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よみびとしらず #03 聖子  作者: 艸香 日月
第三章
3/13

満月

 この日も満月であった。

 

「おじいさま、何を見ているの」

 そう言うと孫の一太は、胡坐をかいた康親の上に身を投げ出してきた。

「ん、虫の声を聞いているんだよ」

 康親は、足の上におさまった小さな体を愛おし気に抱きしめる。

「いやあ、おじいさまったら」

 一太は腕の中で大きく暴れて見せる。その顔は笑顔でくしゃくしゃになっている。

 一太をつかまえたまま、康親は縁側を見渡した。

 そうして再び、広い庭に耳を傾ける。

 庭に響くのは虫たちの大合唱である。

 ここ数日で、庭の虫の声はいっそう種類を増している。

 真夏が過ぎようとしているのである。

 康親の胸に不安がよぎる。

 一体、頼明との対戦が再び起き、もし私が倒れるようなことがあれば、この子達はどう暮らしていけばよいのだろうか。その算段もつけておかなければならない。

 康親は庭の暗闇に目をやった。

 身を包む虫の声の威勢が、いよいよ康親を小さくさせる。

「お父様」

 見ると娘の瑠璃子が、菓子を持って横に座ろうとしていた。

「何を難しい顔をなさっているのですか」

 菓子をすすめながら瑠璃子が顔をのぞいてくる。

「いやあ、虫の声を聞いているんだよ」

 娘の目があまりにも真っ直ぐなので、康親は少し目をそらし笑った。

 亡くなった正妻の宮子にそっくりである。

「うそ」

 瑠璃子がじっと目を見つめてくる。

 康親は、彼女の目を眩しそうに見返し大きく笑ってみせた。

「噓なものか、お前も聞いてみなさい。奏者も楽譜もない、虫たちが思い思いに織りなす声の嵐を」

「耳が痛くなります」

「これは随分だ」

 康親は大きく笑った。

「あらあら私も仲間に入れてちょうだい」

 言って背後から現れたのは、側室の良子である。

 宮子が亡くなった先の対戦から数年後、康親は側室を迎えていた。

 良子は出来た妻であった。子供たちの良き母としても、宮子が抜けた穴を補ってくれた。康親が宮子を思う夜も、変わらず傍にいてくれた。

 宮子を死に至らしめたのが頼明であろうことは見当がついている。頼明は未だに憎い。が、目の前の光景が康親の心をどうしようもなく満たしていた。

 康親には、それが恐ろしかった。

 再びの対戦が近づいているのだろうか。

 康親は良子に手を伸ばし促す。

「どれ、おいで」

 親子三代でこうして夏の夜を過ごしていると、頼明のことなど忘れてしまう。

 時が止まればよいのに。

 歌にも出来ない自身の月並みな願いが可笑しく、康親は自嘲した。

 そんな康親の願いなど知ったことかと、虫たちは容赦なく奏でては消えを繰り返している。それは丁度、大雨の中で晴れの日を一心に願い立ちつくしているかのようなものであった。

「これはうまい」

 瑠璃子が持ってきた菓子を口いっぱいに頬張りながら、康親は家族に笑顔を見せる。

 この時が止まれば――。

 康親の悲痛な願いは虫の音にかき消されてゆくのだった。




「聖子殿、何をお考えか」

 言って満月(みつき)は聖子の額に手を伸ばした。

「やめい」

 聖子は手を額にやりそれを制す。

 そうしたやり取りのあと、二人は顔を見合わせ笑い合った。

 寝屋の灯りは仄暗い。

「はやいのう、もうひと月じゃ」

 乱れた髪の影を顔に落としながら聖子が言う。

「さよう、もう夏も終わりますなあ」

 ほどけた髪の毛を束ねながら満月が応える。

 木戸を隔てた外の虫の音が、部屋中にこだましている。

 ここは吉野である。

 「どこか遠くへ行きたいのう」と聖子がつぶやいたのが丁度半月前である。それを受けて満月は、親類の別荘が吉野にあると言い、先日ついに二人は吉野へやって来たのであった。

 二人が吉野に入り、既に十日が過ぎようとしている。

「明日はどこへ行きたいですか」

 満月が尋ねる。

「そうじゃのう、鷹狩りはどうかのう」

「それはよい、是非用意をさせましょう」

 この頃、満月はもう顔を隠さないでいる。

 満月の顔は、一言でいえば印象の薄い顔であった。誰が見てもどこかで見たと言いそうな顔であった。

「なぜ顔を隠しておったのじゃ」

 聖子は満月に聞いたことがある。

「ほ、恥ずかしくて」

 満月は嘘をついている、と聖子は思った。京にいる頃、満月はついに顔を見せなかった。吉野に入り寝屋を共にしやっと見せてくれている。が、それ以上聞くのは味気ない気がしてやめておいた。

 それに今では昼の太陽の下も、堂々と二人で歩くことが出来る。それでよいではないかと、聖子は自らを納得させた。


 翌日、二人は吉野の奥に設けてある狩場へと馬で赴いた。

 道中二人して馬に揺られながら、とりとめもない話をして楽しんだ。

 聖子は「これでいいのだ」と、重ねて自らを納得させていた。

 満月の不思議は、聖子の不思議でもあった。

 満月が多くを語らぬように、聖子も多くを語りはしなかった。

 聖子は「これがよいのだ」と、誰にともなく納得してみせるのであった。

 驚いたことに、満月は昼間外に出ることは滅多にないと言っていたものの、鷹狩りの腕は一流であった。

 満月からは幼い頃に習ったきりだと聞いていたため、聖子はてっきり素人だと思っていた。

「この噓つきめ」

 聖子は毒づいた。

「ほ、嘘ではございませぬ」

 満月は笑っていなす。

 主に満月の活躍で、この日の獲物は大漁であった。

 それを夕餉にしながら、二人はまた長い夜を語り合うのであった。

「この夜がいつまでも続けばよいのに」

 聖子は思わず口にした。

「ほ、聖子殿は酷なことをおっしゃる。これが一時であるからこそ大事なのでございましょうに」

 聖子は言われて目を丸くした。

「満月殿は相変わらず鋭いのう」

 ふふ、と聖子は笑って満月の腕の中に潜り込む。

 そんな聖子をきつく抱きしめながら満月は耳元で囁く。

「聖子殿に極上の夢を魅せてさしあげます」

 ふふ、と聖子は笑って応えた。

 二人の夜は日に日に長くなってゆくのであった。





 この頃の夜は長い。

 日が暮れてから再び日が昇るまで、灯りをつけられる家は限られている。

 運よく灯りをともせるほどの地位に生まれついた者は、歌などを詠みながら長い夜を過ごすが、それ以外の者は寝たり起きたりしながら長い夜を過ごす。

 しかし、気づく者はいないが、近頃は地位によらず誰の夜も夢で満たされていた。夜になると灯りをともさず歌も詠まず、ただ夢を見る者が大半となっていたのである。

 夢は決まって、仕舞いには都が転覆するものであった。

 初めのころは近所の者と語らう中で、えらい偶然もあったものだと言い交わすに終わっていた。

 しかし近頃は皆、同じような夢を見ると口々に言い合い、その内容に恐れおののくのであった。

 幸いなことに陰陽寮では市井の声を拾う窓口も設けていたため、いち早く異変に気付くことが出来た。

 ところが、その噂が康親と八郎のもとに届けられたのは、次の新月の昼であった。

 二人は毎日書庫に潜っていたため、初動が遅れたのである。

「これはいよいよ大変なことになってまいりましたね」

 昼餉の席で、口にものを運びながら八郎が言う。

「陰陽寮に事案が上がってくるということは、都は既に夢に沈んだとみてよいかもしれないね」

 白湯をすすりながら康親が返す。

「夢といえば玄庵が案じられる。午後にでも様子を窺いに行ってみようか」

「そうですね、夢日記に変化があるやもしれませぬし」

「雅楽寮の面子にも声をかけよう。何か知っているかもしれない」

 康親は傍を通りかかった下男をつかまえ、雅楽寮へその旨を記した文を送った。


 夏の盛りが過ぎてゆく。

 あれだけうっとおしかった夏の午後の暑さが、少し引いたように感じられる。

 昼餉を終えた良成は、雅楽寮の窓口で文を受け取った。

 陰陽寮とは異なり、雅楽寮の玄関口は閑散としている。奥の部屋からは相変わらず楽器の音が聞こえており、屋内には外で鳴く蝉の声が響き渡る。

「やっと事態が動いたみたいだねえ」

 傍に座って龍笛を奏でていた聖子が、良成の言を受けて手を止めた。

 陰陽寮が玄庵から依頼を受けてこの方、雅楽寮では何も変わらない日々が続いていた。

「聖子、明子と犬千代を呼んできてくれ。私は車を用意する」

 聖子に指示を出し、良成は立ち上がった。


 そうして玄庵の元に、陰陽寮から二名が、雅楽寮からは四名が集まった。

 依頼を受けた日から丁度一月半が過ぎようとしていた。

「これはわざわざ申し訳ない」

 玄庵は六名を境内にて出迎えた。眩しい日差しのなか目をあけると寺を囲む芙蓉(ふよう)が盛りを迎えている。

「お久しぶりでございます」

 康親が声をかける。

 実際、依頼を受けて以来、康親と八郎は毎日書庫にこもっており、玄庵の様子を伺うことが出来ずにいた。雅楽寮でもそれは同じであった。

「顔色が少し悪いのではございませぬか」

 八郎が怪訝そうに言う。

「いやはや、夢見がいよいよ悪いのでございます」

 言って玄庵は手で顔をさすった。

 確かに顔は土気色である。真夏を過ぎたとはいえ、まだ太陽の高い時分に、その色は頼りなげに見える。

 六名は口々に心配を言葉にしたが、玄庵は大丈夫だと言い張り最奥の自室に皆を案内した。

 心なしか足取りもたどたどしい。


「こちらをどうぞ。因幡から取り寄せたものにございます」

 そう言うと玄庵は高坏に懐紙を広げ、その上に梨子(なし)を並べてみせた。

 皆の視線が目の前の高坏に注がれる。

「これはうまそうじゃ」

 聖子と八郎、そして明子と犬千代は我先にと手を伸ばした。

 それを見やって師匠二人も手を伸ばす。

「玄庵殿も食べられよ」

 頬張りながら良成がすすめる。

「いいや、あいにく食欲が落ちておりまして」

 見ると手首が嫌に細い。一月半の時間で玄庵は一回り細くなったようである。

「それはよくない。夢見が悪いとのことだけれど、夢日記は続けているの」

 康親は玄庵の顔を覗き込みながら問うた。

「ああ、夢日記はほら、これだ。読んでみるといい。何かあればわかるだろうから」

 言って玄庵は、脇の文机に置いてあった冊子を渡した。

 康親はめくりながら、目ぼしい記述を見つけては要所要所を皆に読んで聞かせた。

「『皐月晦日、今日は水夫の夢を見た。頼まれた荷を市場でおろし引き上げようとすると、舟ごと天高く巻き上げられ眼下の都が水に沈むのを見た。水無月二日、今日は貴人の夢を見た。歌会で朗々と詠みあげていると歌の様子がうつつとなり、その様子に驚いているといつの間にか都が極楽に早変わりしていた。水無月十日、今日は盗人の夢を見た。羅生門の楼閣で老婆から衣を引きはがし闇に消えたところ、背後で都が大きな音を立てて崩れ行くのを見た。水無月十五日、今日は幼子の夢を見た。近所の子供たちと一緒に川で水浴びをしていると都が持ち上げられ天に昇っていってしまうのを見た。水無月廿日、今日は舞子の夢を見た。皆で楽しく踊っていると突然雷が鳴りはじめ嵐となり、都が火に包まれた。』とな」

 そこまで詠みあげると、康親は手元の白湯に手を伸ばし口を潤した。

 しばらく、一同の間に沈黙がおりた。

 朝晩は涼しくなったとはいえ、室内にはまだ蝉の声が響く。

「これが毎晩でございますか」

 口火を切ったのは犬千代であった。

「はい、毎晩のように続いております。起きるたびにああ夢でよかったと安心いたします」

「寝ても疲れがとれないのでは」

 聖子が尋ねる。

「はい、もう眠るのがおそろしくて。なんとか起きていようとはしておるのですが、いつの間にか眠ってしまい、またおかしな夢を見るのでございます」

「玄庵殿がやつれるはずじゃ」

 良成は唸って腕組みをする。

「これは早々に手を打たないといけないね」

 康親が読み上げたばかりの日記を預かり、この日は解散となった。


 しかし事は簡単には運ばなかった。

 それから三日もたたないうちに、今度は康親らの夢に変化が起こったのである。

 きっかけは康親の些細な一言であった。

 この日、康親は受けた依頼のために、再び書庫に潜っていた。

 そして同じく書にあたっていた八郎に何気なく声をかけたのである。

「いやあ、昨晩は玄庵の夢日記を読み込んでいたせいか、私までおかしな夢を見てしまったよ。おかげで眠った気がしない。肩が凝って仕方がない。八郎はよく眠れたかな」

 八郎は、それを聞いて思わず書を落としかけた。

「ど、どんな夢を見たのでございますか」

 八郎はおそるおそる尋ねた。

「夢の中で私は物の怪になっていてね、様々に変容しては人々を驚かせていた。すると驚いた人々があちらこちらに走り回って壁を破壊してまわってね、ついには都を破壊してしまったと、そういう夢だったよ。おそろしい夢だった」

 気づくと八郎は康親の傍まで来ている。

「師匠、私も夢を見たのでございますが聞いていただけますか」

 康親は、八郎が口を真一文字に結んでいるのを見た。

「おや。話してごらん」

「夢の中で私は帝でございました。来る日も来る日も祈りの行事に明け暮れているのですが、ある日特別な祝詞を詠みあげた途端、夜が朝になり、都がひっくり返って妖界になってしまう、という夢でございました」

「それは――」

 八郎は不安げな顔をして康親を見つめている。

 康親は笑顔をつくり、「念のために二人の夢も記しておこう」と言い、近く台に置いてあった真っさらな巻物を手元に引き寄せた。

 その時であった。

「ごめんくだされ」

 声をする方を見ると、書庫の入り口に良成が立っていた。

 見ると良成は案内してきた下女に礼を言い、書庫の奥にかたまっている二人の元へ足早に近づいてきた。

「朝から失礼。手短に言う。二人とも、夢を見なかったか。ただの夢じゃない、都が転覆する夢だ」

 それを聞いて康親と八郎は顔を見合わせた。

「良成殿、もしや」

「そう、私だけではない。明子と犬千代も見たというのです。昨晩。二人とも」

 良成は息をきらしている。

「白湯を出します。外へ出ましょう」

 康親は八郎を伴って良成を促した。


 三人は食堂へ移動した。

 朝餉が終わり、昼餉まで時間があるのだろう。厨房の中では係の者が集まって雑談を交わしている。

 康親たちは彼らに断り白湯を出してもらい奥の席に陣取った。

「して、夢というのは具体的にどのような」

 康親が問う。

「はい、夢の中で私は三人の子を持つ婦人でございました。夫の帰りは遅く、その日も歌を詠んで夜を過ごしておりました。詠んでいたのは夫を恨めしく思うような歌でして、気づくと夫が魂となって天へ昇っていくではありませんか。待ってと言い私も一緒に昇っていきますと、都がひっくり返ってそのまま天になっておったという夢でございます」

 そこまで一息で言うと、良成は白湯を一気に飲み干した。

「話はそれでは終わりませぬ。笑い話に明子と犬千代に話して聞かせると、二人とも同じように都がひっくり返るような夢を見たというではありませんか。これはと思いまして取り急ぎこちらへ伺った次第」

 鼻息も荒く、良成は一気にまくし立てた。

 そこまで聞いて、康親は口を開いた。

「良成殿、実は我等も見たのでございます。その、都がひっくり返るという夢を」

 しばらく、良成は口を開けたままその場で静止した。

 そして湯呑を静かに置くと、ゆっくりと小さく続けた。

「なんと。では何かの前触れでございましょうか。玄庵殿は。ああどうすれば」

「落ち着かれませ。まずは記録にございます。夢が明らかであるうちに書にしたためるのでございます」

 言うと康親は手にした書を開き筆を走らせ始めた。


 康親が記録している間に、良成は使いを出して聖子と明子、それに犬千代を呼びにやった。

 そうして康親が筆を置く頃には、食堂に六名全員が顔を合わせていた。

「さて、何か気づくことはないかな」

 皆に見えるように書を広げ、康親が問う。

「師匠、やはり気になるのは『「夢」とはこれ、人々の形なき思いの表れである』のくだりでございます」

 八郎が恐ろし気に言う。

「書庫で見つけた『猫又』の書だね。確かに、そのくだりによれば此度の夢は『人々の形なき思いの表れ』ということになる。しかし、だとしたら大勢の人々が同時に都の転覆なんぞ望むだろうか」

 康親は八郎に顔を向ける。

 八郎は「確かに……」と言うと黙ってしまった。

「此度の夢、明らかに人の手が加わっておる。そしてこのような事をするのは頼明殿しかおらぬ」

 良成が強い口調で言う。

「断じるには早計な気がしますが、たとえ頼明だとして、では人々の夢に介入して一体何をどうしたいのかといった問題がございます」

 康親がたしなめる。

 そこで聖子が手を挙げた。

「私は続きである、『夢を喰らふ、これ我等の形を明らかにすべし』の方が重要かと思います」

 聖子は続ける。

「このくだりは、物の怪が夢を喰らうことにより、その形を明らかにしているという事を現しているかと。これは玄庵様のおっしゃった獏殿の事でございましょう」

「いや、『我等』とあるから獏殿だけの問題ではないだろう」

 康親は慎重に言葉を挟む。

「なるほど、では夢は物の怪すべてに関わっていると」

「そう捉えるのが自然だろうね。この『猫又』がどれだけ丁寧にこの書をしたためたかにもよるけれど」

 康親はそう言って書に目をやった。

「ではこれまでのところを記録してしまおう」

 この日はそれで解散となった。


 それから数日の間、康親らは立て続けに都が転覆する夢を見た。

 それらは時と場所を選ばず、そろって現実味を帯びていた。

 康親らは記した夢日記を持ち寄り、ああでもないこうでもないと毎日議論を重ねた。

 そんなある日の事である。

 康親らは久しぶりに玄庵の元を訪れた。

 玄庵の自室で、皆が夢日記を手にし朗読会を行うためであった。

「では私から」

 朗読会は康親からはじまった。

 康親が自身の見た夢を語り始める。

 皆、おおいに注目した。

 しかし玄庵だけは違った。

 康親の朗読が終わりにさしかかるころ、玄庵は汗をびっしょりかいていた。

 玄庵の様子がおかしいことに気づいた良成は思わず声をかけた。

「玄庵殿、大丈夫ですか」

 声をかけられた玄庵の顔は蒼白であった。

 皆がそれを見て口々に案じる言葉をかけた。

「申し訳ございません。これを」

 言って玄庵は手元にあった自身の夢日記を皆の前へ差し出した。

 急ぎ康親は手に取って読み始めた。

 沈黙の中、頁をめくる音がやけに耳に響く。

「これは――」

 康親は一つの頁で手を止め、同じ部分を熱心に読み込んだ。

 そうした後、皆の前で朗々とその部分を読み上げたのである。

 その部分の内容はこうであった。

「本日、悪夢を見た。私はとある貴人の下男で、使いをやっている。都中を走り回り文を届ける己の職に誇りを持っている。ある日のこと、いつものように都を縦横に走っていると、あるはずの道が無い。回り道をしてみるもやはり先が無い。おかしいと思い次の日に確かめてみると、走ることのできる距離はぐっと短くなっていた。日に日に走ることのできる距離が縮まっていき、ついに足の踏み場もないほどになり都はついに消えてなくなってしまった」

 康親は最後までゆっくり、はっきりと読み上げた。

「康親様、それは」

 皆の視線が康親に注がれる。

「そう、この夢は私が見た夢だ」




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