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よみびとしらず #03 聖子  作者: 艸香 日月
第一章
1/13

はじまり

 一筋の涙がついと頬をぬらした。


 それをすうっと手で拭う。

 聖子は牛車に揺られながら大きくひとつ、あくびをした。

 場所は都の南のはずれ、地蔵菩薩が数体並ぶ四つ角にさしかかったあたりである。

「あとどれくらいで着くんじゃ」

 牛車をひいている御者に、聖子がたずねた。

「へい、あと半時ほどで」

 御者は淡々とこたえる。

 半時もすればもう昼時である。

 初夏の太陽は高く、日差しは田畑の上で照り返し一面がひかり輝いている。

 陽炎がゆらめき辺りをぼかしている。

 道をゆく旅人は少ない。





 半時後、聖子を乗せた牛車は大内裏の南に位置する朱雀門へと到着していた。

 聖子は牛車を降り雅楽寮へと向かった。

 雅楽寮は、朱雀門をくぐって東、ちょうど大内裏の南東の角に位置していた。

 まぶしい砂利道の上を目を細めながら進むと、今日も見習い弟子がせわしなく行きかっているのが視界に入ってきた。

「ただいま戻りました」

 聖子が雅楽寮の玄関から大きな声で帰寮を告げると、中からこちらも大きな声で返答があった。

 声の主は聖子の師匠、良成である。

 良成は元服前の名を『音若』といった。

 周囲に弟子を従えて現れた良成は、額に汗を光らせている。 

「おかえり、遅かったねえ」

 周りを囲む弟子は聖子の同期である。

 師匠がそうするように、皆が聖子に好奇の目を向けた。

(かなで)様との共演が長引きまして」

「そうかい、そりゃあよかった。奏君は元気だったかな」

 良成が返す。

「はい、相変わらずのご様子でした」

 聖子はにこりと笑って返した。

 『奏』の正体は物の怪であった。

 同年同日同時刻に笛を奏でた奏と幼き良成が、妖界と人界とで『入れ替わり』を起こしたのがきっかけで、二人は交流を始めた。それがもう二十年前のことである。

 以来、雅楽寮は音を通じて妖界と独自の親交を深めてきた。またそれ以来、自然と雅楽寮と陰陽寮との関わりも深いものへと転じていった。

 雅楽寮がそのような性格を持っていたため、自ずからそこで習う生徒の中にも妖界や陰陽寮と個別につきあう者が現れだしていた。聖子はその内の一人であった。

 聖子は今日も早起きをして奏との約束通り、右京にひっそりたたずむ妙蓮寺へ足を運んできたのであった。妙蓮寺には妖界と人界を結ぶ『入口』が設けてあり、用のある者の出入口となっていた。奏はそれを用いて人界に通っているのであった。


「では昼餉(ひるげ)をとってまいります」

 聖子は師匠やその周囲にむらがる同期に別れを告げ、ひとり寮の奥へと進んだ。

 そのときである。

「聖子はおりますか」

 寮の玄関の方から声が聞こえた。

 聞きなれた声である。

「その声は、(たまご)の八郎か」

「そなたも『卵』であろう」

 声の主は慣れたふうに寮内に入り込み、すでに聖子の眼前にあった。

 陰陽寮の友人、八郎(はちろう)である。背は聖子より低く、まるっとした顔が特徴的な、小猿のような細身の男児である。

 走ってきたのか軽く息をきらしており、白い歯をみせている。

「相変わらず素早い奴よのう」

 聖子は呆れたような笑顔で迎えた。

「取柄じゃからのう」

 八郎は面白げに答える。

 黒烏帽子に白装束という陰陽寮の見習いの姿は、この季節にはいよいよ眩しく感じられた。

 対する雅楽寮の姿は黒烏帽子に橙色(だいだいいろ)の装束で、この季節にはいよいよ暑苦しく感じられた。

 二人は寮の奥に設けてある食事処へむかい並んで歩きだした。

「今日は何用じゃ。私は今から昼餉じゃが」

 聖子がたずねた。

「それじゃそれじゃ。聖子、儂もいよいよ見習いを卒業じゃ」

 八郎は得意げにきりだした。

「なんじゃ陰陽寮を出るのか」

 聖子が意地悪気な顔をする。

「どうしてそうなる。試験じゃよ、試験。三月後に成績優秀者を集めて陰陽師の試験が開かれるのよ。見事受かれば儂も晴れて陰陽師を名乗れるというもの」

 八郎はにたりと笑った。

「なんと。己がそれに入ると申しておるのか」

 気の早い事だと聖子は呆れた顔で返す。

「そらあそうよ。儂が入らぬで誰が入る」

 八郎の声に揺らぎはない。

 いよいよ呆れて聖子は言葉少なになった。

「大した自信じゃのう」

 か細い返事に八郎は満面の笑みでこたえた。

「まあ見ておれ、今日はその報告に来たんじゃ」

「暇人め。ついでに昼餉をとってゆくといい」

「ああそのつもりじゃ」

 そのやり取りをしまいに、二人はそろって食事処へと入って行った。




 

「ごめん」

 同時刻、陰陽寮の戸を叩いたのは良成であった。

 聖子たちを見送りその足で雅楽寮から歩いてきたのであった。

「ちょいと、お若いの。康親(やすちか)殿はいらっしゃるかな」

 昼の忙しく行きかう人の間に見習いとおぼしき女児をみつけ良成は問うた。

「康親様は昼餉でございますれば」

 見習いまで忙しいのか、女児の返事はいささか冷たいものであった。

「では待たせてもらおう」

 陰陽寮を入ってすぐに設けられた長椅子に、良成はどっかり腰をおろした。

 何の用でか陰陽寮の待合所は人でごった返していた。

 末法の世となってから不可思議な事が相次いでいると聞く。そのための人込みであろうと良成はあたりを付けた。

 確かにここ数年のあいだ、都は、というよりこの世は、荒れに荒れている。少し遠出をすれば持ち主を失った田畑がごろごろ転がっているのが目につく。そこから逃げ出した農夫は実りの多い貴族の土地に流れ込み新たに戸籍を得るそうな。そうして税がかからず役人の立ち入りがない貴族の土地だけが増えに増え、地方へあがる税を取り立てるための田畑は減りに減っていると聞く。そうなると当然、地方の役所は立ち行かなくなり賄賂が横行するようにもなる。役人が信用できないとなると、解決しない揉め事が増えて景気が悪くなり土地財産の強奪が増え、下手をすれば死人も増える。自然と各地で自警団がおこり力がものを言う世となる。役所なんぞ知ったことかと中央の権威がないがしろにされ、そんな人々の意識が益々この世を秩序なきものへと変えてゆく。行き着く先は誰にも分からぬ。ただゆるやかにこの世が荒れすさんでゆくのを見ていることしか出来ぬ。

 人込みを眺めながら良成は大きくひとつ、ため息をついた。

「心底、奏君がうらやましいことだねえ」

 良成は、物の怪である奏と共演しているときだけは心の底から癒されてゆくのを知っていた。

 物の怪と交わっているときは、自分がほかでもない貴族であることや、音で知り合った下人らの行く先に不安が立ち込めているのを忘れることが出来た。

 二つ目のため息をつこうと息を吸った瞬間、頭上から声が落ちてきた。

「何がうらやましいのですか」

 仰ぎ見ると、良成がもたれていた壁の柱に片腕をついた康親がこちらをのぞいていた。

 良成は口から出かかっていたものを勢い呑み込んだ。

 康親は幼名を『初春』といった。幼い頃から陰陽術を巧みにし、かの有名な安倍晴明を兄弟子に持つ、今をときめく陰陽師であった。良成の『入れ替わり』事件の時以来の付き合いで、年の頃は五十手前で初老にあたる。背は壮年の良成より頭一つ分高く、目鼻立ちはすっと整い端正である。

「これは康親殿、昼餉時に申し訳ありません。少しお顔を見たくなったものですから」

 良成はにこりと笑いそう返した。

 これは本音であった。

 数日後に控える催しのため、良成は連日泊まり込んで稽古に励んでいた。人と触れ合う時間が増えると自然とため息の数も増えるので、そのような時は物の怪の香り恋しさに陰陽寮へと足を運ぶのであった。

 良成側の都合を知ってか知らずか、康親は顔を出すたびに嫌な顔ひとつせずに迎えてくれるのであった。

「よろしいですよ、ではこちらへ。私の笛をみてもらいたい」

 言うと康親は、良成を自室へ促した。

 康親が笛に興味を持ち出したのはつい最近のことであった。良成は、その歳になっても学ぶことを止めぬ康親の姿勢を好ましく思い、また単純に尊敬もしていた。

「少しは上達しましたかな」

「まだまだでございますれば」

 ほほ、と康親は先に立ちながら返す。

 季節はそろそろ皐月(さつき)を終える頃である。長い廊下を進んでゆくと庭に広がる池の水面がきらきらと(きらめ)き青々と茂る緑が濃い。早くもひとつ、ふたつほど気の早い蝉が鳴きだしていた。肌を伝う汗は薫風を受け涼やかである。


 良成が康親に笛の手解(てほど)きをしていると、部屋の外から康親を呼ぶ声があった。

「何用か」

 康親の問いに、控えていた女児が文を手渡してきた。

 「失礼」と良成に向かって一言いい、康親はその場で文を開く。

 文を読み込むことしばらく、康親が口を開いた。

「ふむ、玄庵からとある」

 その名は良成も知っていた。

 玄庵は康親よりも更に十ほど年上にあたる。かつて康親がまだ初春と名乗っていた頃からの知り合いで、今は願良寺の住職におさまっている。願良寺の裏手にある滝が妖界との出入り口になっている関係で秘術に通じ、陰陽寮とのかかわりも深い人物であった。

「なんと。美味い菓子が手に入ったゆえ出向いてこいとある」

「菓子でございますか」

 それだけの人物なだけに用が軽ければ肩透かしをくらった気がするものである。

「せっかくなので内の雛どもも連れて行ってやりませぬか」

 良成は苦笑しつつ康親に返した。

「そうですね、めぼしい者に声をかけてみましょう」

 康親はたくわえた髭を手でなでながら応えた。

 

 そうして声をかけられたのが、先ほど昼餉を終えたばかりの聖子と八郎であった。

 こういう場合は日頃の行いがものをいう。聖子は日頃から奏との共演など物の怪との交流に積極的であるし、八郎は自主練習に余念がない上に自ら雅楽寮との交流を深めるまめなところがある。そのような点が買われて、今回のような場合には何はなくともこの二人に声がかかるのが常であった。

「なあに、二人とも若い故、いくらでも入るでしょう」

 というのが康親の言である。

 聖子や八郎は、たとえ菓子一つであっても特別な場に呼ばれる事が嬉しかった。また、上の者に一番に声をかけてもらえる事の意味をよく理解していたため、出先でもよく励んでみせた。その姿がまた上の者を喜ばせることを二人もその師匠らも互いに理解していた。

「今回はどのような菓子でございましょうね」

 誘いを受けた聖子と八郎はそうはいっても無邪気な笑みを見せるのであった。





 願良寺は左京の外れに位置していた。地図にすれば都の南東を流れる鴨川を越え、東に一里ほど進んだ場所にある小高い丘の頂に建立されていた。

 その昔、時の帝である桓武天皇が大和の国より遷都した折に開かれたと伝えられ、玄庵は丁度十七代目の住職であった。

 願良寺自体は都の人々から花の寺として好まれていた。境内をめぐる柴垣には季節の花が(そろ)い、訪れる者の目を楽しませていた。今時分ではちょうど紫陽花が終わり、朝顔が咲き始める頃合いである。

「ごめんくだされ」

 丘の(ふもと)から続く長い階段を登ってきた康親等一行は、頂の敷地内に入るや人影を見つけ声をかけた。

「はあい」

 言って年のころは十過ぎと見受けられる小坊主が、動かしていた(ほうき)の腕を止めこちらに近づいてきた。

「いらっしゃいまし、何か御用でございましょうか」

 小坊主は額ににじんだ汗を首にかけた手ぬぐいで拭いながら(こた)えた。

 広い境内には小坊主の他にも奥に何人か動いている人影が見える。彼らの振る舞いを見るに、ちょうど午後の掃除の時間だったようである。

 願良寺は孤児院も兼ねている。目の前の小坊主や奥で掃除をしている何名かはそのうちに数えられるものと思われた。

「ご住職と約束をしておりまして、お手数ですが案内していただけませぬか」

 一行を代表し、まだ息の整っていない康親が申し出た。

「かしこまりました。暑い中お疲れ様でございます」

 小坊主は眉をきりりとしめ、口元に少しの笑みを見せてそう言ってから一行を堂内へ案内した。

 境内には階段を登りきってすぐ両脇に塔が設けてあり、その奥に金堂が、更にその奥に講堂が設けてあった。

 康親等一行は、玄庵住職の住まいのある講堂の最奥の部屋へ通された。

「お久しうございます」

 一行の訪れを講堂内に響く衣擦れの音で察知した玄庵は、突き当りに位置する自室を出て廊下に立ち面々を出迎えた。

「十日ぶりでございますか、いやご達者で何より」

「お久しぶりでございます」

「何やら美味しそうな匂いにつられてやってきてしまいました」

「ご住職、今日はどのような菓子にございますか」

 康親が代表して挨拶を伝える間もなく、康親の背後から威勢の良い声がとんだ。

 この中では玄庵が一番年長である。長い付き合いとなるとどうしても皆、玄庵に対して甘えが出る。

 四名の言葉にそれぞれ頷きながら、「さあさあ」と玄庵は皆を自室へ招き入れた。


「備中より取り寄せた諸成(もろなり)にございます」

 そう言って玄庵は、高坏(たかつき)の上に懐紙を広げそこに赤い実を並べたものを丁寧に面々の前に差し出した。

 『諸成』とは、現在でいう植物の『ぐみ』のことである。ここでは初夏に長楕円形で赤い実を結ぶ『なつぐみ』を指している。

「ではおひとつ」

 康親がまずはじめに手を伸ばし口へ運んだ。それを見て他の三名も、つまんで口へ運ぶ。

「うむ、これは瑞々しい」

「足を運んだかいがありましたねえ」

「おいしゅうございます」

「どれもうひとつ」

 頬を実でいっぱいにしながら康親、良成、聖子、八郎の四名は各々自由に感想を述べた。

 一粒口へ入れる度に、甘酸っぱい果汁が口の中いっぱいに広がる。ぷつり、またぷつりと、皆手が止まらない。

 その様子を眺めながら、一人器に手を付けずにいた玄庵は重い口を開いた。

「皆さまご満足されたところで本題に入りたいのですが」

 それを聞いて手を止めたのが三名。八郎だけ、耳は傾けるものの手を動かし続けている。

その様子を見やって玄庵は続けた。

「実は最近夢見が悪くて仕方がないのでございます」

「夢見?」

「あの、夜に見る夢でごさいますか」

 良成と聖子がたずねる。

「そう、これがその夢の日記にございます」

言って玄庵は自らつけたという夢の日記を胸元から取り出してみせた。

「こうして毎日、朝目を覚ますたびに記しておるのでございますが」

「それは結構」

「どれ」

 康親は日記を手元に取り寄せ目を通し始めた。

「夢というのは自らの体験が細切れになって出来ておると聞きますが、このところまったく身に覚えのない夢ばかりを見るのでございます」

「そのような夢でしたらわしも見まするぞ」

 頬を動かし続けながらではあるが八郎が応えた。

「たまに、でございましょう。私の場合、その回数が異常な数にのぼっておるのでございます」

「ふうむ」

 ざっと日記に目を通した康親は、ひとり(うな)った。

 日記は康親から良成の手へと渡る。

「夢の数と内容が、確かに異常だね」

「そうでしょう」

「何か思い当たる(ふし)はないの」

 康親がたずねる。

「私も術を扱いますが、加持祈禱に札に結界と、出来ることはすべていたしました。また詳しい事をたずねようと、妖界から(ばく)殿を招いたのでございますが」

「ほう」

「獏殿というと、あの悪夢を喰らうという」

「そう、その獏殿によれば、日記の内容を見るにすべて悪夢という訳ではないようだから自分の出る幕ではないとのことで」

「なんと」

「確かに日記を見るにすべてが悪夢という訳ではない、どちらかというと良い夢も含まれておりますね」

「そうなのでございます。それで困り果ててしまって」

「それで私達を招いたと」

「その通りでございます。僧の扱う術では太刀打ちできぬのかと思いまして」

「陰陽師の使う術ならと」

「はい」

 しばらく、玄庵の小さな返事を最後に誰も喋らずにいた。

 皆それぞれに思案しているようであった。

 八郎の日記をめくる音だけが、生温かな空気を鋭く割いていた。


 玄庵はたまらず高坏に手を伸ばし諸成を一粒、口に含んだ。

 同時であったか、康親が沈黙を破った。

「そうですね、今ここではどうしようもないから、このお話は一旦預からせてもらえないだろうか。寮へ戻ればまた資料にあたることも出来ように」

「分かった。ではよろしく頼みます」

 解決の糸口も見えない結果に、玄庵は残念そうに応えた。

「今夜はどうされますか。結界を張っておきましょうか」

「ぜひ、お願いいたします」

 そういう訳で、康親と八郎の陰陽寮の師弟には、玄庵の部屋に結界を張るという仕事が出来た。

「では明後日、改めて」

「また」

 二名を残し、良成と聖子は牛車に乗り込み一路雅楽寮へと戻ったのであった。

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