1-2 諦めの悪い求婚者
季節は夏。蝉のうるさい季節である。
四乃にある忍の隠れ里。御影の生家である戸叶家の道場にて、御影は一人鍛練に打ち込んでいた。
「ーーはっ!!」
藁の案山子を相手に小太刀を振るう。
「ーーふっ!!」
早く、鋭く。
「ーーせいっ!!」
案山子に連撃を叩き込む。
「ーーはっ!!」
無心で小太刀を振るい続け、約一時間。
斬撃を浴び続けた案山子は随分と可哀相な有り様になっている。
額に浮かぶ玉の汗を拭い、御影は一息ついた。
「ーーふぅ。こんなものかしら」
実戦では忍らしく忍術も使用するが、剣術や体術といった武芸全般を広く修める事が優秀な忍の条件である。
女の身である御影はどうしても膂力の面でも体力の面でも男には劣る。
「少しでもそこを埋めるには、鍛練あるのみよね」
ふと、御影は手にしていた小太刀に視線を落とす。手に馴染むそれは敬愛する父より贈られた品だ。
御影は姿勢を正すと、再び小太刀を構えた。しかし、この構えは先程までとは異なり敵に斬り込む為のものではない。
「……」
御影は目を閉じると、小太刀を閃かせた。流れる様な足取り、軽やかな舞だ。
忍に舞とは余り縁の無いものの様に思えるが、この忍の隠れ里では古くから剣舞と、その舞の為の笛が伝えられている。
元々身体を動かす事が好きな御影は、この剣舞を舞うのも好きだった。里の友達とどちらがより美しく舞えるか競ったり、何より父の笛の音に合わせて舞うのが楽しい。
「ーーうーん。やっぱり父様の笛の音が無いと、どうにも調子が出ないわね……」
御影はひとつ伸びをすると小太刀を鞘に納め、道場を後にした。
*****
その日の鍛練を終えた御影は甘味処へと向かっていた。疲れた身体にはやはり甘味である。
(ーー確か、今日から新作のいちご大福が食べられる筈)
甘味に目が無い御影は弾む足取りで、馴染みの店を目指す。
ちょうどその時ーー。
「ーー御影っ!!」
不意に声を掛けられ、御影は足を止めた。
「若葉じゃないの、どうしたの」
そこに立っていたのは御影と同年代の若い娘、同僚の忍にして親友でもある若葉であった。
「全くもう。里中探し回ったわよ」
口を尖らせて若葉が言う。名前が示す様に鮮やかな緑の髪と同色の瞳の娘だ。顔に散るそばかすのせいで御影よりも幼く見えるのを本人は気にしている。
「探してるって何かあったの?」
「まーた橘家の若様があんたに会いに里まで来てんのよ」
「え、そうなの」
若葉の言葉に御影はあからさまに嫌な顔をすると、次いで溜め息をついた。
「ーー若様、いい加減諦めてくれたらいいのに……」
橘家の若様とは、四乃を治める貴族である橘家の跡取り息子、橘南雲のことである。
以前、当主である父君に連れられてこの忍の里へと視察に訪れた際、顔を合わせたのが最初である。
その際に御影をいたく気に入ったらしい彼は、事あるごとに里を訪れては御影に求婚していくのだ。
茜色の髪と瞳の、見目は良いが傲岸不遜な青年である。
「あんた、今回も断るつもりなの?」
「そのつもりだけど……」
御影の言葉に若葉は眉をひそめる。
「橘家の若様の嫁だなんて、これ以上の玉の輿無いじゃないのよ。俺様男だけど悪い方では無いんだし、いったい何が不満なのよ」
「それはそうなんだけど……やっぱり身分とかがね」
「若様の方がそれでも良いって言ってるんだから、別に気にする事じゃ無いでしょうよ。正直悔しいけど、あんたは四乃でも滅多に御目にかかれない位の美人だし、もっと気を大きく持ちなさいよ」
言いながら、若葉はひそかに目の前の御影を見る。
頭の高い位置で二つに纏められた、御影の藤色の長髪が風に揺られている。
この御影は若葉がこれまで見てきた多くの女性達の中でも飛び抜けた美人である。
均整の取れた身体は出るべき所は出て、引っ込むべき所は引っ込んでいる。羨まし過ぎる体型である。
(ーーその胸も半分で良いから分けて欲しいくらいよ、全く……)
自分の洗濯板のごとき胸を思い、若葉は深い溜め息をついた。
「ーーとにかく。これ以上、橘の若様を待たせる訳にもいかないし、さっさと行ってきなさいよ」
「りょ、了解」
*****
御影が里の北にある長の家に行くと、そこには今では見慣れた茜色の頭が見えた。橘家の跡取り息子、橘南雲である。
御影の姿を視界に収めた南雲は目を輝かせた。
「ーーおぉ、御影!! この俺を待たせるとはいい度胸ではないか」
「若様、お久し振りでございます」
「あぁ、久し振りだ。ははは、お前は相変わらず美しいな」
「お褒めに頂き光栄です」
その後、「若い二人で話すように」との里長の気遣いにより、二人は里の外れにある溜め池へと場所を移した。
鴨が数羽、気持ち良さげに池を泳いでいる。
「ーーそれで、いい加減俺の妻になる気にはなったか?」
「恐れながら、若様……」
「俺の事は南雲と呼べと言った筈だが?」
「ーー南雲様、以前も申し上げましたが、南雲様と私とでは余りにも身分が違います」
「またそれか。身分など関係ない。妻だろうと家臣だろうと、俺は俺の気に入った奴を側に置くだけだ」
南雲の強い眼差しに射抜かれて、御影は息が止まるような錯覚を覚えた。
「南雲様は……四乃でも有数の権力者で有られるのに、何故その力を使われないのです?」
御影の言葉に、南雲は呆れた様な顔をする。
「馬鹿か。権力で無理矢理物にしてどうする。お前が自らの意思で俺の元に来なければ意味が無い」
言い切った南雲を御影はまじまじと見詰めた。
南雲は確かに傲岸不遜な青年だが、他人を尊重出来る人だ。彼はきっと、四乃の良き領主となるだろう。
「ーー来月から暫くの間、後学の為に一陽の大内裏で宮仕えする事になった。四乃の田舎者だ何だと言われるだろうが、一陽の狸親父どもに一泡吹かせてやるさ」
南雲は更に言葉を重ねる。
「御影。一陽から戻った暁にはお前を必ず惚れさせるから覚悟しておけよ」
彼らしく自信に満ち溢れた表情で凄まじい殺し文句を言うと、南雲は溜め池を後にした。
一方、一人残された御影はその場にしゃがみ込むと、池を泳ぐ鴨を相手に彼女の心の内を打ち明けるのだった。