3-6 廃村の出会い(二)
廃村と化した二科の儀礼殿、その奥の間にて御影は謎の老人と対峙していた。
(ーーこんな廃村の儀礼殿でご老人が一人で雑巾がけ……? どういう事?)
眼前の奇妙な光景に御影は眉をひそめる。
(ーー此処を根城にしている賊? それとも浮浪者か何か……?)
老人は年の割には随分とがっちりとした体格をしている。賊と言うのもあながち有り得なくは無い。
思考を巡らせる御影だが、現状に考えを巡らせているのは老人も同じだった様だ。
「ーーなんじゃ、お前さんは」
険しい口調で老人が言った。
「ーー私は」
「賊じゃな……っ!!」
御影が答えようとするも、老人は自分の中で整理を着けたらしい。
顔についた土埃を拭うと、すっくと立ち上がる。その瞳に闘志が灯るのが見て取れた。
「ーー此処は死んだ婆さんとの思い出の場所じゃ。荒らそうってんなら、女子供だろうと容赦しねぇ……っ!!」
老人の言葉に御影が目を見張る。
「ーーちょ、ちょっと待って下さい……っ!!」
思わぬ展開に狼狽する御影だが、老人はそんな御影の様子など気にする事も無く、突進を仕掛けて来る。
次々と繰り出される鋭い拳。蹴り。
(ーーこのご老人、中々やるわね)
老いた割には力強い拳を繰り出してくる老人に感心しつつも、老人のそれらが優れた動体視力を持つ御影に届く事は無かった。
「ーーちょこまかと、すばしっこい娘じゃのっ!!」
「あの、話を聞いて頂けませんか……っ」
「えぇい、問答無用じゃあ……っ!!」
御影の懇願にも聞く耳持たぬといった体の老人は、相も変わらず猛攻を仕掛け続ける。
(ーー全く、私の方が上手だって分かってそうなものなのに……頑固なご老人ね)
御影は内心で嘆息した。
老人が又しても御影に向かって突進を仕掛けてくる。流石に疲れてきたのか動きの切れが無くなっている。
(ーーすみません)
御影は心の内で謝罪すると、突進してくる老人に足払いを仕掛けた。
「ーーぬぉおっ!?」
御影は体勢を崩した老人の後ろに素早く回り込むと、老人の両腕を捻りあげた。
「ーーぅお痛っ!!」
「大人しくして下さい」
「もう、大人しくしてるだろーがよ」
恨めしげにこちらを睨む老人に、御影は口を開く。
「何か勘違いをされている様ですが、私は賊ではありません」
「なんじゃと?」
老人が訝しげな視線を向けてくる。
「この様な成りですが、私は斎宮にお仕えする巫女です」
その言葉に老人は零れるほどに目を見開いた。
「斎宮の巫女……じゃと?」
「はい。ですから、儀礼殿を荒らす等絶対に有り得ない事です」
「そ、そうか……」
漸く納得したらしい老人が肩の力を抜いた。
ーーそんな時。
「うわぁーーっ!! お館様ぁぁーーっ!!」
儀礼殿の外から何処か間の抜けた男の声が聞こえて来た。
「奉太朗……っ!? あの馬鹿たれが……っ!? ちょっと待っとれーーっ!!」
老人はそう言うやいなや御影の手を振りほどき、儀礼殿の外へと駆け出した。
御影も困惑しつつ老人の後を追うと、そこには郡兵達に捕らえられ泣きべそをかく栗色の髪の青年の姿があった。
*****
儀礼殿の前にて、老人ーー渋滝はひと息ついた。
「いやぁ、お前さんらのお陰で随分と綺麗になったわ。正直わしらだけでは此処までは出来なかったからのぉ」
汚れにまみれた顔で豪快に笑うのは、数時間前に御影と此処で対峙していたあの老人である。
渋滝の言葉通り、朽ち果てた廃墟の様な有り様だった儀礼殿は隅々まで水拭きされ、穴の空いた壁や床も出来る限りの補修がされた。御影達が最初に目にした状態からすれば見違える程である。
「斎宮殿下にまで手伝って頂いてしまい、すみません……っ」
そう深々と頭を下げるのは、郡兵に捕らえられ泣き顔を浮かべていた栗色の髪の青年である。彼は名を奉太朗といい、渋滝老人の連れであるらしかった。
「いえ、わたくし達はこの儀礼殿で祈りを捧げる事が目的でしたし、どちらにせよわたくし達もやらねばならない事でしたから、どうかお気になさらないで下さいませ」
そう言ったのは幾分簡素な装束に着替えている星乃だった。うっすらと土埃がついているのは、止める御影達を押し止めて自らも祈祷所の大掃除に参加したからに他ならない。
清らかな笑みを浮かべる星乃に、奉太朗は顔を真っ赤にした。
「ーー斎宮殿下」
アージェントが星乃の名を呼ぶ。儀礼殿が修復された今、やるべき事は一つである。
星乃はおもむろに頷いた。
「そうですね。わたくし達の務めを果たしましょう」
*****
「いやぁ、ええもん見せて貰ったのぉ……。こりゃあ、二張の奴らに自慢出来そうじゃ」
「はい、本当に……」
斎宮の祈りを見ての渋滝老人と奉太朗の感想である。此処でも斎宮の祈りは見るものの心に感動を与えた様だ。
御影は祈祷を終えた星乃に近寄ると、かたく絞ったおしぼりを渡した。
「星乃様、お務めご苦労様でした」
「有り難う、御影」
星乃は受け取ったおしぼりで額の汗を軽く拭き取ると、御影に微笑んだ。
そんな中、渋滝老人は星乃の隣に立つ御影を頭から爪先まで眺めた。
「ーーそれにしても、嬢ちゃん強いのぉ……。斎宮付きの巫女といいつつ、その辺の兵士よりも余程強そうじゃ」
「えぇ。御影はとても頼りになる、わたくしの巫女です」
「そ、それ程では……」
渋滝老人の称賛を自分の事の様に喜ぶ星乃と恐縮する御影。老人はそんな二人を見つつ、更に続けた。
「ーーさっきは気付かなかったが、嬢ちゃんの身のこなしは何処か死んだ婆さんに似とった気もせんでない」
「み、身のこなし……ですか? 奥様も何か武術を?」
「まぁ、そうじゃの。あれの家は元々由緒正しいお家柄じゃったし、武術やら何やら色々ある。わしは婿養子じゃったから苦労したわい……」
老人の言葉に、御影は最初に老人と鉢合わせた時の事を思い出す。
「そう言えば、奥の間で最初にお会いした時に亡くなられた奥様との思い出の場所と仰っていましたね」
「あぁ、わしと死んだ婆さんはこの儀礼殿で結婚式を挙げたんじゃ」
「此処で、ですか?」
「そうじゃ。わしらは二張の人間なんじゃが、九陰にかつて斎宮が祈りを捧げ、更に二張とも所縁のある有難い場所があると聞いてのぉ。験担ぎの意味も込めてな。
二科の人らも皆良くしてくれたよ」
そう言って渋滝老人は懐かしげに目を細めた。
「式を挙げて暫くは毎年の様に婆さんと此処まで来ていたんじゃが、年々怪異も増えとるし、わしらも年老いてからは余り此処まで来れんでのぉ。
じゃが、昨年長年連れ添った婆さんが死んで久し振りに顔を出そうと思っての……。まさかこんな事になっとったとは……」
渋滝老人の視線の先には幾つもの墓がある。二科の人々だ。儀礼殿の清掃を終えた後、朽ち果てた家々を回り亡骸を埋葬したのだった。簡素な造りではあるが、これが今の星乃や御影に出来る精一杯の弔いだった。
「ーーこっちも礼を言わんとなぁ。わしと奉太朗だけじゃ、二科の人らを弔うのにも何日掛かったか分からん」
「いいえ。九陰の民に祈るのは斎宮として当然の務めです。むしろ彼らを救えなかった事をわたくしは恥じるべきなのでしょう」
うつむきがちに言う星乃を老人は静かに見詰めた。
「ーーわしは正直、斎宮なんてもんは安全な斎宮殿でぬくぬくしとるだけの御姫様だとばかり思っとった。
少なくとも此処何代かの斎宮はお前さんらみたいに九陰各地を巡るなんて事はしなかった筈じゃし、怪異の被災地の支援もそうじゃろう」
「それは……」
星乃が口ごもる。
渋滝老人の言葉は事実だった。先代までの斎宮は必要最低限の務めしか行っていないし、就任以来、斎宮殿から出た事も無かった筈だ。
しかし、星乃には先代の彼女らの気持ちが分からないでもない。
(ーーきっと毎夜見る悪夢の事で精一杯だったろうし……。僕だって御影がいなかったらどうなっていたか……)
自分が回りに目を向けられるのは、御影や松江達が支えてくれる人々のお陰である。それが星乃ーー月灯の本音だった。
思考に沈む星乃を、凛とした声音が現実に引き戻す。御影だった。
「ーーお言葉ですが。私は星乃様の巫女であり、先代の斎宮殿下達の事は存じません。
ですが、私の主……星乃様は間違えなく自身の身を削って九陰の、アシハラの民の為に尽くしておられます。この方は尊いお方です。それだけは紛うことなき事実です」
言い切った御影に、星乃は目を丸くし、次いで頬を染めた。一方の渋滝老人は豪快に笑う。
「わはは、当代の斎宮の姫様は愛されてるのぉーーっ!!」
「し、渋滝殿……からかわないで下さいませ。御影もですよ……っ!!」
「すまんすまん、からかったつもりは毛頭ないんじゃがな……っ。
お前さんは先代までの斎宮とは違うんじゃろう。それはこの二科でのお前さんを見れば十分に分かる。それに、こんなに心の底から想ってくれる部下がおるんじゃしな。
あんたみたいな斎宮が出てきてくれて本当に良かった。危ない中、此処まで来た甲斐もあったってもんじゃ」
そう言って、渋滝老人は空を見上げた。優しげに細められた瞳には今は亡き妻や、二科の人々との思い出が映っているのかもしれなかった。
暫く振りに賑やかな様相を取り戻した二科の町。
アージェントはこの町の祭壇をもう少し調査するということで奉太朗を伴って儀礼殿へ行き、御影と星乃は広場で渋滝老人の面白おかしい昔話に耳を傾けている。
郡兵や巫女達も思い思いに身体を動かしたりと、そんな穏やかな空気が流れる中ーー。
「ーーおや。この村落は怪異に襲われて見るも無惨な光景が広がっていると聞いていたのに随分と小綺麗なものだ」
聞き覚えのある声に御影と星乃がすぐに反応する。
金髪に紅い目ーーそこにいたのは紛れもなく喜瀬を混乱に陥れた男、紅波であった。




