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よみびとしらず #03 聖子  作者: 艸香 日月
第四章
4/13

妖界

 妖界とは現世(うつしよ)の鏡である。

 妖怪には現世と同じ時、同じ場所に、同じ星と同じ建物が存在している。

 そうして現れている建物を、物の怪どもは住処とする。

 奏もそのうちの一人であった。

 奏はとある貴人の屋敷を住処としていた。

 庭のある大きな屋敷である。

「じゃあいってくる」

 同居人に声をかけ、奏は屋敷を出立した。

 

 午後の日差しが盛りを過ぎたころ、奏の姿は妖界の妙蓮寺にあった。

 妙蓮寺は右京の端に位置している。

 人界でのさびれようそのままに、寺の周りには死臭が漂い、たちの悪い物の怪が巣くっている。

 奏の住処からは歩いて半時の距離であった。

 また妙蓮寺が擁する杉林の中には、一等大きな木をくり抜く形で人界と妖界を渡す『入り口』が設けられていた。

 かつて奏と『音若』が『入れ替わり』を起こした際にも、この橋は行き来に使われた。

 ここに来ると奏はいつもその時のことを思い出す。


「ごめんください」

 決してよろしくはない寺周辺の事情を含んだ上で、奏は今日ここにいる。

「はあい」

 声をかけると中から一人の坊主が現れた。手に箒を持っているところを見ると、丁度午後の掃除の最中のようであった。

 かつて都の転覆を図らんとした頼明率いる坊主集団が、今ではここ妙蓮寺を住処としている。この寺に坊主が多いのはそのせいであった。

「お忙しいところ恐れ入りますが、ご住職はいらっしゃいますか」

『ご住職』とは古狸のことである。そしてその古狸とは、近辺の物の怪を束ねる頭である。

「中にいらっしゃいます。どうぞ」

 短く答えて坊主は奏を先導する。

 幾重にも連なる板敷の廊下をくねくねと進む。どこの角でどう曲がっても迷いそうなのに、坊主は脇目もふらず真っ直ぐに目的の部屋まで進んでいく。

 何度見ても不思議な光景である。


「失礼いたします。ご住職。お客様にございます」

 ある部屋の前で止まると、坊主は床に片膝をつき声を張った。

「入るがよい」

 ふすま越しに部屋の中から声がする。

「ありがとうございます」

 案内してくれた坊主に礼を言うと、奏は一人部屋に入った。

 部屋の中央には、こちらに背を向けた茶色い毛の塊が鎮座している。大きさは奏の十倍はある。

「お久しぶりでございます、奏でございます」

 毛の塊は、声を掛けられやっと振り向いた。

「おお、奏君、元気だったかな」

 狸は口の周りを菓子で汚しながら奏に応える。その手には菓子が握られている。

「お忙しいところ申し訳ありません。折り入ってお話があってまいりました」

「まあまあ、食べながら聞くとしよう」

 狸はそう言うと手にした菓子を奏に差し出した。


「ご住職、私を見て何か気づくところがございませんか」

 もらった菓子を食べ白湯をいただいた上で、奏は狸に尋ねた。

「気づくも何も、どうした、散髪でもしたのか」

 奏は蛙である。どうして毛があろう。

「ご住職、冗談ではございません。事は一大事にございます」

 思うようにうけなかった為、狸はつまらなさそうに大きくため息をついた。

「私の体をよく見てください」

 狸は面白くなさそうに奏の緑色の皮膚に目を凝らした。

 しばらく。

 奏の緑色の皮膚は、呼吸に伴って膨らんでは縮みを繰り返している。

 外にいた時にはあんなにうるさかった蝉の鳴き声も、この奥まった部屋には一つも聞こえてこない。

 沈黙がやけにうるさく感じられる。

「おっ」

 静止していた狸が体を震わせた。

 目の前の光景が信じられない様子である。

「奏君、いつから――」

 悲しそうな奏の大きな瞳と目が合う。

「昨夜からでございます」

 奏はそう言うと上半身を脱いだ。

 奏の体は確かにうっすらと透けていた。





 同じころ、妖界の別の場所では明水が滝行の最中であった。

「明水殿、明水殿」

 滝のすぐ脇で別の坊主が大声で呼んでいる。

 滝の只中にある明水にはそれが聞こえない。

 仕方なしと、坊主は褌一丁になり滝の中へ入って行く。

「明水殿」

 坊主は明水の耳元で大声を張り上げ、明水のこわばった腕をしっかとつかんで引っ張った。

 引きずられるように明水の体は滝から引き揚げられた。

「なんじゃどうした」

 手ぬぐいで全身を拭きながら明水が尋ねる。

「早くこちらへ。一大事でございますれば」

 ただならぬ声の響きに気おされ、明水は衣を身に着け足早にその場を後にした。


 明水が連れて来られたのは、都を出て南へ進んだところにある小さな祠であった。

 明水と坊主の他にも先客が何名かおり、その中には物の怪に混じって坊主頭が見受けられる。

 夏の盛りが過ぎたとはいえ、周囲の田畑を分ける木々からは蝉の大合唱が聞こえており、傾く陽光が足元に濃い影を落としている。

「この祠がどうしたんじゃ」

 滝にうたれた後に汗だくになった明水は不快感をあらわにした。

「ようく見てくだされ」

 連れ立ってきた坊主の言に、その場にいた者が同じ場所を注視した。

 ぴりっとした空気に、明水はただならぬ気配を感じ、祠を凝視する。

 蝉の声が響き渡る。

 明水の顔を伝ってきた汗がぽたりと地面を湿らせた。

 それにはじかれるようにして明水が口を開いた。

「これは」

 明水は隣に立つ坊主に振り向いたが、坊主の視線は祠である。

 明水は再び祠に目をやった。

「半分透けておる」

 明水の言う通り、よく見ると祠の下半分が透き通っていたのである。

「ご住職に報告じゃ」

 それだけ言うと、坊主を置いたまま明水はその場を急ぎ後にした。




 明水の報告が古狸の元に届けられたのが、それからおよそ四半時後のことである。

 その場には奏も居合わせていた。

「どうやら妖界が端々から崩壊しておるのう」

 古狸は顎にたくわえた髭をゆるりとさすりながら眼前の二名を見やって言った。

「ご住職、前例などあれば教えていただきたいのですが」

 奏が懇願する。

 明水にとっては祠が消えかかっているだけの事だが、奏にとっては我が身のことである。

 奏は透けている我が身を大事そうに手でさすった。

「前例は、ない」

 狸はきっぱりと言い放つ。

「儂がこの辺りを縄張りにおさめたのが丁度五百年前のこと。それからというもの記憶に似たような例はないのう」

 狸は大きくため息をついた。

「前例を探すなら人界の方がよいかもしれぬ。どれ、陰陽寮の連中にでも尋ねてみるか」

 狸は筆をとり書をしたためた。

 そして窓際にとまっていた烏の足に書を結んだ。

「では頼んだぞ」

 言って狸は烏に餌をいくつか与え、烏を飛び立たせた。




 もう夕刻になるとひぐらしが鳴く季節である。

 その悲し気な音色を耳にしながら、康親は書庫の受付に座り、ひとり体を休めていた。

 日差しは赤色を帯び、間接的に光を取り込む仕様の書庫を、それでも茜色に染めている。

 落ちる影は濃い。

 遠くで寺の鐘が鳴る。

 近くでは烏が幾羽か鳴いている。

 と、そのとき、一等大きな鳴き声が窓の近くでしたかと思うと、窓にはめてある格子をすり抜け外から文が落ちてきた。

 その音を聞き、康親は不思議に思い窓辺へ近寄って、床に落ちた文を拾う。

 格子からは続いて烏の羽が一枚降ってきた。

「はて」

 言って康親は羽も拾い上げ、文を開いた。

 文面は「康親殿へ」で始まっている。間違いなく康親宛の文である。

 康親はこの不思議に対し、容易に妖界を結びつけた。

 興味深く文を読み上げる。

 康親の声が書庫に響く。

 差出人は古狸、内容は妖界の危機についてであった。


 文を手に、康親は急ぎ他の面子を集めにまわった。

 事は妖界の一大事である。

 幸いまだ午後の稽古が続いている。生徒を集めるには容易かった。良成は休講で笛の稽古をしていた。

 康親は面子を集めると、牛車を率いて一路願良寺へ向かった。

 

 そうして半時後には皆、願良寺に揃っていた。

「これはこれは、皆さまお集まりで」

 文により先に知らせておいた玄庵が境内にて出迎える。

 寺では数名の小坊主が夕餉の支度に奔走している。

 玄庵の自室に集ったのは、玄庵、康親、八郎、良成、聖子、明子、犬千代と、いつもの面子である。

 部屋に入ると座布団が手渡される。

 板敷の部屋に皆、思い思いに胡坐をかいて座る。

 皆の腰が落ち着いたのを見やって、康親が文を読み上げる。

 場面が展開するに従い、皆の表情が曇ってゆく。

 康親が文を読み終えると、朗読前とは打って変わって、部屋の内に張り詰めた空気が満ちていた。

「妖界が消滅しかかっているとのこと、果たして原因は何でございましょう」

 八郎が康親に尋ねる。

「さあて、まず第一に思い至るのは我等が見る夢だね。関わりが、ありやなしや」

 康親は大きくため息をついた。

 沈黙が室内に満ちる。

 ひぐらしに加え、近くの池に住み着いているであろう蛙の声が鳴り響く。

 皆、急いで集ったため軽く汗ばんでいた。

 誰からともなく白湯に手を伸ばす。

 最初に口を開いたのは聖子である。

「私はやはり猫又の書が気にかかります。『夢を喰らふ、これ我等の形を明らかにすべし』とあります。『我等の形を明らかにすべし』この部分が今現在消滅しかかっている事と関りがあるかと」

「そうだねえ、夢に影響されて妖界が消えかかっているのだろうか」

 良成が継ぐ。

「その前には『「夢」とはこれ、人々の形なき思いの表れである』とあります。すると人々の思いが夢を通じて妖界に影響を及ぼしていると見て間違いないかと」

 八郎が語気も荒げに断言してみせる。

「そうか」

 康親が膝を打つ。

「妖界は物の怪も含め、人々の思念(しねん)で成り立っている。そう読めないだろうか」

 一瞬、場が静まり返る。

 皆、康親の言葉を反芻していた。

「なるほど。妖界の消滅は、人々が都転覆の夢を見出した結果であると」

 犬千代がゆっくりと続ける。

「では物の怪である奏様が消えかかっているのは」

 明子が声を荒げる。

「文字通り、人々が物の怪の形を忘れかけているからでは」

 八郎が続ける。

「それはなぜ」

 良成が唸る。

「物の怪を思い描く人々の数自体が減ってしまったのでは」

 聖子が疑問を呈す。

「なぜ」

 康親が導く。

「人々に共通しているのは『夢』だ。物の怪を夢見たり思い描いたりするよりも強烈な夢が、人々を支配するようになったからでは」

 良成が一気にまくしたてる。

「なるほど」

 再び康親は大きなため息をついた。

 皆息をあらげている。

 そろって白湯に手を伸ばす。


 太陽は沈み、あたりを闇が覆い始め、室内には小坊主たちの手によって灯りがともされていく。

 ひぐらしと蛙の大合唱は昼間に引き続き室内にまで及んでいる。

 玄庵の計らいで、一同は夕餉をいただくことになった。

 数名の小坊主が、器をのせた折敷(おしき)を運んできて各々の前に置いていく。

「すみませぬな、大所帯で」

 康親が代表して労をねぎらう。

 「いえ」と言い、小坊主たちは嬉し気に支度を進める。このような大所帯が珍しく、小坊主たちは嬉々として働くのであった。

 夕餉の席が整ったところで、玄庵が音頭を取りささやかな宴が始まった。

 玄庵、康親、良成の前には酒が置かれている。

 場を取り仕切る玄庵から先に酒に手を伸ばす。それを見て残りの二名も手を伸ばす。

「どうぞくつろいでくだされ」

 そう言いながら玄庵は器に酒を盛る。それを見て残りの二名もなみなみと盛るのであった。


 一同の腹も満ち、大人たちの赤ら顔も落ち着いてきた頃、部屋の片づけと灯りを継ぎ足しに小坊主が数名部屋に入って来た。

 玄庵はその小坊主等に「もう仕舞いにしていいから早くお休み」と言うと、暑い夜ながら、(ふすま)をしっかと閉めさせた。

 そうして室内を見渡し、よく通る声で言った。

「では続きと参りましょう」

「そうですね、人々の思念が妖界を形作っているというお話でした。それはよいでしょう」

 康親が同意を求め、皆がそれに頷く。

「では一体誰が。やはり頼明殿なのでしょうか」

 まだ酒の抜けきらない良成が、赤ら顔を皆に向けながら手短に問う。

「頼明の仕業に決まっておる」

 珍しく玄庵が声を荒げる。

 その様子に少し驚き、康親が言う。

「仮に頼明だといたしましょう。ではどうなさいますか」

 この康親の質問に、皆黙ってしまった。

 開け放った縁側の窓からは蝉と蛙の大合唱が響いてくる。

「こうな、尻尾をつらまえ捕らえるのよ」

 良成がろれつも怪しく声を荒げて見せる。

「そのような場がありましょうや」

 康親が重ねて問う。

「なければ作ればよろしい」

 玄庵が断じる。

「どこへ」

 康親の問に、再び場は静まり返る。

「そうですね、そこは雅楽寮が人肌脱いではいかがでしょう。演奏会に招待するのです。頼明殿を」

 聖子がにやりと笑う。

「なるほど、それはよい」

 雅楽寮の師匠である良成が、ぽんと膝を叩いた。

「招いたところで『遠耳(とおみみ)』はいかがでしょう。特殊な形代を帯に仕込めば遠くの会話も近くで聞くことのできる術でございます」

 今度は陰陽寮の番だとばかりに八郎が手をあげた。

「それはよい案だ。怪しげな動きをすればすぐに知らせが来る。そこを捕らえるのだね」

 今度は陰陽寮の師匠である康親が膝を叩いた。

「うまくいけばよいのですが」

 心配性の明子がぼそりと口をはさむ。

「なあに、どうせ近寄れぬ相手。この度の件に関わっているかどうかだけでも分かればよろしい」

 玄庵は明子に対し大きな笑みを作ってみせた。


 翌日、雅楽寮に戻った良成の働きかけで、演奏会は次の新月の日の午後から開かれることとなった。

 その席には陰陽寮からの客として康親と八郎の名と、外部からの客として玄庵の名が、他の省庁からの客人も含めた列に加えられた。 

 客人は総勢五十名にもなった。その中に一人、頼明を紛れ込ませているのである。頼明の席は縁側の角に取り決められた。

「さあさ、みんな、励んでおくれ」

 雅楽寮内の一室に設けた特別の稽古場に選り抜きの生徒を二十名集め、良成は号令をかける。

 その中には当然、聖子、明子、犬千代の三名が含まれている。

 演奏会までの間、雅楽寮では遅くまで楽器の音が聞こえていた。





 演奏会を翌日に控えた日の夜、聖子は龍笛を自分の家に持ち帰り、自室で稽古に励んでいた。

 幸いにも天気はよく、新月のため月は見えないが、明日の演奏会は大盛況が約束されているようなものであった。

 聖子は得意気に高い音を一音、蛍の飛び交う池の上に響かせた。

 すると、池をはさんだ生垣の隙間に、小さな光がともった。

 蛍ではない。

 満月殿だ。

 聖子の部屋は池に面した丁度西の角にあり、生垣沿いに池のふちを歩いていけばその光に手が届く距離にある。

 聖子は室内を振り向き燭台を握ると縁側へ駆け寄り、大きな丸を描いてみせた。

 するとあちらの灯りも大きな円を描いてみせる。

 これが二人の合図であった。


「満月殿」

 家の者に気づかれないよう、聖子は灯りも持たずに生垣の傍に立って囁いた。

「聖子殿」

 生垣の向こう側、灯りがぼんやりとともす人影からひそやかな声がする。

「明日は演奏会があってな、稽古をしておったのじゃ」

「ほほ、どおりで。いつもとは違う調子だと思いました」

 何気ない会話が心地よく感じられる。

「満月殿にも見せてさしあげたいのう」

 聖子はふくれつらを作る。

「いいえ、今の笛の音で十分に明日の様子は想像できますゆえ」

 そう言って満月は手を伸ばし、聖子の顔をぐいと軽くつねる。

 ふふ、と聖子は笑って両の手で三月の指をつらまえる。

「明日の演奏会が終われば一曲を通してお聞かせいたそう」

 聖子は生垣の向こうの灯りに語り掛ける。

 聖子の目がきらきらと輝いてみえる。

「それは楽しみですね」

「では」

 手短に用をすませると、聖子は来た道を戻ってゆく。

 途中で振り返ると、灯りはまだそこにあった。聖子のゆく道を案じているようでもあった。

 それを見やって聖子は満面の笑みをつくって部屋まで急ぐ。

 足元の暗闇からは虫と蛙の大合唱が湧き上がってくる。

 池の上には蛍の光がとびかっている。

 部屋に戻り改めて振り向いてみると、同じ場所にもう光は見当たらなかった。

 空には月明かりなく、星々が我が物顔でひしめき合っている。



 


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