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4-12 朝陽追憶(二)

 あれから五年の月日が経った頃。


 母上を病で亡くし、父上は表面上は今までと変わらず優しく偉大な皇であり続けたが、その実ーー人知れず涙を流している事も知っていた。


 弟の月灯は大人しいが賢い奴で、俺を慕ってくれている。


 俺は十五になり、いずれ継ぐであろう王位について真剣に考える様になっていた。


 だからーー目まぐるしく変わる日々の中、渋滝家の森の奥深く、祠で奇妙な体験をした事など完全に忘れていた。






 月のない夜。


 大内裏の自室、アシハラ王国の建国神話に関する書物と九陰から産出される資源と怪異の被害について纏めた書物を並べて考えを巡らせていた俺は、ふいに何かの気配を感じた。


 それまで無かった気配が俺の後ろに出現している。


 閉めきった室内。有り得ざる事。しかしーー。


 「……」


 肌が粟立つ感覚は、否応なしに俺にかつての記憶を思い起こさせた。


 「あらあら、随分と大きくなられた様で……」


 愉しげな女の声。


 振り返ると、そこには女が立っていた。


 金の髪に紅い瞳。美しくも危うい雰囲気を持つ美女があの日森で見た時と何ら変わらぬ様子で立っていた。






*****


 「ーーわたくしは金華。以前、森の奥深くに封じられ、囚われていたわたくしを助けて下さった貴方様に恩返しにあがった次第にございます」


 「恩、返し……?」


 上手く言葉を紡ぐ事の出来ない俺に、女ーー金華はうっすらと笑みを浮かべた。


 「左様でございます。貴方様がいらっしゃらなければ、このわたくしは未来永劫あの場に囚われたままだった」


 「あんた、何者だよ。人間じゃないだろ」


 「うふふ、そんなに怖がらないで下さいませ……。そうですね、わたくしは『狐精』……または人間の言葉を借りれば『妖狐』になるでしょうか……」


 「ーーなっ!?」


 思わず一歩後ずさる俺に、しかし金華は表情を崩さない。


 「しかしながら貴方様が当代の皇の御子であったとは……まさに運命の巡り合わせとはまこと不思議な物……」


 「どういうことだ……?」


 「わたくし、人ならざる身ではありますが長くアシハラ王国に仕えて来た身……何代もの皇の傍らにあって彼らに時に助言をし、国を善い方へと導いて参りました……」


 「え……」


 「種族は違えど、わたくしなりにアシハラの為に身を粉にして尽くして参りましたが、やはり人間からすると人外は不気味に映るのでしょう。


 当時の皇の側にいた者にわたくしが国家転覆を企む化け狐だなんだと言われ、封印されてしまいまして……」


 「……」


 「ですが、こうして貴方様のお陰でまた外に出ることが出来ました。そして、わたくしには長年で培った治世の知見があります。いずれ皇となられる貴方様が善き皇となる様に導く事も出来ましょう……」


 「アシハラに長く仕えて来たって……それ本当かよ?」


 思わず疑問が口に出た。こんなとんでもない存在が国の中枢にいたのなら、龍神の神話の様に何かの形で後世に伝えられていてもおかしくない。


 しかし、そんな話は聞いたことが無かった。


 「あらあら、信じて頂けませんか……。ですが、全て真実ですのよ。わたくしはこのアシハラ建国の瞬間からこのアシハラにおりますから……」


 「建国の瞬間から……?」


 「えぇ。あぁ、はい……勿論このアシハラに伝わる建国神話の真偽も全て存じておりますよ」


 「……」


 目の前の女の話は真実なのか。女の纏う気配から人ならざる者だという事は事実なのだろうと思う。しかし、もしそうだとしてーーこの金華という女が、女が言う様に善い存在なのかと言えば疑問だった。


 女の纏う気配はあまりに禍々しいのだ。


 (ーーでも、この女が本当に建国の瞬間から立ち会ったって言うなら……)


 女が優しい笑みを浮かべる。まるで俺の心の内を見透かしたかの様だった。


 「教えて差し上げますよ。当代の人間では誰も知らない、建国神話の真実を……」


 いずれ皇となる身。この国の仕組みを学ぶにつれて俺の中に沸き上がる疑問があった。それに対する答えを、この女は知っているのか。


 俺は、好奇心には逆らえなかった。






*****


 「ーーこの国は龍神に祝福されているというのは本当か? 九陰で取れる石油や金はその現れなのか? そうだとして、どうしてこの国にはこんなにも怪異が溢れてる? 知っているなら教えてくれ……っ!!」


 「まぁまぁ、そんなに急かさないで下さいまし」


 矢継ぎ早な俺の問い掛けに、女は口元を隠して笑う。


 「そうですね。いずれ皇の位を継がれるとなれば気になるのも道理……。良いでしょう、一つずつ朝陽殿下の質問にお答えしましょう……」






 「ーーまず、このアシハラが龍神に祝福を受けた土地かどうかですが……その為には建国神話の真実をお話するのが早いでしょう……」


 「建国神話の真実……」


 「えぇ」


 そうして、女は建国神話の真実を語り始める。


 天空に住まう龍神が地上に生きる黒髪の乙女を見初め、二人が恋に落ちること。


 二人は種族の壁を越えて愛を育むが、龍神は天に帰らねばならず、二人に別離が訪れること。


 龍神が地上を去ることを告げ、乙女が酷く悲しむこと。


 ここまでは、俺の知る建国神話と変わらない内容だった。


 「ーーここまでは、朝陽殿下もよくご存知の内容でございましょう」


 「あぁ」


 「うふふ。ここからが面白いんですよ……。黒髪の乙女はその名を(いつき)といい、実は(かつら)という兄がいたのですが、朝陽殿下はご存知ですか?」


 「いや、初耳だ」


 「うふふ。そうでございますか。この兄が神学者といいますか、各地の神についての見識が深かった。そして、妹と恋仲の龍神が富を司る神だという事を知ったのです。


 妹と龍神が恋仲となった事で、彼の家はそれまでよりも裕福になっていました。しかし、龍神が天へと帰ればまた以前の暮らしに戻ってしまうかもしれない。人は一度贅沢を味わうとそれを失うことを恐れますからねぇ……。


 そこで彼は良いことを思い付くのですよ」


 「ーー良い、こと?」


 「えぇ。龍神を天に返すことで自分達の富が失われるのなら、いっそ龍神を返さなければいいと思ったのです。寧ろ地に縫い止めて、自分たちの守護神になって貰おうとね」


 「そんなこと、出来る訳……っ」


 「出来るのですよ。神の自由を奪い、地に縛る邪法があるのです」


 「邪法……?」


 「えぇ、術の触媒として龍神と強い縁を結んだ者を用意する必要がありましたが、幸いその用意は簡単でしたからね」


 「まさか、妹か……」


 「えぇ。兄は龍神とずっと一緒にいられるとそそのかし、妹に龍神を連れてこさせました。そして、妹が龍神を連れて来た所で、触媒を贄として術を行使したのです……。これにより龍神を大地に縛り着ける事に成功し、土地には富が溢れる様になりました」


 「……」


 「ーー分かりますか、朝陽殿下? この兄こそがアシハラの初代皇であり、黒髪の乙女では無いのですよ」


 女から聞かされる美しさからは程遠い欲にまみれた建国神話に、俺はその場にくずおれた。


 「ーーじゃあ、この国に怪異が溢れているのは……」


 「うふふ。分かっていらっしゃるでしょう? 龍神の怨嗟に呼び寄せられているのですよ」


 俺なりにこの国の仕組みを調べている内に、そうではないかと考えた説の内の一つではあったが、正直自分でも眉唾な考えだったのだ。


 富と共に怪異が溢れる土地ーーアシハラの民の喜びと苦しみを体現する土地。


 「ーー龍神は九陰に……?」


 俺の問いに女が微笑む。


 つまり、俺の予想通りなのだろう。


 「あらあら、そんなに落ち込まれてしまって……お可哀想に」


 可哀想? 俺が? 俺達が? 違うだろう。


 「ーー可哀想なのは騙されて地に落とされた龍神じゃないかっ!!  龍神を解放しないと……っ!!」


 声を荒げる俺に、女はわざとらしく驚いて見せる。


 「あら、龍神を解放? 本気で仰っているのですか?」


 「本気に決まってるだろう……っ!! 国に怪異が溢れているのだって龍神を無理矢理アシハラに縛り付けているからだろう……っ!!」


 「でも、アシハラの富があるのもこの龍神のお陰ですよ? 建国以来まともに働くことを知らないアシハラの民が今の生活を手放すことを受け入れるとお思いですか?」


 「そ、それは……」


 女の言う事は一理あった。アシハラの民の多くは神に祝福された選民だという誇りを持っている。それが失われるとなれば、アシハラの混乱は必至だろう。


 「ーーまぁ、こうは言いましたが……そう遠くない内にアシハラから龍神は失われるでしょう」


 「え?」


 「残念ながら解放ではありません。


 先程お話しした通り、龍神の憎悪と怨嗟は最早限界……負の念を溜め込んだ神が善性を失い邪神に堕ちる日も近いでしょう……。


 そうなれば、封印の術式は何の意味も為さなくなります。邪神に落ちた時点で別の神ですからね」


 女が口にした身の毛もよだつ龍神の未来予想に血の気が引く。


 「ま、待ってくれ……そうなった時、アシハラはどうなる!?」


 「うふふ。まぁ、邪神の怒りを受けたならば、最早草の一本も生えない土地になるでしょうね。神の怒りに触れた、そういう国が遥か西の方にもありますよ」


 「そんな……」


 「あぁ、朝陽殿下……。そんなに哀しそうなお顔をなさらないで。わたくしに良い考えがあります」


 「良い、考え……?」


 「えぇ、そうです。このアシハラに協力的でない古い神を捨て、逆にアシハラを進んで守ろうという新たな神を守護神に据えれば良いのです」


 古い神とは龍神の事か……? それを捨てる? この女は何を言ってる?


 「ちょっと待ってくれ……っ!! 意味が分からないっ!!」


 「あら、ごめんあそばせ。説明不足でしたわね。自ら進んで守護神に収まろうという神ならば、怨嗟で怪異を呼び寄せる事もないでしょう?」


 「そんな上手い話がある筈ないっ。そもそもこのアシハラを新たに守ってくれる神なんて……っ!!」


 俺の叫びは悲鳴じみて、自分でもこの女の話にどうしようもなく混乱していた。


 女が一歩、また一歩と俺との距離を詰める。女の細く白い指先が俺の頬に触れ、そのまま唇を撫でた。


 「ーーおりますよ」


 「は?」


 「ーーわたくしが新たな神になって差し上げる。


 そうしてこのアシハラの新たな守護神として、来る貴方の御世を照らして差し上げましょう」


 愕然とする俺に、女は慈悲深い女神のごとき眼差しを向ける。


 「あんたにも……龍神みたいに、この国に富をもたらすなんて事が出来るのか?」


 「うふふ……そうですね。この国で守護神となるならば富をもたらす権能は必須。


 えぇ、可能ですとも。現在それを有している龍神を我が身に取り込み、権能を引き継げば良いのです」


 この女は何を言ってる? 龍神を取り込む……? 龍神を、殺す……そういうことか?


 顔に出ていたらしい。俺の疑問に女が答える。


 「その通り、龍神を喰らうのです。あいにく、今のわたくしは未だ怪異の域を出ません。神格を得るためにも必要な事なのです」


 言葉を失う俺に、女がしなだれかかってくる。しかし、艶かしいその仕草も俺には最早恐怖しかもたらさなかった。


 「ーー離れてくれ」


 「あら?」


 「ーー人間の身勝手な欲の為に搾取し続けた龍神に、そんな事が出来る訳が無いだろう……っ!!」


 龍神にはいずれ自由を返さねばならない。今の自分にはその為の策も何も無いが、それでも目の前の女ーー金華の言う通りにする事だけは出来ない。


 固く手を握り締める俺に、女は顔から表情を消した。そうすると、美しい女の顔は酷く作り物染みて見える。


 「ーーでは、わたくしの提案を無下になさるのね」


 「あぁ、お前の案は呑めない」


 「そうでございますか……。


 わたくしに自由を下さった朝陽殿下ですから、わたくしに出来る限りをさせて頂きたかったのですが……。


 人である朝陽殿下と、人ならざる身であるわたくしとでは分かり合えぬ事があるのも道理……。悲しいですが、これも致し方ない事ですね……」


 悲しげな表情を浮かべ、女は俺に背を向ける。


 「お、おい……っ!!」


 「どうか、お元気で……」


 それだけ言うと、女は俺の前から煙の様にかき消えてしまった。


 全身から力の抜けた俺は、その場に膝から崩れ落ちるしか出来なかった。






*****


 女が俺の元に現れ、煙の様に消えたあの夜から暫くが経った頃ーー女からもたらされた衝撃的な事実の数々に、俺は打ちひしがれていた。


 アシハラの民は龍神を食い物にして、富を得ていた。


 それだけではない……龍神は怒りと怨みを募らせ、邪神に堕ちる寸前……。


 龍神を解放するにしても、解放した後のアシハラはどうなるのか。楽な生活に慣れた民を納得させるにはどうしたら良い。






 「ーー兄上、最近難しいお顔をされていますね」


 大内裏の書庫に籠り頭を抱える俺に、七歳になった弟の月灯が声を掛ける。


 一見すると女にしか見えないが、歴とした男である。


 「あぁ、ちょっとな……」


 「僕に手伝える事があったら何でもしますから、言って下さいね」


 「あぁ、有り難うな」


 月灯の言葉は有難いが、まだ幼い弟にあの女から聞かされた話をする訳にもいかない。


 いや、出来ない。


 奇妙な事に、あの女から聞かされた話を他人にしようとすると、途端に声が出なくなるのだ。あの女の仕業に違いなかった。


 俺は月灯の頭を撫でると、人知れず心の内で焦燥を募らせた。






 しかし、そんな日々も長くは続かなかった。


突然それまで壮健であった父ーー当代の皇であった輝土(かぐつち)の訃報が届けられたのだ。


 悲しみに暮れる暇も無く、大内裏内は次の皇を決める事に慌ただしくなる。


 そしてーー新たな皇は俺ではなく、叔父の天谷に決まった。




 天谷の横にはあの女ーー金華の姿があった。


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