2-8 斎宮のお願い
あの日から数日が経った。夜である。
御影は自室で一人物思いに耽っていた。
考えるのは当然、先日の出来事である。
あの後、御影と小百合は勿論のこと、梅の間にいた見張りの巫女も含めて事情聴取を受けた。
斎宮星乃が就任して以来の大事件である。
ひとまず、毒殺を未然に防いだ事になる御影は今回の事件の容疑者からは外された。
当然、それ自体は喜ぶべき事であるが先程泰菜からもたらされた情報が御影を失意の底へと落としていた。
「ーー小百合が座敷牢に……」
自らの言葉を反芻する。信じたくはないが、状況的に一番怪しいのが小百合であることも事実だった。
あの後の調べで厨房から斎宮の膳が運び出された際には鈴蘭が混入されていなかった事は複数の巫女達の証言から明らかになっている。
そうなれば犯行を行ったと考えられる人物は絞られる。
(でも、小百合があんなことする筈がないもの)
思い出されるのは顔を紙よりも白くした小百合だった。
斎宮殿下を守れた事は何よりだ。しかし、結果的に小百合を座敷牢に送り込む事にもなった。自分の行動に後悔は無いが、やはり気にかかる。
御影は大きく息をついた。
そんな時だった。
「ーー?」
人の気配。御影の部屋の前である。
「ーー御影、いますね?」
それは巫女頭、松江の声だった。
既に寝巻き姿だった御影はこのまま出て良いものかと一瞬迷ったものの、そのままの姿で襖を開けた。
「ーーお見苦しい姿で申し訳ございません」
「構いませんよ。この様な時間に訪ねているのはこちらなのですから。むしろ謝るべきはこちらでしょう」
松江を室内に通し茶の用意をしようとした御影だが、松江がそれを静止する。
長居をするつもりは無いという事だろう。松江の意を察し、御影も松江の前に腰を下ろした。
「ーー御影、先日は誠に大義でしたね」
先日の鈴蘭騒動の事だと御影は瞬時に理解した。
「いえ、斎宮殿下が御無事で本当に良かったです」
「此度の件、貴女が未然に事を防いだことを殿下も大変喜ばれていました」
「ーー斎宮殿下に仕える巫女として当然の事をしたまでです」
松江から贈られる賛辞に頭を垂れる御影だか、今も座敷牢にいる小百合を思うとどうしようもなく胸が痛んだ。
そして、そんな御影を松江も見ていた。
「ーー御影」
「はい、松江様」
顔を上げた御影だが、次に松江が発した言葉によって御影はこぼれんばかりに目を見開いた。
「ーーえ? これから斎宮殿下の寝所に……ですか?」
「えぇ、そうです。その装束のままで構いませんから、今から行きなさい」
急過ぎる話に御影は困惑したが、松江から「殿下がお待ちですよ」と言われてしまえば、行かざるを得ない。
松江に半ば急かされる様にしながら、御影は自室を出るのだった。
*****
「ーー急に呼び立ててすみません……。迷惑だとは分かっていたのですが……」
行灯に照らされた室内、上質な布団の上で申し訳なさそうに星乃が言う。
御影の自室よりも広い寝所に布団が二枚、隣り合って敷かれている。
更にその枕元には小さな木箱が置かれ、先日助けたヒヨドリが気持ち良さそうに眠っていた。
「いいえ。私は斎宮に仕える巫女ですから、どの様な事でも頼りにして頂けるのは嬉しい事ですよ」
星乃を安心させる様、御影は柔らかく微笑んで見せる。元々斎宮の支えになりたいという気持ちから、御影はこの斎宮殿にやって来たのだ。
そんな御影に星乃は目を伏せる。
「御影……。先日は本当に有り難うございました。御影が助けて下さらなければ、わたくしは今頃此処にはいられなかったかもしれません」
「斎宮殿下……」
そうだ。この姫君はつい先日生命の危機に脅かされていたのだ。
(そうよね。気丈に振る舞ってはいても、本当はどんなに怖かったか……)
星乃の立場を思い声を詰まらせる御影に、星乃は言うか言うまいか迷った後、やがてぽつぽつと話し始めた。
「ーー実は、とても情けない話なのですが……毎夜恐ろしい夢を見ていて、一人で眠るのが酷く心細いのです……。
斎宮であるわたくしがこんな子供の様な事を言うのは、本来ならば許されないという事は分かっているのですが……」
言いづらそうに、星乃は言葉を続ける。
「それで……御影が嫌でなければなんですが、その……隣で一緒に眠って貰えないかと……」
言い終わった星乃は、自分で自分が情けなくなったのか、何処か泣きそうな顔で俯いてしまった。
一方の御影は、そんな星乃の様子に当たり前の事実に思い至った。
(ーーそうよ。斎宮といえど、星乃様はまだこんなにも幼いんだもの……。先日はあんな事もあったのだし、本来ならばもっと大人に甘えたい筈なのに、立場がそれを許してくれないのね……)
眼前の星乃が急に小さな少女に見えて来る。
そう思うと、御影は考えるよりも先に身体が動いていた。
俯く星乃を正面から優しく抱き締めたのだ。
「ーーみっ、御影……っ!?」
それに驚いたのは星乃である。御影の柔らかな身体に包まれているのを自覚して、その顔は茹でダコの様に真っ赤だ。
「ーー星乃様。斎宮といえど、星乃様はまだ子供です。甘えたい時は幾らでも甘えても良いんですよ。
私の様な者でも良いとおっしゃって下さるのなら、幾らでも甘えて下さい。姉だと思って下さっても結構ですから」
(ーー姉だなんて、少し不敬かしら……。でも、そんな風に思って貰えたら本当に嬉しい……)
それに一緒に寝るという話も、防犯の観点から考えると忍である御影が側にいるということはそう悪い事では無い。現に先日の鈴蘭騒動でも御影の知識は確かに役に立った。不届き者が忍び込んだとしても、必ずこの幼い主を守り抜いてみせる。
御影の話に耳を傾けていた星乃は、「姉」という言葉に一瞬何とも言えない顔をするも、やがて「有り難う、御影……」と小さく囁いた。
夜が更ける。




