2-7 小百合と鈴蘭
その日の昼の時分のこと。母屋の廊下に御影と小百合の姿があった。
小百合の手には昼餉の膳がある。巫女達が普段使用している物よりも数段格式高いそれはこの斎宮殿の主、斎宮星乃の為のものである。
二人は今日斎宮の昼餉の配膳担当に任じられていた。
「ーー小百合、もう体調は大丈夫なの?」
「えぇ、もう大丈夫よ。心配掛けてごめんなさい。体調管理の一つも出来ないだなんて、先輩として恥ずかしいわ」
そう俯きがちに言う小百合を、御影が慌てた様に励ましの言葉を掛ける。
「もう、本当に小百合は気にしすぎよ? 泰菜じゃないけどもう少し力を抜いても良いんじゃないかしら」
「そうね」
そう言って力なく微笑む小百合に、御影は内心で溜め息をついた。
小百合は本当に生真面目だ。どんな些細な事でも自分の責任に感じて、自分を追い詰めている。
現に、今も小百合の顔色は良いとは言えない。
(本当はまだ万全じゃないんだわ……。無理しなくても良いのに……)
心の不健康はそのまま身体に関わってくる。これではまた近い内に小百合が寝込む事にならないか、御影は心配だった。
斎宮の昼餉の膳も当初は御影が運ぼうと提案したのだが、「休みを貰ってしまった分、これくらいはやらせて」と小百合に言われてしまったのだ。
日中、斎宮は母屋の斎宮曹司にて執務を行っている。
長い廊下を抜けると、梅の花が描かれた美麗な襖が現れる。
声を掛けると、内側で控えている巫女によって襖が開けられた。
この先、竹、松と更に襖があるのだが、ふいに、御影は背後を振り返った。
「ーー御影、どうかした?」
「今、何か音がしなかった?」
御影の言葉に、小百合も梅の間の見張りの巫女も怪訝そうな顔をする。
「特に何も聞こえなかったと思うけど……」
「……」
(私の聞き間違い、なら良いのだけど……)
一瞬、御影の耳に届いたその音。
まるで、刀剣を抜く際の、鯉口を切る様な音では無かったか?
「ーーごめんなさい。小百合は少し此処にいて」
「え、ちょっと……っ!?」
言うや否や、御影はつい先程までいた廊下へと駆け出す。
「……」
廊下に人の姿は無い。
見える範囲に人の気配が無いかも探ってみるものの、御影の感覚は不審者はいないと告げていた。
「私の勘違い……?」
慣れない巫女としての業務に追われる中で、忍として培ってきた身体能力が鈍ったとでもいうのだろうか。
(それは良くないわよね……)
何にせよ、何時までも此処にいるわけにはいかない。
御影は小百合の待つ梅の間へと踵を返した。
*****
「ごめんなさい。私の勘違いだったみたい……」
「もう。急に部屋を飛び出していくんだもの、びっくりしたわ」
苦笑する小百合に、御影は再度頭を下げる。
その際に小百合の手にある昼餉の膳が目に入った。
(あら……?)
小さな違和感だったが、御影はすぐにその理由に気付く。
汁物の装われた漆器の椀である。斎宮専用の厨房から膳を受け取った際には椀と蓋の模様がぴたりと合っていた筈なのだが、それが微妙にずれている。
(運んでいる時にずれた……? でも……)
「御影、どうかしたの?」
急に何やら考え込み始めた御影に声を掛けた小百合だったが、次の瞬間にはその瞳をこれ以上無い程に見開いていた。
「み、御影……!?」
御影が汁物の蓋を開けたのだ。仕える貴人の膳に勝手に手を出すなど罰せられても仕方がない行為である。
小百合の困惑した視線が突き刺さる。
しかし、当の御影本人は食い入る様に蓋の開けられた椀を見るばかりである。
汁物の椀には可憐な白い小花が散らされていた。
鈴蘭である。
「ーー小百合、これ」
「え?」
御影の言葉に、小百合の方は最早何が何だかという表情である。
(ーー鈴蘭。鈴蘭よね、これ……)
端から見れば可愛らしい小さな白い花であるそれ。以前、御影が父の書庫で見付けた本にも記載されていた。
記載されていた本の名は、毒草百選である。
鈴蘭の根や花には人体に極めて有害な毒素が含まれている。摂取すれば頭痛や目眩、心臓麻痺などの重篤な症状を来たし、最悪の場合には死に至る。
当然ながら斎宮の膳に盛られて良いものではないし、この鈴蘭が示すものは一つだけだ。
斎宮星乃、その毒殺である。
「御影、さっきから黙っていったいどうしたの?」
「ーー小百合。そのお椀の中の鈴蘭は毒草よ。口にすれば命を落とす事も少なくないわ」
「えっ!?」
御影の言葉に小百合が顔を真っ青にする。
「小百合、そこを動かないで。大事な状況証拠だから」
「わ、分かったわ」
小百合が頷くの見て、御影は近くに控えていた梅の間の見張りの巫女に声を掛ける。
彼女もこちらの只ならぬ様子を見守っていたらしい。事情を伝えた所、すぐに人を呼びに行ってくれた。
間をおかず、梅の間に先程の見張りの巫女と共に数名の巫女達が戻って来た。
入室してきた巫女達の緊迫した面持ちを見て、御影は波乱の今後に思いを巡らせるのだった。




