2-13 星乃から月灯へ。明かされる想い
その日の夜、斎宮の寝所にて御影は今日あった出来事の全てを星乃へと報告していた。
座敷牢での出来事の報告を受けた際には真剣な面持ちで耳を傾けていた星乃だが、その後の小百合の部屋へと忍び込んだという報告にその端正な顔はみるみる内に青くなっていった。
「ーーみ、御影。それは流石にちょっと頂けないよ……」
青い顔で額を抑える星乃に、御影は既に下げていた頭を更に深く下げる。
「申し訳ございません、星乃様。然るべき処罰はいずれ必ず受けます」
厳罰物の軽率過ぎる行動。御影にも当然その自覚はある。
だが。
「ですが今は……。何としても事の真相を突き止めたいのです」
「御影……」
「上手く言葉では表せないのですが、とにかく嫌な胸騒ぎがするのです……」
小百合の事だけではない。あの金髪の男……このまま放置しておけばいずれこの斎宮殿に黒い影を落とす事になる、そんな予感だった。
そんな御影の内心を悟ったかの様に、星乃が口を開く。
「ーーその金髪の男、そんなに危険な人物なの?」
「はい……。申し訳ございません。詳しい事は何も分からないのですが、只人で無いことは確かかと」
「そう……」
星乃が顎に手を宛て考える仕種をする。
「金髪に紅目の男か……。僕は聞いた事が無いけど、少し調べさせてみようか……。そういう直感は馬鹿に出来ない。
それに、御影が桐箪笥から見付けた紙には確かに”斎苑会“って書かれていたんだね?」
「はい、確かにそう書かれていました」
「ーー斎苑会は加倉井派の集まりの筈だよ。それが本当ならその小百合という娘は加倉井派に属していたことになるね」
「小百合が……加倉井派」
御影の呟きに星乃が頷く。
(ーーそれなら小百合が私を誘おうとしていた会は、この斎苑会……? 小百合が紹介すると言っていた人もこの会に属している人間ということよね……)
思い浮かべるのは件の茶会についての書簡である。
「星乃様……」
「?」
「件の斎苑会の茶会ですが、開催されるのは明後日の筈です」
「うん、そういう話だったね……」
「ーー私はそちらの茶会に潜入してみたいと思っています」
「えぇ……っ!?
せ、潜入って本気で言ってるの……っ!?」
驚愕する星乃に、しかし御影は大真面目に頷く。
「斎苑会でしか語られない話もある筈……隠形して忍び込めば加倉井派の者達に気取られずにそれらを探る事も出来ましょう」
苦い顔をする星乃に、御影は深々と頭を下げる。
「ーーお願い致します。行かせて下さい、星乃様」
「……」
「星乃様……」
御影の大胆すぎる計画に渋面を浮かべていた星乃だったが、やがて諦めた様に息をついた。
「ーー分かったよ。御影の思う様にやってみたら良い」
「それでは……っ!!」
「ーー御影が腕の立つ忍だっていうことは僕も分かってるつもりだよ。
封鎖区画への侵入も決して褒められたものでは無いけど、御影じゃなければこんなに早くに香にも気付けなかっただろうし……。神通力の持ち主なんてこの斎宮殿でも数える程しかいないからね……。
それに、御影が僕や斎宮殿の事を思って動いてくれているのも分かる……」
星乃の言葉に御影の表情が明るくなる。しかし、星乃はそんな御影に釘を刺した。
「ーーでもね、御影。危ない真似は程々にね。いくら僕でも庇いきれない事もあるんだから」
星乃の瞳には不安の色が浮かんでいる。心の底から御影の身を案じているのだ。
「はい、肝に命じます」
*****
すったもんだの報告を終えて、「さぁ、そろそろ寝ましょうか」となったところで星乃がぽつりと零した。
「ーー正直なところ……もう、流石に来てくれないかと思ったのに……」
そんな星乃に御影は小首を傾げて見せる。
一瞬星乃が何を言っているのか分からなかった御影だが、今朝の星乃とのやり取りを思い出した。
(ーーそうだわ。小百合の事があって考える余裕が無かったけれど……今朝、星乃様の事で色々あったんだった……)
そう。斎宮星乃の正体が姫君ではなく、少年ーーしかも先王の御子という事実である。
確かに普通に考えれば卒倒物の出来事であるし、実際に御影も驚いた。
しかし、それだけだった。
「ーー私は斎宮にお仕えする巫女です。
星乃様が本当は若君だったとしても、これまで星乃様がなさってきた尊い行いが無くなる訳ではありません。
それに、私を此処に呼んで下さったのは他の誰でも無い、星乃様ですから。私にとっての斎宮は星乃様、ただお一人です」
言い切った御影を、星乃は暫し呆然と眺めていたが、やがて実感が湧いてきたのか、その頬に朱が差した。
「ーー何て言うか、分かってはいたけど……御影ってとんでもないお人好しだね。そんなんじゃ、いつか足元を掬われるよ」
冷静な態度であろうとしつつも失敗したらしい星乃は、照れ隠しのつもりなのか、畳の上を歩いていたヒヨ助を抱き上げた。
雑に撫でられたヒヨ助が迷惑そうに星乃を睨むのを見て、思わず御影は吹き出してしまう。
御影にとって目の前の星乃が主である事実は変わらない。幼いながらも、主として尊敬も出来る人物なのも確かなのだ。何の不満も無い。
(ーーでも、先代の皇の御子だなんて……。まさかこんな高貴な方とこんな風に話せる機会があるだなんて……本当、人生って分からないものね)
しみじみと思いつつ、随分と縮まった星乃との距離感から、半ば気の抜けつつある御影から無意識に言葉が零れた。
「私は一人っ子なので、ずっと兄弟姉妹が欲しかったんですけど……此処に来て可愛い妹が出来たみたいでとても嬉しかったんです。まぁ、実際は可愛い弟だったんですけどね」
そう言って微笑んだ御影だったが、星乃はその笑みから逃れる様に顔を背けた。
「ーー僕は御影の弟じゃない」
先程までよりも少し固い声音に、御影もはっとなる。
「そ、そうですよね……。申し訳ございません、流石に不敬が過ぎました」
「……」
慌てて頭を下げる御影を何処か諦めた様に見ていた星乃は少しして深く溜め息をついた。
「ーーそれなら、こうして二人でいる時は僕の事は星乃じゃなく月灯と呼んで。そうしてくれるなら、今のは……許す」
少年から「それが僕の本当の名前だから」という小さな声が聞こえてきて、御影は目を細めた。
「ーーはい。月灯様の、仰せの通りに」
ふと、御影の胸にある思いが浮かんだ。
「ーー月灯様。実は今までずっと気になっていた事なのですが、何故月灯様は四乃の一庶民に過ぎない私にお声を掛けて下さったのでしょうか。
もし宜しければ、教えて頂けませんか?」
それは御影がこの斎宮殿に上がってからずっと気になっていた事柄だった。
それに対して、当の月灯は何やら酷くばつの悪そうな顔をした。
「まぁ、気になるよね……」
やがて観念したようにぽつぽつと語り始めた。
「ーーあれは春先の事だったかな……。
斎宮に就任する事が決まった僕は、一陽から松江達信頼出来る数人を引き連れて九陰に向かっていたんだ。
安全な経路を調べた筈だったんだけど、乗っていた牛車を大蜘蛛の怪異に襲われてね。ちょうど四乃と九陰の郡境の辺りだよ。
護衛が早々にやられてしまって、これはもう駄目かもしれないって思った所を、とある人に助けられたんだ」
月灯によって語られる内容に、御影は何か既視感に近いものを感じた。
そんな御影をよそに、月灯は続ける。
「その人は初めは姿を消していて、僕らが呆然としている内に、あっという間に大蜘蛛を倒してしまったんだ。
その後姿を現したその人を見て、凄く驚いたよ。世の中にこんなに強くて綺麗な人がいるんだって……。
しかもその人は僕が腕を怪我しているのを察して薬まで分けてくれたんだよ」
ここまで来れば間違え様が無い。御影の中で予感が確信に変わる。
御影が助けた、黒髪に水干姿の可愛らしい少年。
「ーー月灯様、まさかあの時の……」
御影の問い掛けに、月灯は俯く。前髪で隠れて目元は見えないが、その頬は見間違えの無い程に朱に染まっていた。
「ーーあぁ、そうだよ。一目惚れ、だったんだ……。
その後九陰の斎宮殿に上がってから、君の事を調べたら四乃の郡領の息子に求婚されてる事を知って、居ても経ってもいられなくなった……。
でも僕は斎宮だし、簡単には動けない。そうなると出来ることは一つだった……」
目の前で展開されるとんでもない話に御影の頭は半ば恐慌状態だった。
(ーーそれで私を斎宮殿に……? えっと、待って……。つまり月灯様は……私の事を好いて下さってるって、そういう事……?)
そんな御影に対して、月灯は意を決した様に言った。
「ーー御影。僕は君が好きだ。僕は斎宮で自由の利かない身なのは確かだ。この先だってどうなるか分からないし、君にも何かと不便を強いると思う……。
それでも僕は……君には僕の側にいて欲しい……」
真剣そのものな月灯に、しかし御影は何も言葉を返すことが出来なかった。
「返事は今でなくても良いから」という少し寂しげな月灯の声が御影の耳に残った。




