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3-10 二科事変(四)

 時は少し巻き戻る。


 「ーーこのままでは皆がやられてしまいます……っ」


 視線の先では今も御影や渋滝、郡兵達が紅波を相手に死闘を演じているが、その戦況は星乃の目にも明らかにこちらが劣勢だった。


 「ーーアージェント殿っ。先程のあの技をもう一度使うことは出来ませんか!?」


 星乃の言葉に当人達よりも奉太朗や護衛の巫女達が驚きの声を上げる。


 「さ、斎宮殿下。何を仰るんですか……っ」


 「そうです。先程まであんなに立っているのも辛そうだったではありませんか……っ」


 心配する奉太朗達を静かに制し、星乃はアージェントを見据えた。


 「お願い致します、アージェント殿」


 「ーー私は構いませんが……皆さんも仰られている様に、お辛いのは斎宮殿下ですよ?」


 「構いません。わたくしに出来るのはこれだけなのです。わたくしの神通力が枯れるまで使って下さって構いません……っ」


 「ーー承りました」


 星乃の真剣な眼差しに折れたらしいアージェントは苦笑すると先程と同様に杖を構えた。


 「では斎宮殿下。祝詞の奏上をお願い致します」


 アージェントの言葉に強く頷くと、星乃は再び龍神への祈りを捧げ始めーー程なくして、アージェントが杖で地面を突いた。






 先程と同等、あるいはそれ以上の密度で星乃の清浄な気が辺りへと拡散されていく。


 朗々と謳い上げる星乃だが、その顔は次第に色を無くしていく。


 気丈に己の役目を果たそうとしている星乃だが、アージェントから見ても既に相当な無理をしているのは明白だった。


 神通力とは生命力に他ならない。使用すれば肉体や精神の疲労として蓄積され、通常ならば睡眠や食事等で補えるが過度な使用はそうとはいかない。


 (本当に枯れるまで神通力を使ってしまえば命に関わりますが、実際にはその前に脳が警鐘を鳴らして気絶という事になるんでしょうかね……。


 まぁ、流石にそうなる前にこちらで止めなければなりませんが……)


 出来ればその前に御影達が紅波を押さえてくれたら良いのだが……。


 星乃の様子を気にしつつもアージェントは前方、御影達の方へと視線を向けーーはっとした。


 紅波の姿がない。


 アージェントが理解すると同時に眼前に音もなく人影が立った。


 その、たなびく金糸の髪と紅玉の瞳はーー。


 突然の事に星乃の奏上が止まり、奉太朗や巫女達からは悲鳴が上がった。


 「ーー毛色の違う羽虫がいるな。これはお前の入れ知恵か」


 「斎宮殿下には御恩がありますので。それにこの様に可憐な姫君が困っているのなら、それを助けないなど男として余りにお粗末でしょう」


 「結構なことだ」


 紅波がこちらへと扇子を向けるが、アージェントが咄嗟に星乃を背後に庇う。


 それとほぼ同時に紅波の背後から飛び出した人影が小太刀を振り下ろす。


 御影である。


 「ーーお前の相手は私でしょう……っ!!」





*****


 「は。思いの外早かったか」


 舌打ちしつつ紅波は御影の小太刀を扇子でいなすが、その直後ーー渋滝の正拳突きが紅波のみぞおちに入っていた。


 紅波の顔が微かに歪む。紅波に初めてこちらの攻撃が通った瞬間だった。


 「……っ!!」


 「お前さん、だいぶ動きが鈍くなっとるの」


 「老いぼれめ。半分棺桶に足を入れている様な分際でやってくれる」


 「わしゃあ生涯現役じゃて。年の功を舐めるなよ、若造」


 紅波と煽りの応酬を繰り広げる渋滝だが、ふいに御影へと視線を送った。


 渋滝の視線を合図と受け取った御影は瞬時に印を組む、がーー。


 「ーーさせんよ」


 「ぐぅっ!!」


 紅波によって放たれた不可視の刃が御影を切り刻む。


 しかし次の瞬間、紅波は一瞬動きを止めた。


 不可視の刃を受けた筈の御影がたちまち立ち消えたのだ。


 「ーー分身だったか。やってくれる」


 そこへすかさず渋滝が飛び蹴りを仕掛ける。


 「余所見とは余裕じゃの……っ。こっちの相手もしてくれや……っ!!」


 「ふ、老いぼれが……っ」


 舌打ちしつつ渋滝の攻撃を両手で受ける紅波。


 その隙を逃さず隠形で姿を消していたもう一人の御影が現れると同時に、右手に構えたクナイを紅波へと突き刺す。


 「ーーっ!!」


 「ーーはぁっ!!」


 御影の気迫に気圧されたかの様に、紅波が驚愕に目を見張る。


 「嬢ちゃん……っ!!」


 渋滝の声に応じる様に、御影はありったけの神通力をクナイに込めーー流し込まれた神通力は凍てつく冷気となって御影ごと紅波の動きを封じる氷牢となった。


 「渋滝様、今です……っ!!」


 「応……っ!!」


 渋滝が郡兵から拝借した槍を構えるのを見て、二人の策を悟った紅波が眼前の御影を睨んだ。


 「小娘、貴様……っ!!」


 「絶対に離さない……っ!!」


 決死の形相でクナイに力を込める御影に、紅波が舌打ちをしーー次の瞬間、渋滝の槍が御影ごと紅波の身体を貫いた。






*****


 「ーー御影……っ!!」


 巫女達が青ざめる中、星乃が絶叫する。


 視線の先では御影が紅波もろとも渋滝の槍で貫かれている。


 「そんな、嘘だ……」


 銀色の瞳に絶望の色が浮かぶ。


 そんな中ーー。


 「え……っ!?」


 涙で滲む星乃の視界、その中で槍に貫かれていた御影の姿が煙の様に立ち消えたのだ。


 その直後。


 「ーー良かった。上手くいった様ですね」


 背後から聞こえて来た馴染み深い声音に、星乃は弾かれた様に振り返った。


 「御影……っ!!」


 「はい、御影です。星乃様」


 ぼろぼろの身体で薄く笑む御影に、星乃は今度は安堵で涙がこみ上げるのを感じた。


 「ーーいやはや、あの御影さんも分身体だったとは……。これは一本取られましたな、ははは」


 「え、えっと……? ぼ、僕は本当に御影さんがお館様に……こ、殺されてしまったかと……っ」


 その横ではアージェントが感心した様に頷いており、更にその横では奉太朗が未だ状況を呑み込めていない様にあたふたしている。


 「驚かせてしまいすみません。事前に渋滝様と打ち合わせていたのですが、ひとまず上手くいったようで安心致しました」


 そう言った御影は少し肩の荷が降りた様に見えて、星乃も安堵した。


 しかし、御影が無事だと分かった途端に今度は理不尽な怒りがふつふつと星乃の中に込み上げて来る。


 「『良かった』じゃないよ……っ」


 「ほ、星乃様……?」


 「僕は御影が……っ。本当に死んじゃったんじゃないかと思ったんだから……っ」


 思わず素になる星乃に周りの巫女達が目を白黒させる中、御影が慌てて宥める。


 「ほ、星乃様。素が出ておられますよ……っ」


 「ーーっ。」


 御影に耳打ちされ、星乃は居ずまいを正す。


 「ーーと、とにかく。本当に心配したのです……それだけは分かって下さいますね、御影」


 「はい、星乃様。御心配をお掛けしてしまい申し訳ございません」


 顔を赤くする星乃に御影が表情を緩めたところで、傍らに立っていたアージェントが口を開いた。


 「ーーあのー。あちらは大丈夫なんでしょうかね?」


 アージェントが指差す先にはその名通りの渋い顔の渋滝がいた。






*****


 渾身の力を込めて御影もろとも紅波の身体を穿った渋滝だったが、その槍の感触は渋滝に奇妙な違和感を伝えていた。


 さらに、渋滝は瞬間脳内に響いた声音に顔を歪ませる。


 『ーーくく。中々楽しめた、礼を言おうか』


 それは間違えようもなく寸前まで命の取り合いをしていた男の声。


 「ーーっ!?」


 咄嗟の事に渋滝は次にどう動くかを考えるが、その一瞬の逡巡の間に槍に穿たれていた金糸の髪の男は、たちまちの内に変容していく。


 「おいおい、こりゃどういう……」


 本質は知れないが見掛けだけは確かに人の成りをしていた筈の紅波の身体が今や土塊の人形と化し、その場に残された渋滝は眉をひそめる事しか出来なかった。






*****


 「おう、皆。とにかくこいつを見てくれや」


 渋滝の言葉に一同がそれを確認するが、そこにあったものは中々に信じがたいものであった。


 「これは……気味が悪いですね」


 アージェントのぼやきに御影も頷く。


 「そうですね……」


 身に付けた着物や金の髪はそのままに土塊の人形と化した紅波。紅い瞳があった筈の場所はぽっかりと空洞になっており、より一層不気味さを醸し出していた。


 「よ、よく分からないですが……これもお館様と御影さんの華麗な会わせ技の賜物ですよね。流石、お館様です……っ!!」


 「んな訳あるか、この馬鹿もんが……っ。分からん言うなら黙っとれや」


 興奮気味な奉太朗の頭に拳骨を落として渋滝が腕を組む。


 「槍をぶち込んだ時、何とも言えん妙な違和感があった。おまけにすぐにあの男の声がわしの頭に響いて来よる」


 「声、ですか?」


 「おう。『中々楽しめた』だと。全く舐められたもんじゃ。


 ーーで、お前さん等はこれをどう思う」


 渋滝の言葉に御影が口を開く。


 「渋滝様が仰る通りだとすれば、紅波には逃げられてしまった……という事でしょうか」


 「ふむ。逃げられた、というよりも元より本体で無かった可能性の方が高いやもしれませんね。最悪、あちらは何の痛手も受けていないやも……」


 「こちらは命からがらだと言うのに……何ともな嫌な話ですね」


 悔しげに唇を噛む御影を励ます様に星乃が言う。


 「紅波は何をしでかすか分からない危険な相手です。ひとまずは皆無事であったこと、本当に嬉しく思います」


 「星乃様……」


 星乃は御影に薄く笑んで見せるとそのままアージェントや渋滝、郡兵や巫女達をひととおり見渡した。


 「それにこれまで儀礼殿に置かれていた怪異の瓶は皆のお陰で失くす事が出来ました。斎宮として郡領として感謝致します。


 あの紅波が一陽の遣いを名乗っていて事を含め、まだ分かっていない事も多いですがそれはまた後で考えるとしましょう」


 星乃の言葉に一同が頷く。


 紅波との結末は何とも歯切れの悪いものとなってしまったが、星乃の言う通り死人も無く皆生き延びる事が出来たのだ。


 (そうよね。結果としては上々だわ……)


 御影は小さく息をついた。


 「……っ」


 驚異が去ったと思った途端、気が緩んだらしい。身体中に出来た傷が自己主張を始めた。


 「御影、大丈夫ですか?」


 「だ、大丈夫です。星乃様」


 心配そうに顔を覗き込んでくる星乃に、御影は慌てて笑顔を作る。


 「わはは、嬢ちゃんは強がりじゃの。あの金髪の若造の見えない攻撃を一番喰らっとったし、本当に大したもんじゃわい。奉太朗にも嬢ちゃんの半分の半分でも勇ましさがあればのぉ」


 盛大に笑う渋滝に、奉太朗が泣きそうな顔をするのをよそにアージェントが頭を掻きつつ口を開いた。


 「ーーそれで皆さん、これからどうされます? 生き延びたは良いものの全員満身創痍ですよね。斎宮殿下も先程の戦いで消耗されている筈ですし」


 「そんな、わたくしは……」


 自分は大丈夫だとでも言うように星乃が身振り手振りで示そうとするのを、渋滝が笑いながら制止する。


 「ははは、そうじゃの。姫さんも休ませてやらんといかんし、これ以上二科におってもどうにもならん。


 奉太朗、確か此処から近場に村があったな?」


 「はい、お館様。確か此処から徒で数時の所の筈です」


 「おし、ひとまず皆そこを目指すとするかの。嬢ちゃん。傷だらけの所悪いが、もう暫く道中の警戒を頼めるか」


 渋滝の言葉に御影は強く頷いた。


 「はい、お任せ下さい」






*****


 廃村の二科を出立した一行は奉太朗の言葉通り数時の移動で里美村へと辿り着いた。


 突如現れたぼろぼろの斎宮一行に里美の村長は酷く驚いたが、旅の経緯を聞いた長は快く一行を受け入れ宿の手配等まで引き受けてくれた。


 その後数週間の休息を取り身体を癒した斎宮一行は二科で縁を結んだ渋滝らと別れ、最後の巡礼地へ向かって旅を再開するのだった。

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