2-15 潜入、怪しい茶会
郡衙として日頃多くの郡司達が業務に勤しむ斎宮殿、東の対屋。
その一角で、とある会が催されていた。
加倉井派の集い、斎苑会の茶会である。今日一日は斎苑会によりこの区画一帯は貸し切りとなっており、障子や襖も取り払われた広間からは優美な庭も見渡せる。
季節の花を飾った生け花が並ぶ中、一人の巫女が居並ぶ郡司や巫女達に抹茶を振る舞っている。
皆が正しい作法の中で茶を楽しむ様子を、御影は壁際にひっそりと佇みながら見守っていた。当然、隠形中である。
(ーーお茶会って、本当に只のお茶会だったのね……)
正直なところ、茶会というのは何かの隠語で実際にはもっと別の何かが行われているのではと思っていた。
しかし実際に目の当たりにしてみれば、加倉井派の人々は只純粋に菓子とお茶を楽しんでいるだけに見える。
(こういう作法はちょっと自信が無いけど、お菓子とお茶は美味しそう……)
そんな事を御影がぼんやりと考えるくらいには、茶会は只々風流で平穏な空間だった。
(おまけに件の加倉井氏も来ていないみたいだし……。
ーーあら? そう言えば、あの人……)
ふと御影が視線を向けるのは、この茶会で皆に茶を振る舞う一人の巫女である。
浅葱色のその長い髪には少し見覚えがあった。上位巫女、絹香。御影や泰菜達よりも年嵩のその巫女は先日の鈴蘭騒動の際にその場に駆け付けた巫女の一人だった筈だ。
(あの人も加倉井派だったのね)
菓子と茶を楽しんだ加倉井派の面々は皆、庭に出て談笑に花を咲かせていた。
重要な話を聞き逃すまいと庭に出た御影も人々の会話に耳をすませる。
そんな中ーー。
「ーー小百合殿は加倉井殿の遠縁だとかで、加倉井殿も日頃から目を掛けていたらしい。今回の事は加倉井殿もきつかろうよ」
「あーー、だからか?」
「何がだ?」
「斎宮が代替わりしてから面倒が増えたと加倉井殿も常々仰っていただろう。
小百合殿が日頃から世話になっていた加倉井殿の為にやったんじゃないのか?」
「おいおい、そんな事が……」
聞こえてきた同僚の名に、御影は密かに息を呑んだ。
(ーー加倉井殿と小百合が遠縁? 初耳だわ……)
その様な話は星乃からも聞かされていない。
(この話も後で星乃様達に報告ね……)
そう考えた時、御影の耳は新たに興味深い情報を拾った。
(ーーえ?)
すぐにそちらへと注意を向け、細心の注意を払いながら近付いて行く。
「ーーそろそろアレが欲しい頃だな」
「そうさな。次の配付は何時になるか……」
「詳しい事は分からんが、かなり希少な原料を使っているんだろう? 加倉井殿が外の商人から仕入れているって話だ……」
「あぁ、伽羅だけでも相当な額になる筈だろう。そこに加えてあの効能なんだ。我らには知る由しもない薬剤が山程使われているだろうよ」
郡司の男達の密やかな会話を聞いていた御影は、そこに含まれていたある単語に固唾を呑んだ。
(ーー「伽羅」っ!! 香の原料だわ……っ!!)
小百合の部屋にあった、あの香。男達の会話があれを指している可能性は大きい。
そんな御影をよそに男達の会話は続く。
「全くーーそんな高価な代物を我らにまで分け与えてくれるんだから、加倉井殿には頭が上がらんよ」
「ははは、そうさな。我等加倉井派は一蓮托生という事だ」
「無論、加倉井殿は素晴らしい方だからな。一生着いて行くとも。
いやはや、それにしても加倉井殿も一時期は酷く沈んでおられたろう。元気になって下さった様で本当に良かったよ」
「まぁ、それは仕方無かろう。奥方とご息女を怪異に殺されたのだ……。加倉井殿は愛妻家で有名だったし、私は正直いつ後を追っても不思議では無いと思っていたくらいだぞ」
「おいおい、縁起の悪い事を言うんじゃない」
「まぁ、それも昔の話だ。今の加倉井殿は昔以上に仕事に邁進しておられる。新しく来られた斎宮があれだしな。加倉井殿も落ち込んでいる暇など無かろうよ」
「まぁ、そうだな……。斎宮にも困ったものだよ。
あぁ、そう言えば……お前今日は加倉井殿に呼ばれていなかったか?」
「そうだったんだが、無しになったよ。何でも加倉井殿に急な来客があったとかでな。そうでなければこの茶会にも顔を出して下さっていただろう」
「それもそうか……。しかし先客のお前や茶会を欠席してまでの来客か……。これはもしや、近い内にまたアレが貰えるかもしれんな」
「そうだと良いんだがな」
男達の会話はそこから気候の話から斎宮殿の巫女や郡司達についての下世話な話に移っていく。
(ーー目ぼしい話は色々聞かせて貰えたわね……)
御影の方もそろそろ限界が近かった。
これ以上此処にいてはいつ隠形が解けてもおかしくない。
御影は雑談に花を咲かせる加倉井派の人々を残し、茶会を後にした。
*****
茶会を抜け出した御影は東の対屋内、加倉井派の人間が点在する廊下を進む。
顎を冷や汗がつたう。
急ぎ、事前に泰菜と打ち合わせておいた場所へと向かう。
(泰菜が人払いをしてくれている筈だから、そこまで行ければ……)
やがて、件の場所が見えてくる。ご丁寧に「清掃中、立ち入り禁止」の札が立て掛けられていた。
(良かった……っ)
立札の向こう、廊下側からは見えない死角へと滑り込む。
隠形が溶ける、その瞬間ーー。
御影は泰菜と、その隣に立つ長身の男ーー東海林幸路の姿を見る。
言葉を失った御影の横で、泰菜があわあわと焦燥と狼狽の表情を浮かべていた。




