4-3 アシハラの伝承
「ーー御影はさ、この国の在り方をどう思う?」
月灯の言葉に御影は考える。
月灯の言う「この国の在り方」とは、龍神より与えられた富により働かずとも衣食住が約束され、それを享受する人々の在り方の事だろう。
「ーーそうですね。正直な所、遥か昔から続く当たり前のもので、不思議に思った事は一度もありませんでした」
怪異の退治や要人の護衛を請け負う忍の里の人間である御影はいわゆる労働者であり、この国では少数派である。
しかし、他の町の人々が遊んで暮らしているのを疑問に思った事もない。
御影達の仕事はこの国では必須であり、そうでないなら無理に働くことも無いという考え方である。
御影の言葉に、月灯は頷いた。
「ーーそうだね。きっとこの国の多くの人が御影と同じ様に考えているだろうし、この祝福された国で、今の暮らしが永遠に続くと信じているに違いないんだ……」
月灯は「でもさ」と続ける。
「龍神に祝福されたアシハラなのに、どうしてこんなにも怪異が跋扈しているんだろうね……?」
「それは……やはりアシハラの富につられて、でしょうか……?」
アシハラーー特に九陰だが、日々おびただしい数の怪異が生まれるのは九陰で得られる莫大な富の対価なのだと、アシハラの民は皆考えている。
しかし、その理解は果たして正しいのだろうか。月灯の銀色の瞳に宿る光は、御影にそう訴えていた。
「怪異は食べられもしない石油や金につられている訳では無いと思うんだ」
「でも、それでは……?」
御影が月灯を見詰め、これまで沈黙を守っている朝陽もまた月灯の次の言葉を待っていた。
「ーーこのアシハラは、もしかしたら祝福された土地なんかでは無いのかもしれない……。
ーー龍神は、好き好んでこのアシハラに富を与えている訳では無い様な気がするんだ」
「ま、待って下さい……。それは建国神話を否定する事になりませんか……!?」
しかも、それを王家に連なる月灯が言っているのだ。御影から見てもとんでもない事を言っている。
「そうだね。こんな事、人に聞かれたら大事だ。
でもね、自分の目で九陰を見て、喜瀬に戻ってからも僕なりに色々な文献を当たって考えてみたんだよ。
僕らが知る建国神話は間違って伝えられたか、もしくは意図的に話を歪められているんじゃないかと思うんだ……」
月灯の言葉に御影は目を見開いた。月灯の話した内容はアシハラの常識を悉く崩すものである。
アシハラの民に少なからず存在する、神に祝福された臣民だという選民意識も否定するものだ。
しかし、顔を青くする御影とは対照的に朝陽の方は先程までとまるで変わらない。
「ーーふーん。何と言うか……九陰中を巡ってお前も一皮剥けたな」
朝陽の言葉に月灯が「からかわないでよ」と口を尖らせる。
「ーーまぁでも、今回九陰中の儀礼殿を巡って、色々と思うことがあったのは確かだし、不可解な事もあった」
「不可解? どういう意味だ?」
「ーー。御影は覚えてると思うけど、僕らが巡ったどの儀礼殿にも奇妙な瓶が置かれていてね」
月灯の言葉に御影も頷く。
「ーーはい。怪異の臓物を満たした、あの瓶ですね。龍神様を奉る儀礼殿にあの様なもの……信じがたいですが、私もこの目で確かに見ました」
「うん。しかも腑に落ちないのが、あれを置くように指示したのは一陽からの遣いだったっていう事だよ」
「お待ち下さい、月灯様。あの瓶は紅波が身分を偽って置いて回っていたものではないのですか? それに二科で紅波本人もそう言ってましたし……」
「それがそうとも言い切れないんだ。巡礼の報告書がてらに一陽に遣いの話を確認したんだ。そうしたら一陽から遣いが派遣されていた事自体は事実だった」
「それは……」
「一陽から遣いが来ること自体はまだ良い……。でもその話が事前に僕の耳に入らないのはおかしいし、もっとおかしいのは遣いの派遣理由を僕が聞いても答えなかったことだ。
実際に瓶を用意したのは紅波だとしても一陽が全く噛んでいないとは言えない……」
苦虫を噛み潰した様な顔で言う月灯。しかし、そんな弟をよそに兄である朝陽は何やら顎に手を当て考えている様だった。
眼下の畳を睨み付ける様な、これまでに無い真剣な兄の面持ちに月灯も目を見張る。
朝陽は何かを言おうと口を開き、結局何も言わずに口を閉じる。
その様子に御影がおずおずと問い掛ける。
「ーー朝陽様、どうかされましたか?」
「あぁ、悪い。何でも無いんだ」
「何も無いようには見えないけど……」
月灯もぼやくが、朝陽は二人を誤魔化す様に笑うのみだった。
「ーー取り敢えず、月灯の考えは分かった。まぁ、だいたい俺もお前と同じ考えだよ。
国外に出てみると、また違った角度からアシハラが見えてくる。当たり前だが、他所の国の方がよっぽどアシハラを客観的に見てるからな。
この国はきな臭いんだよ。
国の中から見たお前と外から見た俺が同じ考えに行きつくなら、それなりに信憑性もありそうじゃないか?」
朝陽の言葉を聞いて、月灯は何かを決心する様に口を開いた。
「ーー他にも最近ようやく分かってきた事があるんだ。御影は知っていると思うけど、僕は九陰で斎宮の位を継いでから連日悪夢を見てる」
はっとなる御影をよそに、朝陽は興味深げな顔をする。
「毎夜毎夜、夢の中に何かが現れて僕を惨たらしく殺していくんだ。八つ裂きにされたり、火焙りにされたり……色々な方法でね。
泣いて許しを請うても、相手は止めてくれないし、僕も辛くて辛くて、最初の内はこんな夢がずっと続くなら死んだ方がマシだとも思っていたよ。とにかく早く目が覚める様にそれだけを考えてた……」
「つ、月灯様……」
月灯が語る内容に御影は戦慄していた。月灯が毎夜悪夢にうなされているのは知っていたが、余りにも惨すぎる内容だった。
そんな青ざめる御影に気付いた月灯は、そっと御影の手に自身のそれを重ねた。
「ーーでもね、御影が毎夜僕の手を握っていてくれる様になって、次の日に御影が隣にいてくれるって思ったら悪夢でも耐えてみせるって思える様になったんだ。
同時に、僕の夢に毎夜やって来る誰かとも向き合おうと思える様になった……。
夢の中にやって来る誰かは怒りとか憎しみとか、そういった負の感情で一杯なんだ。そして、それを毎夜僕にぶつけていっている……」
誰にも助けも求めず悪夢と向き合っていた月灯に、御影は涙が込み上げてくるのを止められなかった。
涙ぐむ御影と、珍しく真剣な面持ちの朝陽が見守る中、月灯は言葉を重ねた。
「ーーあれはきっと龍神だと思う」
「そ、そんな……っ!?」
「……」
月灯の言葉に二人は息を呑む。間違いなく、今日聞いた話の中で最大級の衝撃発言だった。
御影よりも一足早く我に返った朝陽は顎に手を宛て考える仕草をした。
「ーー月灯の言う事が真実なら、余り猶予は無いかもしれない……。
まずは、建国神話の真実を知る所から始めないとな……。俺達が知りたい情報はきっと王都の叔父上ーー皇が持ってる」
真剣な面持ちでそう言った朝陽は、しかし次の瞬間には悪戯っぽい笑みを浮かべてこう言った。
「ーーそれにしても、その年でこんな美人と同衾とか……お前も隅におけないなぁ」




