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2-6 不和の気配

 朝、御影はその日一日の業務内容を確認するべく母屋にある巫女の詰所へと向かっていた。


 隣には泰菜の姿もある。


 「ーーそれで、小百合の具合は大丈夫なの?」


 「大丈夫、だとは思うんだけどね。でも、此処のところ体調崩しがちだから、一度お医者に診て貰えとは言っておくわ」


 「そうね。小百合は少し真面目過ぎる所があるから、精神的な疲れもあるのかも……」


 御影の言葉に「ほんとそれ」と泰菜も同意する。


 体調を崩したらしく、小百合は今日一日欠勤らしい。泰菜によれば時折こういう事があるらしいが、先日の清歩祭で欠員が出た事も考えると、時期的なものという事もあるのかもしれない。


 「早く良くなるといいわね」


 「そうね。小百合がいないと張り合いないし」


 「仲が良いわね」


 御影が微笑と共にそう言えば、泰菜も「まぁね」と同意する。その耳が心なしか赤くなっていた。





*****


 上位巫女の詰所に入ってすぐ、御影と泰菜は顔を見合わせた。


 室内がいつになく騒がしいのだ。


 「ーーどうしたのかしら?」


 「さぁ?」


 首を傾げる二人だったが、室内のざわつきの理由は耳に入ってくる巫女達の会話によって徐々に明らかとなった。


 「ーー昨日の……で……らしいのよ……」


 「ーーまた……面倒な事に……」


 「ーー私達には……で……なら良いけれど」


 巫女達の声が幾つも飛び交うが、それらは全て一つの事柄についてのものだ。


 郡政会議、斎宮、予算、見直し……。


 「何か気になるわね……。ちょっと聞いてみましょうか」


 「そうね」







 「ーーなーるほど、昨日の郡政会議で、斎宮殿下がねぇ……」


 泰菜の言葉に御影も頷く。


 「ーー国から出ている郡政予算の使い途を見直したいって、そう仰られたのね」


 巫女達から聞いた話を纏めるとこうだ。


 昨日、斎宮殿の母屋で定例の郡政会議が開催された。


 斎宮星乃もそこへ出席し、何と毎年国から与えられている郡政予算の使い途を見直したいと提案したというのだ。


 多くの怪異に襲われる九陰の予算は決して少なくは無いが、それでも常にかつかつである。予算案も国の承認が下りるぎりぎりを攻めている。要は九陰の郡司達が永い年月を掛けて仕上げてきた彼等の成果であり、領分なのである。


 当然、会議の場には何とも言い難い空気が流れたという。


 「しかも、この喜瀬だけじゃなくて九陰各地の小さい村の守備にも予算を割きたいって言うんでしょ?」


 泰菜が「難しいと思うけどねぇ」と天井を仰ぎながらぼやく。


 「でも……」


 「今だって何とか遣り繰りしてるっていう話でしょ。そんな余裕無いでしょ」


 弁を述べる泰菜に、まだ九陰の諸々の事情に詳しいとは言えない御影は唇を噛んだ。


 脳裏を過るのは先日の一幕である。


 あの中庭で、御影は斎宮に「九陰に暮らす力無い人々をどうか助けて欲しい」と願った。


 そして斎宮は「何とかしてみせる」と、そう答えたのだ。


 (斎宮殿下、これはあの時の事が切っ掛けなの……?)


 そう思うと御影の胸は熱くなった。きっと問題は山積みなのだろうが、あの斎宮殿下ならばきっと叶えられる。不思議な確信があった。


 (ーー私も斎宮殿下の為に、もっともっと頑張らないといけないわ)


 そんな御影の決意が横から聞こえてきた泰菜の言葉によって冷や水を浴びせられた。


 「ーー全く。斎宮殿下も郡司達に目をつけられる様な事ばかりしなくてもねぇ……」


 「そ、そうよね……」


 考えれば先日、斎宮殿下と郡司達の間の軋轢について聞いたばかりではないか。


 「ーーこれで、斎宮殿下のお立場が更に悪くなってしまったらどうしよう……」


 「うーん。どうかしらねぇ……」


 そうぼやいて泰菜がさりげなく壁際の巫女達を指差す。


 「ーー他所に気を回して、こちらが疎かになる様な事があったら絶対に嫌だわ」


 「ーー私達の所から削られたりするのかしら。着物とか食事の質が落ちたりとか……」


 「ーーえぇ、そんなの絶対に嫌よね」


 耳に入った巫女達の会話に、御影は思わず眉を潜める。


 (喜瀬の外の人々の安全よりも、自分達の贅沢の方が大事だって言うの……っ!? 斎宮殿下に仕える巫女として、それってどうなの……っ!?)


 思わず拳を握り締めた御影だが、その拳に泰菜の手が触れる。


 「泰菜?」


 「気持ちは分からなくも無いけど、此処は抑えなさいよ」


 「……」


 「御影はまだ此処に来て日が浅いんだし、わざわざ憎まれる様な事はしなくて良いの。全く、あんたも少し力を抜きなさい」


 泰菜の言う通りだった。


 先輩巫女の心遣いに、御影は大人しく従い拳をほどいた。


 壁に貼り出された作業の割り振り表を見ながら、御影は内心で一人ごちる。


 (ーー私のしたことは余計な事だったのかしら……)


 しかし、その答えは当然無いのだった。






*****


 その日の夕刻。御影は一人、母屋の廊下を歩いていた。


 今日中に仕上げなければいけない作業が長引いた為、一人作業部屋に残り残業していたのだ。


 (ーーお腹空いたわね。そろそろ夕餉が用意される時間かしら……)


 そんな事を考えながら先を急いでいた御影だが、ふと足を止める。


 視線を、感じたのだ。


 次いで、全身の肌が粟立つ感覚に襲われる。


 (ーーな、に?)


 ぎこちない動作で、首を動かす。


 廊下の向かって左側には白砂の敷き詰められた優美な庭園が広がっている。


 その中央付近にはこの庭園の象徴でもある立派な松の大木が植えられているのだが、そこに男が立っていたのだ。


 (ーー誰? 郡司の方……ではないわよね)


 郡司ならば服飾既定として狩衣を纏っている筈だが、件の男は着流し姿である。


 しかし、そんな事はどうでも良い。


 男の、腰まではあろうかという金糸の髪が風に揺れている。


 深紅の瞳がこちらに向けられている。


 (ーーまずい)


 御影の本能が告げていた。


 これは関わってはならないものだと。人ならざるものだと。


 (ーー絶対に人じゃないわ。じゃあ、怪異……? いいえ、違うわ……)


 その場から一歩たりとも動けない御影をよそに、男の方は興味を失くしたとでもいうのか、御影に背を向けて数歩進み、その場から忽然と姿を消した。


 文字通り、消え失せたのだ。


 御影はその場に座り込んだ。完全に腰が抜けていた。


 「な、何だったの……っ!?」


 今になって心臓が酷い早鐘を打っている。


 忍として数多の怪異との交戦を経験してきた御影をして、呼吸が止まるほどの緊張感。


 それをもたらしたあの男は一体誰だったのか。


 そして、御影はあるものも目にした。


 男が姿を消す寸前、その金糸の髪の一房を纏める為に見覚えのある黒百合の飾りが使われていた事を。

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