3-8 二科事変(二)
「ーーアージェント殿っ!! 危ないですから前には出ないで下さいませっ。奉太郎殿もですよ……っ」
星乃の叫びに奉太郎がびくっと肩を震わせるのと同時に、アージェントは前方で剣を交える九陰郡兵と一陽の遣い達を眺めた。
「ーー何でしょう。こちら側はどうも思うように戦えていない様な、動きに迷いがあるように見えますね」
アージェントの言葉に星乃が目を見張る。
「わ、分かるのですか?」
「まぁ、何となくですが……。皆さんの動きがこれまで見てきたものよりもぎこちないですよね」
「さ、斎宮殿下……。僕らがいない間に一体何が……?」
現状を飲み込めていない奉太郎の為に星乃が口を開く。
「実は……」
「ーーなるほど。儀礼殿に例の瓶を置いて回っていた張本人が皆さんの前に現れてお供の者達をけしかけていったと……そういう訳ですな」
「は、はい……」
「そうして……おそらく操られているだけの罪の無い民草の命を奪うことは出来ないと……」
「えぇ、その通りです……」
「で、でも現状はどう見ても僕らが劣勢ではないですか……っ!? 力で押されている状況で相手を傷付けずに自由を奪うだなんてそんなこと……っ」
奉太郎の言葉に星乃が唇を噛んだ。
奉太朗の言う通りだった。それでも御影や渋滝らは星乃の意を汲んで何とか相手を止めようとしている。
そんな中、星乃は自らを呼ぶアージェントの声に我に返った。
「ーー斎宮殿下」
「な、何でしょう」
「儀礼殿で見せて頂いた祈りをもう一度見せて頂けませんか?」
「え、い、今ですか……?」
「ア、アージェント殿っ。この様な時にいったい何を言っているんですかっ」
突拍子も無いアージェントの言葉に星乃が困惑し、奉太朗が眉をひそめる。
しかし、当のアージェントは大真面目な顔でなおも言った。
「良いですか、斎宮殿下。目に見えているものだけが真実とは限りません。
それに斎宮殿下は今、御影さん達が追い詰められていると感じて思考する力も鈍っておられる」
「え……」
「神通力はそれそのものが怪異に対して有効な力ですが、斎宮殿下のそれは特に穢れというものを祓う事に特化している様に見受けられます。
まぁまぁ、騙されたと思って私の言う通りに……」
片目を閉じて茶目っ気のある笑みを浮かべるアージェントに、星乃は目を閉じる。
「ーーかけまくもかしこき白き龍神。天にまします尊き御方よ。我は斎宮、運命の乙女の血をひくもの。我が声届きし時、アシハラを覆う禍事、罪、穢れを祓い、その威光で此の世のすべからくを照らし給わんと……」
朗々と歌い上げる様な声音で祝詞を奏上する星乃に、横にいた奉太朗だけでなく御影や渋滝、郡兵らもその意識を誘引される。
そこで星乃の奏上を見守っていたアージェントが何処からか取り出した杖で地面を軽く突く。
するとまるで星乃の祝詞がその場一帯に響き渡ったかの様に、清浄な気配がその場に満ちた。
しかし、場に満ちた清浄な気配に御影達の緊張が解れたと同時に場にはある変化が起きていた。
「ーーなっ!?」
「なんじゃあ!?」
御影や渋滝、郡兵らが愕然とする中、遣い達の姿が変容する。狩衣に外套を着込んでいた筈の男達の容姿は瞬く間に骨と皮だけの小鬼の様な成りに変わっていった。
醜悪なその様は紛れもなく怪異そのもの。
(人が、怪異に……っ!?)
眼前で起きた出来事に御影が息をのむ。
(いいえ、違うわ……っ。元々怪異だったものが人に化けていただけ……っ)
御影が理解すると同時に、後方からアージェントの声が掛かる。
「さぁ、皆さん。これでもう手加減は無用でしょう。更に斎宮殿下の祈りが続く間、この場は皆さんを高める舞台となってくれます」
アージェントの言葉に御影達ははっとなる。
(ーーさっまでの疲れが嘘みたいに消えている。それに何時になく身体が軽い……っ)
御影が後方の星乃に視線を向けると、そこでは今も祝詞を奏上する星乃の姿があった。
(星乃様……っ)
「ーー嬢ちゃんっ。よく分からんがあの白黒兄ちゃんの言う通りだ。今ならこっちが優勢だ……っ」
渋滝の声に御影も力強く頷く。
「えぇ、畳み掛けましょう……っ」
「破魔一閃・昇炎猛火……っ!!」
場に満ちる星乃の神通力に後押しされるかの様に、御影の振り抜いた小太刀から迸った火花は大きな火柱となって小鬼数体を巻き込んだ。
御影は瞬く間に塵となった小鬼達から視線を外し、辺りを見回す。
右では渋滝が強靭な拳で小鬼の頭部をかち割り、左では郡兵達が連携を取りながら小鬼を圧倒している。
最早郡兵達も御影の援護なしでも問題無さそうだ。
(これならいけるわ……っ)
清浄な気配に包まれ万能感にも似た感覚を得た御影は、想像を越えて自由に動く手足でもって戦場を軽やかに舞った。
渋滝や郡兵らも同様に次々と小鬼を打ち倒し、遂にはその場に立っているのは人間のみとなった。
こちらの勝利である。
郡兵らが安堵の溜め息をついたのと同時に、御影は自分達を勝利へと導いた斎宮へと視線を向けた。
見れば星乃の身体がぐらりと傾ぎ、傍らに控えていた奉太朗に支えられる所だった。
「星乃様……っ」
声を上げた御影がたまらず駆け寄れば、星乃は疲労を滲ませつつも微笑んで見せた。
「御影、流石ですね。渋滝殿も、郡兵達も本当によくやって下さいました」
「そんな、全て星乃様のお力のお陰です……っ」
「いいえ、わたくしはただ神に祈りを捧げていただけです。それでも、少しでも皆の力になれたのなら本当に良かった。どういった仕組みなのかは分かりませんが、アージェント殿がその様にして下さったのですよ」
星乃の言葉に御影を始め渋滝や郡兵らもアージェントへと顔を向けると、当のアージェントは困った様に頭を掻いた。
「いえいえ、私はただ斎宮殿下のお力を辺りに撒かせて頂いただけですから。
先程も申しましたが、斎宮殿下のお力は穢れを祓う事に特化しておられる。
更に言えば祈りを捧げる際に無意識に発しておられる神通力は混じり気の無い純度の高いもの。
そしてそれを辺りに散らせば人には薬に、怪異には毒に……という訳です」
つらつらと説明するアージェントに周囲の人間は感心しきりに頷く。
「アージェント殿は神通力にお詳しいのですね」
星乃の純粋な眼差しにアージェントが緊張感の無い笑みで答える。
「たはは、その様にお褒めに預かる程の事では。
この見た目からもお分かりの通り、私はよそ者ですから皆様の様な神通力も持ってはおりません。この知識もアシハラでの考古学研究の一貫で得たものでして。
何はともあれ私の知識がお役に立った様で何よりですが、斎宮殿下に少々無理をさせてしまった事は確かですから、その点については本当に申し訳無い……」
そう言って言葉通り申し訳無さげに頭を下げるアージェントに星乃が慌てる。
「お顔を上げて下さいませ、アージェント殿。今回は本当にアージェント殿のお陰で助かりましたもの。ねぇ、御影?」
「はい、星乃様の仰る通りです。アージェント殿が機転を聞かせて下さらなかったら、この勝利も無かったかもしれません。私からも御礼を言わせて下さい」
御影と星乃から口々に言われアージェントもまんざらでも無い様子だったが、そこへそんな雰囲気を一瞬で消し去る程の鋭い声が飛んだ。
渋滝である。
「ーーおい、嬢ちゃんに姫さん。和んでるところ悪いがお客さんみたいだぜ」
その声に御影と星乃が振り返る。
そうして渋滝の険しい視線の先に立つ人物を見て、一同は再び緊張感を取り戻す。
「ーーふむ。私が戻る頃には人間達の屍だらけになっているものとばかり思っていたが、当てが外れたな」
ーー紅波であった。




