2-23 月灯の思い
斎宮殿で起きた斎宮暗殺未遂や金の横領等の一連の騒動から暫くが経とうとしていた。
暗殺未遂の主犯であった遠野小百合、その犯行を命じていたとされる加倉井安成。加倉井氏については金の横領についても裏で手を回していたことがその後の調べで明らかとなっているが、当人達が既に死亡している為に責任の所在については不問とされた。
加倉井派と呼ばれる人間達の多くが疾走し、斎宮殿内に混乱が生じていた為でもある。加倉井派を消えた穴を埋めるのも容易ではない。
そして、消えた加倉井派の多くが怪異となり人を襲い、郡兵達に討たれた事を知る者は少ない。その裏にいた金髪紅目の男ーー紅波についても言わずもがなである。
「ーー御影、もう身体は大丈夫なの?」
「はい。元々ただの裂傷ですから。傷も殆ど消えましたよ」
「そう、それなら良かったけど……正直、全身傷だらけの御影を見た時は肝が冷えたよ。おまけにその状態でずっと怪異と戦っていたって言うんだから……本当、寿命が縮むかと思った」
「それは……ご心配お掛けしてしまい申し訳ございません」
「ーーん。でも、御影のお陰で助かった命が多いのも確かだから。九陰の斎宮として御礼を言わないと。有り難う、御影……」
そう言って頭を下げようとする月灯を、御影は何とか押さえた。
喜瀬を数多の怪異が襲ったあの夜。紅波に敗北を喫した御影はそのまま怪我を押して郡兵達に合流し怪異の討伐に当たった。
最終的に死者は十名程で、その殆どは奮戦した郡兵の尊い犠牲であった。
「ーー遠野小百合の事は残念だったね」
「そうですね」
何処か気まずげな月灯に御影も頷く。怪異の騒ぎが落ち着いた後、看守が座敷牢で事切れている小百合の遺体を発見したという。
心臓を貫かれて絶命していたという小百合はその惨たらしい状態とは裏腹に酷く穏やかな表情をしていたという。
看守達が解せないというが、御影も月灯も薄々犯人に気付いていた。
「あの男ーー紅波は本当に許せませんが、小百合があの男を愛していたというのは本当なのでしょう」
「殺されても良いと思える程に?」
「私にはよく分かりませんが、恋とはきっとそういうものなのでしょう……」
御影の言葉に月灯は天井を仰ぐ。
「ーー恋は盲目ってことかな。ある意味、羨ましい事かもしれないね」
「え?」
「愛する人の手で、最期に愛する人の顔を見ながら死ねるって事だろう。世の中にはそんな選択したくても出来ない奴だっているだろうし……」
「月灯様……?」
御影には自分よりも幼い月灯が何故だか酷く老成して見えた。こんなにも近くにいるのに距離さえ遠く感じてしまう。
そんな月灯が何故だか怖くなって、御影は話題を変える。
「ーーそれにしても、此処でこうしてお話している月灯様と、昼間にお会いする星乃様があまりに落差があるので、何だかとても不思議な気持ちです」
昼の星乃は儚く美しい清らかな巫女姫。その姿に比べれば夜の月灯は年相応の少年に見える。勿論、顔の作り自体は変わらないが……。
「そりゃあそうでないと困るよ。こっちは毎日必死にお姫様の振りをしてるんだから。言っておくけど、あの声を出すのも結構疲れるんだよ」
纏わりついてくるヒヨ助を邪魔そうにしつつ、月灯が言う。
「お前ねぇ、今日も果物も野菜も沢山食べたろ。ぶくぶく太って飛べなくなるよ」
「ヒーヨ、ヒーヨ」
二人が助けたヒヨドリーーヒヨ助はすっかり羽も治ったものの斎宮殿の暮らしが気に入ったのか、すっかり月灯の寝所に住み着いてしまっていた。
何度か自然に戻そうと放してみたものの、すぐに戻ってきてしまう困り者である。
月灯もそんなヒヨ助を何だかんだ可愛がっている。
じゃれあう一人と一羽を眺めつつ微笑ましい光景に和んでいた御影だが、ふと月灯の顔に目がいった。
幼く美しい顔には疲労が色濃く滲んでいた。
御影には「心配だ」「無茶するな」と口を酸っぱくして言い聞かせる月灯だが、その月灯も御影の事を言えない程に無茶に無茶を重ねている。
(ーー月灯様、本当にお疲れなんだわ。夢のせいだけじゃなく、此処の所今まで以上にお仕事も大変みたいだし……)
今回の怪異騒ぎのせいで喜瀬の人々は「此処も安全では無い」とより一層の対策を求める様になった。
しかし、その話が喜瀬の外まで伝わると「既に手厚い対策が取られている喜瀬よりもうちを」と方々から声が上がった。
それらは全て嘆願書として斎宮の元へと届けられ、今も日に日に増え続けている。
喜瀬の民の願いにより、以前は三日に一度だった祈祷も今では毎日行っている。
勿論、九陰郡領としての仕事も変わらず月灯にのし掛かっている。
たまらなくなり、御影は自らの思いを口にした。
「ーー月灯様。此処の所、少しご無理をされ過ぎている様に思います。このままではいずれ限界が来ます。どうかご自愛下さい」
御影の言葉に、月灯は少し考える仕草をした。やがて決心した様に口を開く。
「ーー御影。その事なんだけどね、僕は暫く斎宮殿を出て九陰各地を回ろうと思うんだ」
「え……?」
「御影も毎日膨大な数の嘆願書が届いているのは知ってるだろう。あれらは全て、怪異の脅威に嘆く人達の救いを求める声だよ。喜瀬だけじゃなく、九陰全土を斎宮の祈りで清めて欲しいって嘆願書も多いんだ。
だから、九陰各地の儀礼殿を巡ってそこで祈りを捧げようと思うんだ。
実際、斎宮の祈りにどれだけ効果があるのかは分からないし、此処何代かの斎宮は誰もやってなかったみたいだけど、もうそんな事も言っていられない。直接民の声も聞けるしね」
たった今自分がした進言とはまるで逆の事を言う月灯に御影は目を見開いた。
月灯の想いはとても立派なものだ。それは疑い様がない。
しかしーー。
「ーー危険過ぎますっ!! 月灯様のおっしゃる通り、今の九陰は人を喰らう怪異で溢れています。月灯様に何かあっては取り返しがつきません……っ」
懇願する御影に、当の月灯は不敵に笑って見せる。
「僕は九陰の郡領でもあるんだよ? たまには民と同じ気持ちを味わうのも必要だとは思わない?」
(ーー何て事を言うの……)
御影は巫女である前に忍である。忍とは他の何に変えても主君を護るもの。そう、父や母に育てられた。
月灯の決意は揺るがない。
ならばーー。
「ーー月灯様。その巡礼の旅、私もお供させて下さい」
*****
「ーー御影、どうか月灯様を頼みますよ」
蜂蜜色の髪をなびかせて松江が言った。
斎宮殿、西の対屋にある巫女頭ーー松江の自室である。
彼女は斎宮の正体を知る数少ない人物であり、幼い頃より月灯の世話役を勤め、一陽より泰菜と共に月灯に付き従って来た古参の臣でもあった。
御影が斎宮殿で初顔合わせの際に既視感を覚えたのも、以前月灯と同じく大蜘蛛の怪異から助けた際に見た顔だったからだ。
「はい、松江様。月灯様の事はこの御影が命に代えてもお守りします」
「ーー貴女に何かあっても月灯様が悲しまれます。必ず、二人揃ってこの斎宮殿に戻りなさい。良いですね?」
「ーーはい、必ず」
松江からの激励を受けて、御影は決意を新たにした。
*****
斎宮殿の母屋、月灯の居室。
月灯は相変わらず食欲旺盛なヒヨ助に青菜を与えている所だった。
「ーーヒヨ助、お前とも暫くお別れだよ。お前の事は松江に頼んでおくから、あまり松江を困らせるんじゃないよ」
しかし、当のヒヨ助は月灯の言葉など気にすることも無く夢中になって青菜でくちばしを汚している。
ヒヨ助の無邪気な様をみていると、何となく重たい気持ちが軽くなる気がする。
御影とは別に、このヒヨ助もまた月灯にとっては掛け替えのない友人になりつつあった。
(ーー御影)
御影は巡礼に着いて来ると言ってきかない。実際、そう言うだろうとも思っていたし、忍の御影がいてくれれば心強いのも確かだ。
しかしーー。
(ーー告白なんて、するべきじゃなかった……)
自分の好意を打ち明けるべきでは無かったかもしれない。適当に誤魔化すべきだった。
(ーーこの前だって完全に困ってた……)
月灯は御影が好きだが、御影自身は月灯の事を妹か弟としか見ていない。それも痛い程分かっている。
元々御影に求婚していたらしい四乃の領主の息子も、調べによれば立派な人物の様だった。いずれは御影も彼の元に嫁ぐつもりであったかもしれない。
月灯は自分の感情を優先して御影を里から引き離したのだ。それも権力に物を言わせて……。普通に考えれば恨まれていてもおかしくないのに、あんなにも親身になってくれる。
(ーーあぁ、くそ……)
考えれば考える程自分が惨めだった。
控え目に見ても、今の自分は御影に依存し過ぎている。夜だってそうだ。今では御影が隣にいてくれないと安心して眠れる気がしない。
(ーー何て惨めなんだ、僕は…)
今回の巡礼は第一に九陰の民を思っての事である。しかし、それと同時に暫く御影と離れて彼女への甘えを断ちたい考えも少なからずあった。
しかし、御影の意思は勿論だが、巫女頭の松江も巡礼の条件に御影の同行を付けてきた。松江もかなり御影を信頼している様だ。
月灯には更に懸念があった。
勢い余って告白などしてしまったが、月灯は斎宮であり、これは変え様の無い事実である。
そして、代々の斎宮は短命で、代を重ねるごとにその死も早まっているという。
「ーーあと、どれくらい生きられるかも分からないんだ……」
こんな自分に御影を何時までも付き合わせておく訳にはいかない。
考えれば考える程、月灯の心は深く暗い場所へ沈んでいった。
此処まで読んで頂き有り難うございます。これにて第二章完結となります。明日からは第三章、九陰巡礼編となりますので、もう暫くお付き合い頂けますと幸いです。
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