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3-2 穢れの瓶(一)

 斎宮殿を(よう)する喜瀬から牛車で三日程の距離にある町に一つ目の儀礼殿はあった。


 喜瀬から近い事、そして小規模ながらも良質の銀を産出する銀鉱山があることから、この八栄(はちえ)の町にはそれなりの数の郡兵が配置され、町の人々は怪異から守られている。


 儀礼殿は八栄の町の中央にあったーー。


 ーーのだが。


 「ーーえぇ、はい。少し前に王都から遣いの方がいらっしゃいまして……」


 困った様に眉を下げたのは、この八栄の町の長だという男だった。


 「その様な事が……? 星乃様はご存知でしたか……?」


 「いいえ。わたくしも初耳です……」


 顔を見合わせる御影と星乃の後ろでアージェントも首を傾げた。


 「ふぅむ。郡領である姫殿下の元に一報があっても良さそうなものですが……。不思議ですねぇ」


 アージェントの言葉も道理である。通常他郡の使者が九陰に入る際には九陰の郡領である斎宮に一報入れるものなのだ。


 しかし、八栄の長が次に発した内容は斎宮一行を愕然とさせるものだった。


 「実はその際に、暫くの間は儀礼殿に何者も入れるなと申し付かった次第で……」


 「ーーえっ!?」


 「……」


 「おやおや……」


 言葉を失くす星乃と御影。方やアージェントは興味深げに目を細め、後ろに控える郡兵や巫女達はざわめいた。


 そんな一行を見ながら、長は申し訳なさそうに言葉を続ける。


 「しかし、その後に喜瀬から斎宮殿下がこの八栄の儀礼殿で祈りを捧げて下さるとの書状が届き、どうしたものかと……」


 「その、王都の遣いの方達は儀礼殿で何をなさっていたのでしょうか……」


 「それが私共にも全く分からないのです。とにかく、誰も入れるなとしか……」


 斎宮である星乃の問い掛けに八栄の長は頭を振る。彼は王都の遣いと斎宮との間に板挟みになっているも同然である。


 長の言葉に暫く考える様に沈黙した星乃は一拍の後、口を開いた。


 「わたくし達を儀礼殿に案内して下さいませ」


 「で、でも……良いのですか?」


 困惑する長に、星乃は強い眼差しを向ける。


 「わたくしは九陰の郡領である前に斎宮です。そのわたくしが民の幸いの為に龍神に祈りを捧げるのを拒まれる謂れは無い筈です」


 きっぱりと言い切った星乃に、長も心を決めた様だ。


 「ーーこちらへ」





*****


 八栄の長に案内され、儀礼殿へと足を踏み入れた斎宮一行。


 儀礼殿は斎宮殿にあるものと同じく表の間と奥の間からなっているらしく、斎宮が祈りを捧げる祭壇は奥の間にあるという。


 表の間と奥の間を繋ぐ渡り廊下を歩く一行。アージェントが興味深げに辺りを見回すのをよそに、御影は隣を歩く星乃に小さく問い掛ける。


 「ーー王都からの遣いだという方は、一体どんな用件だったんでしょうね」


 「そうですね……。怪異の跋扈するこの九陰にわざわざ危険を犯してまで来るのですから、何か重要な事柄ではあるのでしょうが……」


 やはり星乃も王都からの遣いの話が気掛かりであるらしい。


 考えを巡らせつつ歩いている内に、奥の間の入り口に着いた様だ。


 そしてーー。入り口に近付いた時、アージェントが何かを感じたかの様に(まばた)きをするのと、星乃が着物の袖で口元を被ったのはほぼ同時だった。


 「おや、これは……?」


 「……っ!?」


 「星乃様……っ!? どうされました!?」


 「さ、斎宮殿下……? いかがされました?」


 只事ではない星乃の様子に、すぐさま御影が反応する。傍らの長も同様だ。


 「一瞬、何か酷い匂いが……」


 「に、匂いですか……?」


 「私には何も感じませんが……」


 星乃の言葉に御影と長は困惑の表情を浮かべる。御影にも長にも星乃の言う異臭は感じ取れ無かったのだ。


 「ーーすみません。何か、勘違いだったのかもしれません……」


 口元から袖を外した星乃に、長が不安そうに問い掛ける。


 「長旅でお疲れなのでは? 今日は休まれますか?」


 しかし、そんな長の言葉にも星乃は頭を振って答えた。


 「いえ、もう大丈夫です。心配を掛けてすみませんでした。祭壇を見せて頂いても?」


 「かしこまりました。斎宮殿下がそう仰るのなら……」


 長が奥の間の戸を開ける準備をする横で、御影は星乃に気遣わしげな視線を向ける。


 「星乃様……」


 「御影、わたくしは大丈夫です。奥の間を見せて頂いたら今日は休ませて貰いますから」


 「約束ですよ……?」


 「えぇ、勿論」


 そうこうしている内に扉が開く。


 「ーーっ」


 「ーーうっ!?」


 「いやはや、これは……っ」


 星乃、御影、アージェントの三人がそれぞれ口元を押さえる。


 戸が開いた瞬間押し寄せたのは異様な臭気だった。


 先程とは異なり御影にもはっきりとその異臭が感じ取れた。これまで嗅いだことの無い、感じた事の無い、何かおぞましい臭気と気配が室内に満ちている。


 「お三方共、どうされました……? やはり長旅の疲れが……?」


 そう言った長はどうやら室内の異変は何も感じていない様だった。


 「ーー星乃様。先程、星乃様が仰っていた酷い臭いとは……この事でしょうか」


 「御影にも分かるのですね。長が戸を開けた途端……正直、立っているのも辛いです……」


 口元を押さえる星乃と御影をよそに、アージェントはつかつかと奥の間へと足を踏み入れる。


 「いやいや、これは酷いなぁ……。鼻がもげそうだ」


 そうして部屋の隅に置かれた(かめ)に近付くと、おもむろに瓶の蓋を外した。


 「あぁ、こういう事ですか……」


 鼻をつまみ、いかにも嫌そうな顔で何やら納得した様子のアージェント。そんな彼の元に星乃達も口元を押さえたまま近付いていく。


 「アージェント殿、それは何です?」


 聞きながら、星乃と御影も瓶の中を覗き込もうとし、すぐにそれを後悔した。ここまで臭いに気付かなかった長も、瓶の中身を見てたまらず口元を押さえた。


 「おそらく怪異の臓物でしょうなぁ」


 あっけらかんと言ってのけたアージェントに、星乃と御影は目を見開く。


 「か、怪異の臓物……っ!?」


 「そんな物がどうしてこの神聖な儀礼殿に……」


 「長殿、この瓶は以前からこの場所に?」


 アージェントが問い掛けると、長は青い顔で頭を振った。


 「ーーいいえ。こんな物、以前はありませんでした」


 長の言葉に星乃達は顔を見合わせる。長も知らぬ内に置かれたという怪異の瓶ーーこれまでの経緯からすれば考えられるのは一つしかない。


 「王都の遣いの方がこれを……?」


 星乃の言葉に長の顔はこれ以上無い程に青くなる。


 「そ、そんな……」


 そんな長にアージェントが問う。


 「その王都の遣いを名乗るのはどの様な方々だったのです? 此処までの事を考えますと馬鹿正直に彼らの言をそのまま信じるのもどうかと思うのですが」


 「そ、それは王都の遣いというのが偽りだと……?」


 「それは分かりませんが、その様な考え方も無くはないかと」


 誰の目から見ても明らかな程に困惑している長は先日町を出立した一行を思い出しながら答えた。


 「皆様きちんとした身なりをしておいででしたよ。一陽の郡章も見せて頂きましたし……あぁ、でもーー」


 「でも、何です?」


 「お一人、随分と目を引く容姿の方がいらっしゃいました」


 「というと?」


 「それが金髪に紅い瞳の男性だったのですが……」


 長の言葉に御影と月灯が目を見開いた。


 金髪に紅目の男。二人はその特徴を持つ男に嫌と言う程心当たりがあった。


 人の弱みに付け込み、その相手を人間から怪異へと変貌させるという邪法を用いて喜瀬の町を混乱に陥れた男、紅波。


 その中で御影の同僚でもあり大切な友人でもあった小百合は命を奪われている。


 二人にとって因縁の相手だった。


 胸に去来する嫌な予感に御影と月灯が立ち尽くす中、アージェントが口を開いた。


 「姫殿下、こちらどうされます? 此処に置いておいても害は有っても利は無さそうですが……」


 「処分いたしましょう……」


 「ーーえっ。よ、宜しいのですか?」


 長が又しても不安げな顔をする。


 長としてもすぐにでも処分したい代物ではあるが、わざわざ王都の遣いが置いていったのだとすれば勝手に片付けるのも(はばか)られる、というところだろう。


「わたくしが許します。そもそも、こんな物がこの場にあっては龍神への祈りも届きません」


 きっぱりと言い切った星乃に、御影も強く頷いた。


 「星乃様、私もお手伝い致します」





 それからアージェントと御影で瓶を外に運び出し、瓶の始末を行った。


 「物が物なので慎重に」とのアージェントの助言により、怪異の臓物が放つ瘴気を祓う様に斎宮である星乃によって火が灯されたのだった。


 炎にまかれる瓶からは聞こえない筈の怪異の断末魔が聞こえる様で、瓶の処分を終えた一行は早々に休ませて貰うことになった。

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