4-1 御影と謎の軟派青年
数多の困難に見舞われた九陰巡礼を終え、無事に喜瀬へと戻った星乃と御影。
泰菜と幸路は出立前には無かった傷を山程作って帰ってきた御影を見て、前者は涙を浮かべて御影の無事を喜び、後者はその場で卒倒しかけた。
「ーー全く貴女という人は……。しかし、貴女は見事に斎宮殿下を守り抜いた。大した女性です。見直しました」
「当然でしょ、御影は私の後輩よ。これくらい朝飯前なんだから」
「いや、泰菜殿……。貴女が得意気にするのは違うのでは……?」
得意気な泰菜に呆れた眼差しを向ける幸路。御影達が喜瀬を留守にしている間にこの二人も幾分打ち解けた様に見える。
「東海林様、目の下にくまが……。余り眠れていらっしゃらないのですか?」
御影の言葉に幸路が決まり悪そうに自らのくまに触れた。
「あぁ、これは……。別に心配して頂く程のものではないのですよ」
「いやいや、何言ってんですか。斎宮殿下が抜けた穴を埋める為に限界以上に仕事を引き受けてるって噂、私も聞いてますよ」
泰菜の言葉に御影は納得した。
御影や星乃が喜瀬の外で戦っていた間、泰菜や幸路、松江等もこの斎宮殿で戦っていたのだ。
特に幸路は星乃がいない間、郡領としての職務の多くを担っていた訳でその心労は相当なものに違いなかった。
「ーーまぁでも、斎宮殿下が戻って来て下さって良かったじゃないの。これであんたも少しは休みなさいよね」
「そう、ですね。斎宮殿下も熱心にお務めに向かわれていますし、これからは私も元通り補佐に戻らせて頂きますよ」
「……」
御影としては星乃には暫く静養して欲しい所だったが、各地を巡っている間に溜まった膨大な仕事はそれを許してはくれず、星乃は誰に言われる事もなく自らの務めに戻っていった。
(いいえ、それだけじゃないわ……)
喜瀬に戻った星乃は此処のところお務め以外に別の事でも忙しくしているのだ。
御影は最近の星乃を思い、胸中で溜め息をついた。
*****
「ーー月灯様、お茶をお持ち致しました」
「ん。有り難う、そこに置いておいて」
茶器を手にした松江がそう声を掛けるが、部屋の主である星乃ーー月灯は手元に置かれた書物から視線を外さない。
「またお調べごとですか?」
「うん。郡領の仕事も斎宮の仕事も今日の分は片付けてあるよ」
「左様でございますか」
要は「自由時間なんだから好きにさせてくれ」という事だろう。
松江は茶の仕度をしながら幼い主を盗み見る。
御影を伴って月灯が無事にこの喜瀬に戻って来た事を知った時は、松江は顔には出さなかったものの心の底から喜んだものだ。
話しによれば巡礼の最中かつて喜瀬を混乱に陥れた紅波との遭遇など気の休まる暇も無い旅だったと聞く。
喜瀬に戻った月灯は郡領として、斎宮として、日々膨大な仕事をこなしている。
(お務めの合間くらい、休息を取って頂きたいのですが……)
しかし、松江の望みとは異なり月灯は空いている時間を見付けると、書庫に籠って何やら調べものをする様になった。
更には斎宮殿の書庫だけでは足りないのか、御影に命じて市井で書物を探させている様である。
*****
(ーー良かった。星乃様がおっしゃっていた書物、何とか手に入ったわ)
御影は多くの人が行き交う喜瀬の町を、書物を抱えて歩いていた。
町を歩くのに普段の女房装束は浮き過ぎる為、今の御影は黄色の小袖に深緑の袴だけを身に付けている。髪も邪魔にならない様に二つに結んだ。
町には甘味を出す店も多くある。流石斎宮のお膝元だけあってどの店も立派で洒落ている。
(ーー星乃様とこういう所に来れたら、きっと楽しいわね……)
店先で並んで甘味を食べる自分と星乃を想像した所で、御影は一瞬頭に浮かんだその考えを慌てて振り払った。
(ーーって、何を考えているのよ。私は只の側仕えの巫女じゃない……。幾ら星乃様が私を気に入って下さっているからって、星乃様からしたら私は年上過ぎるし、身分だって……)
そこまで考えて、御影は自分が落ち込んでいる事に気付いた。
(ーー私、もしかして落ち込んでいるの……? どうして……)
最早御影には自分が分からなかった。
(ーー駄目よ。今はとにかくこの本を星乃様の所へ届けないと……)
胸に抱える書物の名は『まるごとアシハラの伝説』である。
表紙には「アシハラに伝わる恐怖の化け狐」やら「龍神と乙女の恋物語の真実」などなど何やら眉唾な単語が並んでいる。
勿論、星乃所望の品である。
書店を何軒か回り、何とか入手出来た品だった。
御影が安堵の溜め息をついた所、前方から三人組の男がこちらに歩いて来るのが見えた。
男達の視線が自分に絡み付いてくるのを感じ、御影は嫌な予感がした。
そして、残念ながらその予感は当たってしまった様だった。
「ーーよぉ、姉ちゃん。えらい別嬪じゃねぇか」
「ちょっと俺らと遊ぼうや」
「へへっ。良い身体してんなぁ、姉ちゃんよぉ……」
男の一人が御影の肩に手を掛ける。下卑た視線が自分の身体を舐め回す様に見ている事に、御影は嫌悪感でどうにかなりそうだった。
(ーーどうしてやりましょうか……)
忍である御影に掛かれば、こんなゴロツキ一溜りもない。
御影がゴロツキ共に足払いと膝蹴りをお見舞いしてやる事を決めた時ーー。
「ーーおいおい、あんたら。その娘、どう見ても嫌がってるぜ。離してやれよ」
御影の後方、随分軽い調子の男の声である。
振り返って見れば、そこに立っていたのは恐らく御影よりも少しばかり歳上と思しき青年であった。
着物に羽織だけの着流し姿という飾らない装いでも様になる、すらりと背の高い美青年である。
(ーー星乃様と同じ、綺麗な黒髪だわ)
肩に掛からない程度の長さの黒髪に、金色の瞳。
青年の瞳には何やら愉しげな光が宿っているが、当然ながら邪魔をされたゴロツキ達は面白くない。
「ーーあぁん!? 何だてめぇ、関係ねぇ奴はすっこんでな……っ!!」
「そうだぞ、このひょろいガキが……っ!!」
「さっさと失せな……っ!!」
口々に言うゴロツキ達だが、青年は涼しい顔でそれを聞き流すと次の瞬間には意地の悪い笑みを浮かべた。
「ーーあはは。でも、その娘……あんたらみたいなイケてない奴はお呼びじゃないってよ。せめて俺ぐらい男前になってから出直しな」
終いには青年は「まぁ、つまり一回死ななきゃ駄目ってこった」とまで言ってしまった。
(ーーこ、この人……何て挑発の仕方を……)
開いた口が塞がらない御影をよそに、煽られたゴロツキ達は青筋を浮かべるや否や、御影を突き飛ばすと眼前の青年に突っ込んで行く。
「ーーてめぇ、調子に乗りやがって……っ!!」
「ぶっ殺してやらぁ……っ!!」
「ーーしゃあっ、コラァっ!!」
一方の青年は変わらぬ調子で笑っている。
「あははっ。本当に単細胞だなぁ、あんたらっ!!」
数分後……通りには青年によって伸された男達が転がっていた。
完全に意識も飛んでいる様で、これなら暫くは目覚める事も無いだろう。
「ーーあの、先程は助けて頂いて有り難うございました」
「いやいや、困っている女の子を助けるのは男として当然の事だ」
深々と頭を下げる御影に青年は朗らかに笑った。
ふと、青年が何かに気付いた様に声を口を開く。
「ーーん? ーーあぁっ、それってまさか『まるごとアシハラの伝説』!?」
「えっと、はい……そうですけど」
「いやぁ……実はその書物、俺も探してたんだよ」
「そ、そうなんですか……。あの、すみません……この書物は人からの頼まれ物なので、お渡しする訳には……」
「あぁ、大丈夫。流石にその本を寄越せなんて言わないよ。
でもさ……俺が探してる書物を偶然助けた君が持ってるなんて……こんな偶然ってある?」
「え?」
何やら雲行きが怪しい……。御影がそう思う中、目を輝かせる青年は更に言葉を続ける。
「ーー最早これって、運命の赤い糸の為せる技に違い無いよ。もしかして君って寂しい俺の為に天が遣わした藤の花の精だったりしない?
いや、ほんとに君って俺の好みど真ん中だし……良かったら連絡先、教えてくれない?」
青年は小首を傾げて甘い声を出す。その辺の年頃の娘ならころっといきそうだが、残念ながら御影はそうはならなかった。
(な、何なの……この人も新手の軟派男じゃないの)
「ーーあのっ!! 助けて頂いた事には感謝致しますが、あいにく急いでいますのでこれで失礼致します……っ!!」
御影は強い口調でそれだけ言うと、まだ何か言おうとする青年を振り切ってその場を去るのだった。
お読み頂き有り難うございます。ここから新章開始となります。また新しいキャラも増えますので、楽しんで頂けたら幸いです。




