1-4 御影と南雲と若葉
「ーーおい、御影っ!! 斎宮付きの巫女になるという話は本当なのかっ!?」
半ば馴染みの場所となりつつある溜め池のほとりにて、御影に掴みかかりそうな勢いで南雲が言う。
「み、耳が早くていらっしゃいますね……。ですが、その通りです」
御影の言葉に南雲は目元を押さえた。
四乃郡を預かる橘家の若君である南雲が、一月も空けずに里を訪れるのは珍しい。
凪に戻ってすぐ耳に入った風の噂が、彼を此処まで駆り立てたらしい。
「ーー斎宮の巫女など断れ、御影」
絞り出すような声音で南雲が言う。茜色の瞳が揺れている。
斎宮の巫女になってしまえば、最早御影は南雲にも手の届かない存在になる。
「ーーそれは出来ませんよ、王家の命ですから」
南雲とて分かっている筈だ。斎宮が御影を寄越せと言うのなら、アシハラの民としてその様にするしかない。
南雲は唸ると、何かを考えるようにきつく目を閉じた。何か手立ては無いか、必死に考えを巡らせているのだろう。
しかし、何も妙案が浮かばなかったのか、南雲は微かに俯いた。茜色の髪が南雲の表情を隠す。
「ーーお前は、斎宮の巫女がどういうものか知っているのか。好きな男が出来ても添い遂げる事も出来ず、一生斎宮の飼い殺しだぞ」
「はい、ちゃんと分かっているつもりです」
「……」
「ーー南雲様。斎宮はアシハラの多くの民の為に、命を削って日々祈りを捧げて下さるのだそうです。怪異を鎮める為に、自由も無く、自分の人生も全て捧げて……。斎宮の短い一生はとても哀しいものだとは思えませんか?」
何も言わない南雲に、御影は更に言葉を重ねる。
「そんな斎宮が私を求めて下さっているのなら、その様にしたいと思うのです。少しでも斎宮の癒しとなれればとーー」
しかし、御影は最後まで言葉を紡ぐことは叶わなかった。
不意に南雲に腕を強く引かれ、御影は南雲の腕の中に閉じ込められたのだ。
「ーーな、南雲様……っ!?」
驚いて南雲の腕の中から逃れようとする御影を、しかし南雲は腕に力を込めて制止した。
「ーーうるさい。少し大人しくしておけ。これが、最初で最後だから……」
「……」
永遠にも思える寸刻の後、南雲は名残惜しげに御影を解放した。
「ーー御影。お前は馬鹿な女だ。でも、お前のそういう所に惚れたのかもしれない……」
南雲は泣き笑いの様な顔でそれだけ言うと、御影に背を向けて溜め池を去って行った。
残された御影は、熱くなった顔を冷ますべく、溜め池の水で顔を洗うのだった。
*****
里を出立する南雲を見送った後の事。
里の飼い犬である大和丸と戯れる御影の元に歩み寄る人影があった。
「ーー御影」
鮮やかな緑の髪と瞳。若葉である。
「ーー御影。あんた、斎宮の巫女になるって本当なの?」
「本当よ」
大和丸を撫でながら事も無げに言う御影に、若葉は唇を噛んだ。
「ーーあんた、どうしてずっと南雲様の求婚を受けなかったのよ。あんたが南雲様の求婚を受け入れていたら、斎宮があんたを巫女にだなんて言ってくる事も無かったでしょうに……っ!!」
まるで堰を切った様に、若葉から思いの丈が吐き出される。
「あんた、まさか今まであたしに気を遣って求婚を断っていただなんて言わないでしょうね……っ!? そんなの嬉しくも何とも無いし、あんたが手の届かない場所に行く位なら、南雲様とくっついてくれた方がよっぽど良かったわよ……」
全て言い切った、若葉はまるで箍が外れた様にぼろぼろと大粒の涙を溢し始めた。
「若葉……」
「ーーうちの父親から聞いたわ。斎宮殿に上がった巫女は俗世から隔離されて、会うことすら難しくなるって……。あたし、そんなの嫌よ……」
御影は嗚咽の止まらない若葉をそっと抱き締めると、静かに言葉を口にする。
「ーー若葉、聞いて。求婚を断っていた理由に若葉の事が無いかって聞かれたら、それは嘘になる。南雲様が良い方だっていう事は十分に分かってるつもり。それでもね、私には若葉程の強い気持ちは無いんだもの」
「御影……」
「斎宮の巫女になるって決めたのも、ちゃんと私の意思なのよ。命を削ってアシハラの民の為に祈って下さる斎宮を少しでも支えてあげられたらって思うのよ」
御影の肩口に顔を埋めながら、御影の言葉に耳を傾けていた若葉は、やがて諦めた様に小さく笑った。
「ーーそうよね。あんたは昔からそういうやつだったわ」
顔を上げた若葉は何処か憑き物の落ちた様な顔で晴れやかな顔をしていた。
「でも、あんたのそういう所は嫌いじゃないわ。斎宮のお姫様をあんたなりに支えてやりなさい」
「ーーうん」
遠く離れていても自分達の友情は消えない。少女達の胸にはそんな確かな想いがあった。
これにて一部完結、次回より二部の斎宮殿編となります。ここまで読んで頂き有り難うございました。感想、評価等頂けると励みになります。