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よみびとしらず #03 聖子  作者: 艸香 日月
第九章 決戦
9/13

決戦

 今宵は満月である。

 京の都は朝から涼やかな風が吹き、大通りを行き交う商人たちが挨拶を交わしている。

 寝付けなかった聖子は夜通し歌を詠んで過ごし、朝日が昇る前の明けかかった空の下、目覚ましに下男と共に大通りを散策していた。

 どこかで早起きの烏が一羽鳴いている。


 本当に今日、頼明と対峙するのだろうか――。

 いつもと変わらない都の様子や空の様子の中にあって、聖子は不思議な気持ちでいた。

 頼明は底力が読めぬほどの強敵と聞いている。一度やり合えば物の怪と人間、双方に甚大な被害が出るであろうことも予想されている。

 そんな大戦が本当に起こるのだろうか。

 徐々に明けてゆく空を見上げると、筋状の雲が北へ向かって尾を引いていた。




 それから四半時後。

 雅楽寮では早くから生徒が各々の楽器を持ち寄り稽古に励んでいた。

 良成はその只中にあって方々への指示を飛ばしていた。

 演目は前回と同じなので特別な訓練はしていないが、それでも人を招いての宴となると緊張するものである。

「おはよう、聖子。おやその目は眠っていないな」

 良成は登寮した聖子を見定めその顔をじっと見つめた。

「師匠こそ目が赤いではありませぬか」

 聖子が指摘するように、師匠である良成もまた、女の隣で横になってはいたものの、眠れずに過ごしたのであった。

 ふふ、と互いに変な笑いを交わし合い、師弟はそれぞれの持ち場へ向かった。


「おはよう、聖子」

「おはよう」

 聖子が龍笛ひとつをたずさえて宴の持ち場へおもむくと、先に陣取っていた明子と犬千代が元気な挨拶を投げてよこした。

 二人とも目はきらきらと輝いている。

 二人とも、どうやらぐっすり眠れたようであった。

 肝がすわっているのか、はたまた能天気なのか。

 聖子はくすりと笑うと持ち場に腰をおろし龍笛を吹き始めた。

 泣いても笑っても今日が最後である。

 失敗は許されない――。

 聖子の背にぞくりとしたものがひた走った。





 一方の陰陽寮では、康親と八郎、そこに合流した玄庵が、稽古場の一角を占め最終確認に当たっていた。

 その場には三名を囲むようにして、さきほど召喚したばかりの水龍と火の鳥が鎮座している。

 それらの体を愛おし気になでつつ、康親が含みありげに言う。

「うまくいくといいのですが」

 それを受けて玄庵が口を開いた。

「物の怪たちの様子も気になるな。皆の足並みがそろえば頼明めに一泡吹かせることが出来るのじゃが。はてさてどうなることやら」

 年長の二名が何やら危うい発言をしているので、八郎は気が気ではなくなっていた。

「そんな弱気なことでよいのですか」

 八郎は思わず、すがるような声を二人に向けた。

「相手のいることだからね。それに人外の力も加わる。一筋縄ではいかないだろうね」

「正直なことだ」

 二人はかっかと高笑いである。

 そんな二人を前にして、心配で居ても立っても居られない八郎であった。





 さて雅楽寮では時間通りに宴が始まろうとしていた。

 舞台を囲うようにして部屋は並び、あげられた御簾が間仕切りをなくしている。

 それぞれの部屋に畳が三列に渡って敷かれ、それらを埋める人々が表まで行列を成していた。

「いよいよじゃな」

 犬千代が、隣に座る明子と、前に座る聖子に向かって投げかけた。

「緊張するのう」

 聖子は振り向いてにやりと笑ってみせた。

「図太いね、聖子は」

 その顔から笑顔の消えた明子が嫌味を飛ばす。

 客の顔ぶれも席順も前回と同じである。

 つまり頼明の席は聖子の真ん前、ちょうど真向いに当たる。

 果たして私はやり遂げられるのか――。

 頼明と聖子は、あの夜以来の対面である。

 聖子はいざ頼明が敵方と知れた時に、思わず満月を求めてしまった。

 そのことが聖子の心の中で固く溶けないしこりとなって消えないのであった。

 そんなことを考えながらぼんやりしていたらしい。

「聖子、前」

 明子の声に、聖子は我に返った。

 明子の言葉を反芻する自分があった。

 それより早く、目が目の前の男を追った。

 

 頼明であった。


 聖子は思わず視線を外した。

 しかし、一瞬のうちに瞼に焼き付いた男の姿は老人であった。

 当然、満月殿ではない。

 聖子の心の臓は早鐘を打った。

 満月殿では、ない。

 聖子は目の前でこちらに向かい腰を下ろした老齢の男を、ついぞ見ることが出来ないでいた。

 そうこうしているうちに良成の号令と鐘の音が、場内に響き渡った。

 宴の始まりである。





 二幕、三幕と、宴は順調に進んだ。

 聖子は頼明に目をやることなしに、一心に龍笛に息を吹き込んでいた。

 稽古のかいあって、別段意識することもなく体は勝手に奏でてくれる。

 日頃の成果じゃな。

 ふふ、と聖子は内心自嘲した。

 

 予定通りであれば、三幕と四幕の間の休み時間に、明子が頼明を誘い出すのである。

 その明子の様子が気がかりであったが、聖子の後ろに座る明子の表情は、聖子からは見えない。

 聖子に若干の焦りが見え始めた頃、三幕が終わった。

 曲の終わりに十分な間を取って、聖子は後を振り向いた。

 明子と視線がかち合う。

 聖子は小さくうなずいた。

 明子もそれに応えて小さくうなずいて返した。

 明子は席を立った。


 聖子からは見えないが、座敷の奥の方には陰陽寮代表で招かれた先程の三名が陣取っていた。

「いよいよでございますね」

 八郎が年長の二名に声をかける。

「明子め。失敗するなよ」

 緊張からか、誰へ向けてでもなく放たれた八郎の言葉には毒があった。

「八郎、静かに」

 八郎の前に座る康親が振り向き、八郎をたしなめた。

 その時であった。

「明子だ――」

 頼明を見据えていた玄庵が、明子の姿を捕らえたのである。

 

 明子は、頼明に近づきその前に膝をつくと、懐から文を出しそれをつと頼明の前に差し出した。

「主からの文にございます。これより頼明殿をお招きいたしますので、どうぞお越しくださいませ」

 明子の声は少々うわずったが、頼明が怪訝に思う程でもなかったらしい。

 頼明は差し出された文を手に取り広げ目を通すと、「あい分かった」と言って重い腰を持ち上げた。

 厠へ立つ人、なじみに挨拶をする人、菓子を取りに行く人、様々な人々が交錯する仲で、明子と頼明だけは静かに一つの目的をもって進んでゆく。

 その様子を見守って、康親と玄庵、それに八郎は雅楽寮の外へ出た。

 急いであらかじめ用意してあった牛車に乗り込む。

「予定通りに」

 康親が御者に告げると、御者は深くうなずき牛車を繰り出した。

 向かうは一路、願良寺である。


 宴は続く。

 途中で抜けた明子の穴を埋めるべく、良成の号令により新たな人員が補充された。

 聖子と犬千代は何食わぬ顔で演奏を続ける。

 この二人と良成が頼明退治に合流するのは宴が終わってからである。

 聖子は気がせいてならなかったが、それは犬千代と良成も同じであった。

 三名の思いとは裏腹に、曲はろうろうと歌い上げられ、舞子は雄大に舞う。

 刻一刻と、その時が近づいていた。

 




 頼明を伴う明子が、願良寺に到着した。

 小高い丘の上に位置する願良寺に、牛車はそこまで登れない。

 当然、ふもとで牛車を降り、そこからは歩きで階段をのぼるのである。

「お足元にお気を付けください」

 明子はそう頼明に告げると、先に立って階段をのぼりはじめた。

 明子は終始気が気ではなかった。

 目論見が明らかになれば殺されるのではないかと内心恐怖におののいていた。

 そのため足元がおぼつかなくなり、そのたびに石段につまづき転びそうになった。

 すると頼明から声がかかるのである。

「大丈夫ですか」と。

 明子は慌てて「大事ないです」と答えるが、そのような思いやりのある頼明の言葉に、徐々にではあるが緊張がほどかれていった。

 本当にこの物腰柔らかな老人が、かの悪名高い頼明めであるのだろうか――。

 明子は、恐怖していた心が、いつの間にか和らいでいるのに気づいていなかった。


 石段をのぼりきると、明子は頼明とともに、設けられた石造りの長椅子に腰をおろした。

 明子は境内を見渡した。

 花が盛りの寺では、彼岸花が見ごろを迎えていた。

 境内に目を向けると、予定通りに小坊主がそこここに散らばり掃除をしている。

 明子はそのうちの一人に声をかけ、これも予定通りに、裏口の滝まで案内を願った。

「こちらでございます」

 言って小坊主は箒を抱えたまま予定通りに二人を促す。

 小さいのに肝がすわっている。

 小坊主の後について行きながら、明子は胡麻ほどに小さくなっている自分の肝に恥じ入った。

 明子の出番はもうすぐそこまでである。

 水しぶきの音が、すぐそこにまで迫っていた。

 その音に導かれるように、小坊主は脇目もふらず二人を誘導していく。

 そうしてついに、滝が姿を現した。

「こちらが滝でございます。案内はここまでにございます」

 小坊主が二人に振り向きそう言い放った時であった。


「百鬼夜行」


 明子には、滝が近すぎて聞こえなかった。

 頼明にはどうであったか――。


 突如中空に穴を開けそこから流れ出た百鬼夜行は、そのまま頼明に突っ込んでいき、頼明を呑み込んだままあっという間に滝の裏口に設けられていた妖界と人界との『入り口』に吸い込まれていった。


 一瞬の事であった。

 後には何事もなかったかのようにしぶきを上げ続ける滝と、その脇に腰を抜かし倒れ込んだ明子と小坊主が残された。


 頼明に与えられた時は刹那――。

 突如あらわれ自身を押しつぶすべく迫りくる物の怪の大群に、頼明は身をよじって瞬時に意識を改めた。

 そうして、わずかに動く指先で印を作り、震える唇で呪を唱えた。

「おおん」

 物の怪に持っていかれる自身のからだをわずかでも動かせたのは幸いだった。

 頼明は瞬時に己の体を結界でまとい、体を丸くしたのであった。




 妖界では、同じ時、同じ場所に、同じ建物が存在する。

 妖界では当然、願良寺もその場にあった。

 願良寺が持つ小さな滝の裏に口を開けた『入り口』の傍では、大勢の物の怪がたむろしていた。

 人界の空気を好んで名もなき物の怪も、そこここに巣くっている。

 いつもの妖界の光景が広がっていた。

 しかし突如そこへ躍り出たのは、先にあげた百鬼夜行であった。

 その先頭に頼明を伴ったまま、夜行はうねりつつ、けたたましい鳴き声をあげながら妖界の中空を進む。

 頼明は、ようやっと開く目で必死に現状を把握していた。

 何じゃ何じゃと、妖界に散らばっていた物の怪が願良寺に集まってきていた。


 『入り口』から夜行の全部が吐き出された後、夜行を繰り出した張本人である狸は、行儀よく『入り口』を通って妖界へと戻った。

「解除」

 狸がそう唱えると、夜行を成していたすべての物の怪は、突如動きを止め散り散りになった。

 夜行の先頭で必死に耐えていた頼明は、落下し始めた直後に自ら術をかけ体を浮かせた。

 妖界の中空へ放り出された頼明と、それを待ち構えていた狸の視線が交錯する――。

 頼明は自分の身に起こったことを既に理解していた。

 狸が吠えた。

「何か最後に言い残すことはあるか」

 単純な問いであったが、これほど頼明の現状を表す言葉もなかった。

 しかし頼明は冷静であった。

 頼明は狸の目を見たまま、しっかと応えた。

「お主とはまたやり合うことになる。何も言うことはない」

 

 少しの間があった。

 しかし次は早かった。

 頼明と狸は同時に口を開いた。

「水龍召喚」

「火の鳥召喚」

 頼明が水、狸が火であった。

 二人の一騎打ちが始まったのである。

 周辺には高みの見物を決め込もうと、百鬼夜行から解き放たれた物の怪や、もともとそこにいた物の怪などが居並んでいた。

 中には狸に召喚してほしくてそこに陣取っているものもある。

 頼明は笑って言い放った。

「妖界では分が悪いが、なに遊んでやるわ。ほ、ほ」

 頼明は観衆の目前で狸に対し二匹目の龍を繰り出すのであった。





 一方人界では、康親、玄庵、八郎の三名が、牛車で願良寺に到着していた。

 ひぐらしの声が四方から聞こえるなか、三名は長い階段を昇り寺の境内まで一気に駆け上がった。

 一等は一番若い八郎であった。

 息が整っていない八郎の目に最初に飛び込んできたのは、鮮やかな赤であった。

 それは境内を囲う生垣に植えられた、彼岸花の色であった。

 なんと鮮やかな――。

 八郎はひととき我を忘れた。

 しかし次に目に飛び込んできたのは、別の赤であった。

 それは地面にたっぷりと流れ出している、人の血の色であった。

 八郎は困惑した。

 目の前の光景が信じられなかった。

「し、師匠」

 八郎は思わず叫んでいた。

 呼ばれて康親が後ろからやってくる。

「これは」

 康親は言葉を失した。

 玄庵が遅れてやってきた。

 玄庵の目に、それがうつる。

 玄庵は己の目を疑ったが、思わず言葉が口をついて出る。

「それは、良円、良円か」

 八郎と康親が立ちつくしている横をすり抜け、玄庵は血の海に沈んでいる小坊主に駆け寄った。

「おい、しっかりしろ、何があった」

 玄庵はそう言いながら良円と呼んだ小坊主の身体を抱き寄せ何度も揺する。

「良円、良円、聞こえるか、良円」

 玄庵は何度も呼ぶが、返事はない。

 ただ事ではないと意識を新たにし一歩下がった康親は、講堂の方に向け目をやった。

 すると別の小坊主と思しき足が二つ三つ、折り重なるようにして土間からのぞいているのが見えた。

「玄庵、あちらにも」

 玄庵は何を言っているのだという困り顔を康親に向けた。

 康親は無言で視線をやる。

 玄庵は良円をその場に横たえ、講堂の方へおぼつかない足取りで進んでいく。

「これは……円陳、円仁、円宋ではないか。みな、どうした。何をしておる」

 重なる三体の足に、玄庵はしがみついた。

 不思議と涙は出ない。

 代わりに苦笑いだけが浮かんでくる。

「玄庵、悪いが裏の滝へ急ごう。頼明がどうなっておるのか知りたい」

 わざと声色をおさえた康親の提言に、玄庵は何度もうなずいてみせた。

「ああ、ああ、分かっている」

 その様子を痛々し気に見つめ、八郎は康親に先立って歩き始めた。


 裏の滝は相変わらず涼し気な音をたてて流れ落ちていた。

 一見したところ何も変わりはなかった。

 しかし三名が『入り口』に向かった時であった。

 滝のすぐ脇に、明子が臥せっていたのである。

「明子、大丈夫か」

 声をかけ、急いで八郎が駆け寄った。

 八郎がその身を抱き上げる。

 するとじっとりと湿り気のある着物が、八郎の手に触れた。

 それは明子の汗であった。

 しかしその量が尋常ではない。

 嫌な感じが、した。

「おい、明子、大丈夫か」

 改めて八郎は声をかけた。

 まだ返事はない。

 八郎は言葉を求めて明子の口元に耳を近づけた。

 八郎は目を見開いた。

 いちど顔を離し、八郎は明子の顔を初めて見るようにして凝視した。

「明子」

 それだけ言うと八郎は次の言葉につまり、思わず康親を振り返った。

「師匠」

 すがるような弟子の視線に康親はただならぬ気配を感じた。

「明子の息が、ありません」

 八郎は、それだけ振り絞ると明子に向き直り、手の甲を明子の口にあてた。

 康親と玄庵が駆け寄った。

 すると玄庵の視野に、別の人物の影が入った。

 玄庵は知らなかったが、それは明子を案内した小坊主であった。

 小坊主の衣服を見て、玄庵は苦笑いを浮かべた。

 玄庵は小坊主に近づいていく。

「誰かな」

 玄庵はそうつぶやくと、小坊主の顔にかかっていた葉をかき分けた。

「勘円――」

 玄庵は、その場にひざを折って崩れ落ちた。

 

 康親は、目の前に横たわる二つの遺体と二人の仲間の様子を、遠くから眺めるようにして把握していた。

 そうしてつとめて冷静に、背を向ける二人に向かって語りかけた。

「二人とも落ち着いて聞いて欲しい。二人の遺体に傷跡がないことから、死因は術によるものと思われる。頼明を妖界へ連れ込む際にやららたのか、何者の仕業なのかは分からない。が、犯人が人界にいるものとして振舞おう。今から『邪見』を展開してくれ」

 『邪見』とは、人界にいる物の怪を見るための術であった。

 二人はその場で小さくうなずくと印を結び、それぞれに『邪見』を試みた。

「埋葬は後回しになりますね」

 八郎が気丈に言った。

「そうだね、気の毒だけれど、後回しだ」

 玄庵がそれに答えた。

 

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