4-5 王都一陽へ(一)
月灯がアージェントをお供に王都一陽を目指して旅に出てから一ヶ月。
「ーー殿下っ!! そちらに向かいましたよ……っ!!」
「はい、師匠っ!!」
月灯は迫り来る巨大な猪の怪異を横に跳んで躱すと、右手に構えていた細身の刺突剣を目にも止まらぬ早さで突き刺した。
巨躯に刀身が半分程埋め込まれた猪が、もがき苦しむ。
小柄で非力な月灯だが、少年には他には無い武器がある。それは斎宮に選ばれる程の神通力であり、怪異が何よりも嫌うものであった。
アージェントから贈られた刺突剣はアシハラでは中々見る事の無いものだが、神通力を伝導してくれる優れものである。おまけに軽く、月灯でも扱いやすい。
「ーー殿下、止めを……っ!!」
「はい……っ!!」
アージェントの言葉に、月灯は袖に仕込んでいた呪符を猪の怪異の周囲にばらまく。
『ーー祓い給え、清め給え……っ!!』
瞬間ーー雨の様に降り注ぐ呪符が眩い光を放つと同時に、猪の怪異は声にならない声を上げて消滅した。文字通り、塵も残さない。
「いやはや。殿下も随分と様になってきましたねぇ」
「有り難うございます。でも、まだまだです。僕はもっと強くならないと……」
「ははぁ、御影さんを守れるくらいに?」
アージェントの言葉に月灯の顔が赤くなる。図星だった。
「ーーそうですね。それが最終目標ですけど、御影は僕よりもずっと強いので果たして何時の事になるやら……」
「まぁ……職業柄、御影さんは元々戦い慣れしてますしねぇ。でも、神通力の総量だけは殿下の方が遥かに上ですから、それを上手く活かしていきましょう」
「はい」
以前垣間見た強さを買ってアージェントに護衛を願い出た月灯だったが、その道中に戦い方の指南も受けていた。
断られるかと思いきや、月灯の師をノリノリで引き受けたアージェントは、様々な武器の使い方から体術まで実に芸達者な男だった。
そうして、彼の知る武器の中から月灯でも扱いやすい刺突剣を勧めてくれ、今に至る訳である。
道中、時折怪異との戦闘をこなしつつ最短経路で進んだ二人は、ついに王都一陽に到着するのだった。
*****
アシハラの君主である皇が御座す、一陽は龍神京。
王都と言うに相応しい大都市の北に、皇の住まいであると同時に、行政と神事の場でもある大内裏が存在する。
前もって書状も送り、王都に着けばすぐにでも皇に面会出来ると思っていた月灯であったが、そう現実は甘くはなかった。
「ーー皇にお目通り願いたい。僕は先代皇の子、葦原月灯だ……っ」
名乗る月灯だが、対応する衛士は不信感を隠そうともしない。
「ーー滅多な事を言うもんじゃないぞ、坊や。そもそも、月灯殿下は長らく病で伏せっておいでだ。こんな場所にいる筈が無い」
衛士の言葉に月灯は愕然とした。
(ーー病で伏せっている? 僕は元々表舞台には出ていなかったっていうのに、わざわざそんな風にしてるのか……?)
そんな月灯をよそに、衛士は月灯の後ろに視線を投げると不信感を更に強めた。
「ーーだいたい何だ、その怪しい男は。アシハラの者じゃないな? 何者だ?」
衛士の視線の先にいるのは勿論アージェントだが、月灯としてはそれどころではない。
「ーー待ってくれっ!! 緊急の要件なんだ。前もって書状だって出してる……っ!! 皇から何も言われてないのかっ!?」
必死に食い下がる月灯に、衛士はうんざりした様に手を振る。
「ーーそんな物は何も無い。いい加減にしないとこっちも怒るぞ、坊や」
衛士の言葉に月灯の顔は蒼白になる。
そんな時ーー。
「ーーおい、随分と騒がしいが何事だ」
後方から掛けられた声に月灯とアージェントが振り返る。
そこに立っていたのは茜色の髪と瞳の精悍な顔立ちの青年であった。
見たところ、登庁してきた役人の様だ。
「ーーあぁ、橘様。申し訳ございません……この者達は月灯殿下の名を騙る不届き者でして……」
「僕は本物だ……っ!!」
吠える月灯にも、衛士はまともに取り合おうとしない。
そんな月灯を、茜色の髪の青年は何かを考える様に見詰めた。
「衛士よ、暫くその者達は俺が預かる。良いな?」
「ーーえっ、は、はい……」
青年の言葉に衛士と月灯が目を丸くする。その横では何やらアージェントだけが楽しげに笑っていた。
「ーー今日、皇は神事の為に内裏から式儀殿に移動される予定だ。当然警護はいるが、運が良ければ皇の目にも止まるだろう」
月灯は茜色の髪の青年に連れられて、大内裏を歩いていた。アージェントは余りにも容姿が目立つので外で待って貰っている。
青年はなんと、月灯に皇との面会の機会を作ってくれようとしていた。
「ーーあの、どうして此処までしてくれるんです?」
おずおずと言う月灯に、青年はちらりと視線を向ける。
「お前のその黒髪……」
「え?」
「ーー以前……この大内裏で皇を見掛けた時、お前と同じ艶やかな黒髪をされていた。俺の父が先代の皇に謁見した際も見事な黒髪だと話されていたしな……。
俺は王族以外でお前の様な黒髪を知らない」
「……」
「ーーそれに先程の衛士との会話、何か訳ありなんだろう」
月灯は目の前の青年をまじまじと見詰めた。そんな月灯に青年は更に続ける。
「もうすぐ皇が式儀殿に移られる時間だ。急ぐぞ」
「ーーあの、貴方の名前は?」
「俺は橘南雲。今は一陽で宮勤めをしているが、いずれは四乃の郡領になる男だ」
*****
大内裏。
内裏から式儀殿へと向かう道を行く豪奢な輿と、それを守る様に取り囲む文官、武官達。
輿に揺られるのは紫紺の狩衣を纏う、黒髪に赤褐色の瞳の美丈夫だ。その切れ長の瞳は真っ直ぐに前だけを見据えていた。
男の名は葦原天谷。このアシハラの全てを統べる皇、その人である。
「ーー叔父上……っ!!」
「ーーおいっ!?」
眼前に探し求めていた男の姿を認めた月灯は、南雲が制止するのも構わずに一行の前に飛び出した。
勢いよく飛び出してきた少女と見紛う小柄な少年に、一行は目を丸くし、次いで彼らの主を守る為、手持ちの得物を構えた。
「ーー何者だ……っ!?」
「子供……? それも黒髪の……?」
一行には困惑の気配がありありと浮かんでいた。
そんな中ーー。
「ーーあら、これは……」
皇に帯同する面々の中で唯一の女性が、興味深げに目を細めた。金の髪に赤い瞳、黒と金を基調とした豪奢な女房装束を纏った妖艶な美女である。
女が輿の上の男に楽しげに声を掛ける。
「ーー陛下。こちらの可愛らしい少年は?」
「ーー私の甥だ」
皇の言葉に女を除く周囲の面々が驚愕の表情を浮かべた。
当代皇には二人の甥がいる。一人は風来坊の根無し草、葦原朝陽。そしてもう一人は病弱で長らく伏せっているという、葦原月灯。
朝陽の方は二十歳を越えている筈で、そう考えれば目の前の少年は葦原月灯という事になる。
周囲の人間が呆気に取られる中、皇は更に言葉を続けた。
「ーーこの者と話す事がある。暫し二人にせよ」
「あら、陛下。わたくしも下がらなくてはいけませんか?」
愉しげな態度を崩さずに女が言う。
「お前も下がれ」
「あら、いけずな人。後でわたくしにも教えて下さいましね」
悪びれずに言う女に皇はひとつ溜め息をつくと頷いた。
かくしてーーその場には当代皇と月灯の二人だけが残された。




