3-9 二科事変(三)
まるで物見遊山から戻って来たかの様な体の紅波に、御影や星乃は警戒感を露にする。
「ーー紅波っ!!」
「そう大声を出すな。空気が悪過ぎて気分が悪い」
そう言って着物の裾で鼻と口を押さえる紅波に、渋滝が怪訝な目を向ける。
「空気が悪い……? わしからすりゃあこんなに上手い空気は滅多に無いんだがなぁ」
「ーーくく。お前達も薄々気付いているだろうに。只の人間に人間を怪異に変える様な真似が出来るとでも?」
「なんじゃ、お前さん。人間にしか見えんが、怪異なのか」
「さて、どうかな。気になるならば私を捕らえて調べてみてはどうか?」
「言われずともそうさせて貰うわ……っ」
巫女やアージェントが星乃を後方へと誘導するのを視界の端で捕らえた御影は渋滝が前に出る間際、印を組みながら渋滝に耳打ちする。
「一つの場所に留まらず、常に動き続けて下さい」
「? よう分からんが了解だ」
以前御影は紅波の不可視の刃による攻撃で負傷している。御影の動体視力をもってしても攻撃動作を察知する事すら出来ずの敗北である。
姿を消しての奇襲も意味を成さなかった事を考えれば、現状御影達に取れるのは数で相手を撹乱する事だけだ。
既に紅波の情報を得ている郡兵達も足を止めずに紅波との距離を図っている。
(正直、具体策も何も無いまま仕掛けるなんて無謀が過ぎる……)
威勢よく仕掛けようとはするものの、対紅波ではこちらが劣勢である。
この人数差でも余裕な態度を崩さない紅波がそれを証明している。
(でも此処で退くわけにはいかない……っ)
九陰での紅波を知る郡兵達も皆御影と同じ思いだろう。
結局、今の御影達に取れる戦術は肉を切らせて骨を断つ覚悟と捨て身の行動でしかない。
忍術で作った分身と共に紅波へと駆け出した御影だが、次の瞬間に微かな違和感を覚えた。
「ーーっ!?」
自身の周囲の空気が振動する様な奇妙な感覚に、御影の本能が警鐘を鳴らす。
咄嗟に右に飛んだ御影は次の瞬間に自分のいた場所を幾つもの見えない刃が切り裂いているのを見た。紅波の不可視の刃である。
御影が違和感を感じてから不可視の刃が発生するまで、瞬きよりも短い間の出来事だった。
「皆、空気の振動に気を付けて……っ!!」
御影の叫びに、渋滝や郡兵が応じる。
一方で今の状況に一番驚いているのは当の紅波であったが、退避する星乃に視線を向けると納得した様に一人ごちた。
「なるほど……この場のせいか。おそらく斎宮の仕業だろうが、こんな真似まで出来るとは想定外だな。少しお前達の事を過小評価し過ぎていたかもしれん……」
勿論、御影も紅波と同じ結論に至っていた。
(ーー星乃様のお力のお陰だわ。場に満ちている星乃様のお力が紅波を弱めているんだわ……っ)
先程アージェントが話した通りの事が起きているのだ。
視界の端では渋滝も先程の御影と同様に紅波の不可視の刃を躱していた。
忍である御影にもひけを取らない動きはとても老体とは思えない見事なものだ。
一方で郡兵らの動きは御影や渋滝に比べれば数段落ちるものであり、致命傷まではいかないもののの紅波の不可視の刃で負傷する者も多かった。
(ーー長引けばこちらが不利ね。動ける人間が多い今の内に仕掛けるしかない……っ)
そんな中、郡兵の数人が紅波のすぐ側まで接近する。
「ーー大人しく縛に就け!!」
「仲間の仇……っ!!」
それぞれが手にした捕り物用の短棒を手に紅波へと向かっていく。
「棒切れで向かって来るとは呆れた連中だ。彼我の差を測る事すら出来ないらしい」
紅波は冷めた口調でそう言うと帯に挿さっていた扇子を引き抜き、開いたそれで郡兵達を軽く扇いだ。
「ーーなっ!!」
次の瞬間、強烈な風が巻き起り郡兵らを上空へと巻き上げる。上空で身動きも取れずに悲鳴を上げる郡兵達へ紅波が扇子を向けた。
「させないっ!!」
「そぉらあ……っ!!」
御影と渋滝の攻撃。
「ーー全く忙しない事だ」
扇子を収めた紅波はそれをあっさり躱しつつ後方へ飛ぶが、そこには御影の分身が位置取りしていた。
「ーーはぁ……っ!!」
「峰打ちのつもりか。格上相手にする事ではないな」
振り下ろされた小太刀を指二本で挟み取った紅波は笑いながらそう言うと、その指に力を込める。
「ーーっ!!」
いとも簡単に砕けた刀身に御影の顔が強張るが、ほぼ同時に繰り出された足により御影の分身は本体の側へと蹴り飛ばされていた。
御影が分身の術を解くために印を組むが、紅波はその隙を見逃さない。
「そろそろ仕舞いか?」
「ーーぐぅっ!!」
紅波の不可視の刃である。
御影の全身を鋭い痛みが襲うが、御影はそれに怯まずすぐさま次の攻撃体制に移る。
(ーー走焔っ!!)
御影の手元から放たれた三本のクナイは空中で火を纏い敵目掛けて飛んでいくが、そのどれもがあえなく叩き落とされる。
「嬢ちゃん、無事か……っ!!」
「大丈夫、です……っ」
渋滝にそう返答した御影は、呼吸を整え痛む身体を叱咤する。
(大丈夫、まだ大丈夫よ……)
全身血塗れだが、まだ立っていられる。星乃の神通力により紅波の不可視の刃もぎりぎり耐えられる所まで威力が落ちているらしい。有難いことだ。
(ーーでも、流石に次に喰らったらもう立ってはいられないわね……)
そう考えつつ痛む腕で小太刀を握り、次の一手に移る。
やはり紅波の攻撃で一番恐ろしいのはあの不可視の刃だ。しかし、どうやらこちらが攻撃を仕掛けている間は不可視の刃は飛んでこない。
ならば攻撃の手を休めず、現状を打開する一手を考えなければならない。
郡兵達は皆満身創痍。実質残る戦力は御影と渋滝のみだ。
(分身を作るのも後一回が限度かしらね……)
御影がそう考えていた、その時ーー。
(ーーえ、これって……っ)
身体が軽くなり、傷の痛みまで引いていくかの様な感覚。
その一方、紅波は顔をしかめている。
「これは……」




