座にいる。御影をお二人から引き離したのは、僕の個人的なわがままに他なりません」
神妙に語る月灯に、大吾は顎を撫でた。
「ーーふむ。月灯殿下が私に個人的にお話されたい事があると仰られるので、これは『娘をくれ』と言われるとばかり思っていましたが……」
予想外の大吾の言葉に、月灯は真っ赤になる。
「ーーえっと、それは……」
「確かに……月灯殿下は我々の元から娘を連れていきはしましたが、帰郷した娘は貴方の傍らでとても幸せそうだ」
幸せそうであり、同時に悲しそうでもある。しかしその言葉は大吾は口にはしなかった。
「そして、月灯殿下も娘を大切に思って下さっている様だ……。私の目から見て、お二人は酷く特別な関係に見えましたが、間違いでしたかな」
大吾の穏やかな眼差しに、月灯は言葉に詰まる。
「ーー父親としては娘の幸福を願いたいものですが、それは難しいのでしょうなぁ」
大吾の言葉に、月灯は先日の溜め池のほとりでの御影の姿を思い出す。
「……っ。以前お話した通り……僕はこの後、龍神解放の為に大きな務めを果たさなければなりません。
そしてその務めの後……僕はこの世にはいないでしょう。それでも僕は……僕は最期のその時まで、御影には側にいて欲しいのです」
月灯は頭を下げた。改めて言葉にすると、本当にろくでもない。自分の為に御影を振り回してばかりだ。
「ーー殿下、どうか頭をお上げ下さい。娘はもう子供ではないですから。娘は娘のしたい様にするだけです」
「ーーはい」
月灯も居なくなった奥座敷、一人残った大吾は一人溜め息をついた。
大吾が思うのは愛娘とその想い人の少年だ。
「ーー世界とは何と残酷な事か」
******
葦原兄弟一行が妖狐封印の笛と剣舞を求めて、四乃の忍の里を訪れて暫くが経った頃。
戸叶家の奥座敷。月灯と南雲の笛の音に合わせて、御影と若葉が小太刀を手に舞う。
「ーーふむ、良いでしょう」
大吾が満足げに頷く。
四人による息の合ったそれは最早芸術の域に達していた。
妖狐金華を打倒する為の手段が今此処に完成したのだ。
大吾の横で見守っていた朝陽とアージェントも惜しみ無い拍手を贈る。
「ーー御影ちゃんも若葉ちゃんも、まるで天女かと思っちゃったよ」
「えぇ、本当に。月灯殿下と南雲殿の笛の音も相まって天にも昇る心地です」
男二人の賛辞に御影と若葉が頬を染める。
「ーーあぁ、御影も若葉も見事な舞だった。自分で笛を奏でなければならない分、そちらに集中出来ないのが難点だな」
南雲からも笑顔と共に賛辞を贈られ、若葉はこれ以上ない程に赤くなる。
そんな賑やかな場に、ぱたぱたと慌ただしい足音が近付いてくる。
「ーー大変ですっ!!」
息を切らして座敷に入ってきたのは御影の母、清香だった。
「どうした?」
普段とは異なる妻の様子に、大吾が声を掛ける。
「ーーそれがっ!! 一陽から皇の遣いを名乗られる方々がいらしていて、前皇の御子である葦原月灯殿下を引き渡す様にと……っ!!」
まさかの言葉にその場の全員が愕然と目を見開いた。
*****
「ーーどういう事だっ!! 王都からの遣いなど、全く聞いていないぞ……っ!!」
南雲が吼える。
四乃の忍の里。戸叶家の前に押し寄せたのは一陽の郡兵達だった。
南雲にすれば、この里は己の一族の治める領内である。いくら王都からの遣いとはいえ、領内での勝手は許せないのだろう。
「ーー橘南雲殿。何か勘違いをしておられる様だが、このアシハラの土地は全て一陽におわす皇のもの。全ては皇のお心次第なのですよ。
そして王命を受けた我々への反抗はそれすなわち皇への反逆と見なす」
「なんだと……っ」
気色ばむ南雲を朝陽が慌てて静止する。
「止めろ、南雲っ!! お前が此処で歯向かったら里の人達を危険に晒すっ!! それが分からないお前じゃないだろっ!!」
朝陽の言葉に、南雲は歯を食いしばった。
「ーーあぁ、分かっている……」
郡兵は南雲を見、次いで朝陽を見ると、その視線を黒髪の少年へと移した。
「ーー葦原月灯殿下、そして九陰の斎宮殿下であらせられますね?」
「ーーはい」
「王命により、殿下を九陰までお連れさせて頂きます」
郡兵の言葉に御影は息をのむ。
(月灯様を九陰まで……)
通常であれば、斎宮である月灯が九陰に戻るのは至極当然と思うかもしれない。
しかし、御影の胸にある予感が去来する。
そしてそれは斎宮当人である月灯も同様であった様だ。
「ーー九陰に叔父上がいらっしゃるんですか? 金の髪に紅い目の女性も?」
「それについてはお答え致しかねます」
ぴしゃりと言い切った郡兵達は月灯に「さぁ……」と促す。
「ーーお、お待ち下さいっ!!」
声を上げた御影に、月灯を始めとした面々が息をのむ。
「何だ、娘」
「私は斎宮付きの巫女です。月灯様が行かれるならば、私もお供致します……っ」
何か言いたげな月灯を強い眼差しで黙らせ、御影は郡兵の前に進み出る。
大吾、清香、南雲、若葉等の視線が御影に突き刺さる。それは御影を案じるものだ。
御影はそれらを振り切り、言い放つ。
「ーーどうか、私も連れて行って下さい……っ!!」
しかし、そんな御影の願いも郡兵達はすげなく切り捨てた。
「ならん。我等がお連れする様に命じられているのは葦原月灯殿下お一人である」
「そんな……っ!!」
「御影ちゃん、ここは抑えろって……」
「朝陽様……っ!?」
なおも食い下がろうとする御影を横から朝陽が制止するが、そんな二人をよそに月灯が一歩前に出る。
「ーー分かりました。命に従います」
静かな月灯の言葉。
愕然とする御影に月灯は微かに笑みを浮かべてみせた。
「ーー御影、僕は大丈夫だから」
「月灯様……」
「兄上、御影を頼みます」
「あぁ、分かった」
最後に兄弟はそれだけ交わすと、月灯は一陽からの遣い達の元に歩み寄る。
事が、動き始め様としていた。




