2-1 九陰へ
九陰は四乃の更に北にある。
慣れない牛車に揺られながら九陰入りした御影は、斎宮の待つ地を目指していた。
(ーーまさか、斎宮殿から直々に牛車が迎えに来るとは思わなかったわ……)
御影はあくまでも只の側仕えの巫女に過ぎないのだ。
そんな御影の元に、わざわざ大人数で迎えにやって来た斎宮殿の遣いに、里の面々は目を丸くしていた。
まるで要人の移送である。
ふと、御影はおもむろに簾を上げた。
牛車に同乗する遣いの男はそんな御影にも何も言わない。
御影は構わず牛車から外を眺めた。
そこには九陰に入ってから嫌という程見てきた、荒廃した大地が広がっている。
(ーー流石、忌み地と言われるだけあるわね……)
此処までに朽ち果てた村らしき残骸を幾つも見てきた。怪異に喰い荒らされたのだ。埋葬される事も無く人骨が散らばる光景は、御影をして目を背けたくなるものだった。
そんな中、御影の視線がある一点で止まる。
(ーーあれは)
御影の視線の先、この牛車からは少々距離のある、その場所。
同乗する男が訝しげな顔をするのにも構わず、御影は瞬時に印を切る。
忍術で自身の視覚と聴覚を強化した御影は食い入るように、視線の先に集中する。
いくつもの煙が立ち上ぼる中、か細い悲鳴が上がったのを御影は聞き逃さなかった。
「ーーすぐそこの集落が怪異に襲われています……っ。すぐに助けにいかないと……っ」
「ーーな、何を急に……っ」
これまで微動だにしなかった男も腰を浮かせる御影に、泡を食った様な顔を向ける。
「今行けば、まだ何人かは助けられるかもしれない。あなた方の中に怪異との交戦経験がある方はいますか?」
「ま、待って下さい。とにかくまずは腰を下ろして……。怪異に襲撃されている村があるとすればそれは非常に残念な事ですが、九陰ではそれも日常茶飯事。我々の任務は御影殿を斎宮殿まで無事にお連れする事ですから、どうか……」
わざわざ面倒事に首を突っ込むなという事だろう。確かに男の立場からすればさもありなんという所だ。
(ーーでも、放っておけないわ)
「ーーすみませんが、私にはやはり放っておけません。少し此処を離れます……っ」
「ーーちょ、ちょっと……っ!?」
男が静止するのも聞かず、御影は牛車を飛び出した。牛車の周りを囲む遣いの者達が驚きの声を上げるのも構わず、御影は集落へと駆けた。
*****
慌てた遣いの者達が煙の上がる集落に到着する頃、何人もの人間を喰らった怪異は御影によって退治される所であった。
黒い犬の怪異である。群れでもなく、一匹のみ。それほど大きくも無いこの犬の怪異が、怪異と戦う手段を持たない人々にとっては大きな脅威となり、この惨状を生んだのだった。
両の目にクナイを突き立てられ、痛みに悶える犬の怪異は既に息も絶え絶えといった体であった。
「や、やったのか……?」
遅蒔きにその場に到着した遣いの男が恐る恐る犬の怪異に近寄ろうとする。
「近寄っては駄目……っ」
御影の静止にハッとなる遣いの男だったが、犬の怪異はその隙を逃すまいと男に飛び掛かろうとする。
犬の怪異の最後の足掻きだった。
男は息を飲んだ。
「ーー大丈夫ですか?」
「あ、あぁ……」
まさに一瞬の出来事である。怪異と男の間に割って入った御影によって振り下ろされた小太刀が犬の怪異の首に突き立てられ、そのまま貫通していた。
「完全に仕留めたと確認出来るまでは、まだ気を抜かないで下さい」
犬の怪異から視線を向けたまま、御影が言う。
「何があるか分かりませんからね」
「す、すまない……」
「いえ、無事で良かったです」
男以外の遣いの者達も少し離れた場所から事の成り行きを見守っている。
「み、御影殿……。腕に傷が……」
別の遣いの男が青い顔をして、御影に駆け寄る。
彼等の任務は御影を無事に斎宮殿まで送り届ける事である。その御影が腕に傷を作ってしまったのだから、彼等の顔も青くなるというものだ。
「この程度、薬を塗っておけば大した事はありませんよ。それに勝手に牛車を飛び出したのは私ですから。皆さんの責ではありません」
そう言って御影は笑って見せた。
(ーーでも、折角の一張羅をこんな所で汚してしまうなんて……。ごめんね、母さん)
御影は怪異との戦闘で薄汚れた自身の着物を見下ろした。淡い杏色の着物はこの日の為に母が用意してくれた品だ。
(ーーでも、そのお陰で救えた命もあったのだもの。母さんも許してくれるわよね)
結局、この集落の生き残りは幼い男女の兄妹が二人のみ。元々住人もあまりいない様な寂れた集落だった様だが、小さな集落だからこそ住人同士仲良く慎ましく暮らしていたそうだ。
そんな集落も先程の犬の怪異一匹によって壊滅させられた。
怪異の前で、多くの人は無力だ。
(新たな斎宮が座についた事で、この荒廃ぶりも良くなっていくのかしら……)
これから自らも九陰の民となる御影は、九陰の民がするのと同じ様に、救いを求めて斎宮に祈った。
二章開幕です。此処から本格的にお話が動き始めます。