第65話 約束は守らないとね
「あっぶね・・・上手くいって良かった・・・」
ジャスは這うようにして激しく燃え盛る炎の柱から距離を取った。
至近距離で発動した魔法の影響で着ている服の一部が焦げてしまったが、そんなことを気にしている場合ではない。
油断なく灼熱の柱に目を向けて数秒、ヴァルディマが魔法を打ち消す様子はなかった。
ジャスが先程撃った魔法は《炎熱地獄》。
本来であれば指定した箇所を中心に一帯を炎の嵐が吹き荒れる炎の広範囲魔法である。
しかし、今回ジャスはその範囲を極々小さくすることで威力を何倍にも高めた。
その結果が天まで届くような強烈な炎の柱である。
ジャスはあの追い込まれた状況で、全く違う詠唱と魔法名で別の魔法を発動させた。
魔法というのは、頭の中でイメージしたものを体内及び体外の魔力を素にして発動させるものである。
火の玉が撃ちたければ、《火球》の詠唱を行い、《火球》と宣言するのが一般だ。
そうすることで自分が今から使いたい魔法をより深くイメージすることが出来、また、魔法名を口にすることでそれは更に鮮明になる。
無詠唱魔法というのは、その過程がなくとも魔法を行使出来るほど深く魔法をイメージすることが可能な者だけが扱うことが出来る特殊な技法なのだが、やはり欠点もある。
まず、当たり前の話だが鮮明にイメージが出来ないと魔法は発動しない。
これは詠唱した場合でも同じ事ではあるのだが、やはりハッキリと詠唱や魔法名を口にした場合とそうでない無詠唱とでは成功率に大きな差が出来てしまう。
人というものは、思っているよりも自分の口から出る音に影響されてしまうのである。
そして次に、無詠唱は魔力の消費が大きい。
前述したイメージの話と深い関係があるのだが、無詠唱では脳内のイメージが詠唱がある場合に比べて大雑把になりがちであり、それを補完するために魔力の消費が大きくなる、つまり変換効率が悪くなるのである。
なので定文化された魔法名と詠唱というものがこの世に存在している。
しかし先程ジャスが行ったのはそのどちらでもない。
《氷零乱嵐》の詠唱及び魔法名を口にしながら発動させたのは《炎熱地獄》だった。
原理としてはとても単純で、前者の詠唱をしながら脳内では後者のイメージをするだけである。
魔法を行使するのに必要なのは魔力とイメージだけ。
しかしそれは口でいうほど簡単なものではない。
脳内で高度な数式を解きながら、手は全く別の数式を解き、更に人と会話をするようなものだ。
少なくともジャスの知る限りでこんなことをする者は一人も居なかった。
「店長!勝ったんですか!?」
油断なく炎を注視するジャスの背後からサーナの不安そうな声が聞こえた。
一般人の彼女には先程の戦いの様子は全く目で追うことが出来ておらず、気が付けば空まで焦がしてしまうような巨大な炎が立ち昇っており、どうやらそれを為したのがジャスである、というぐらいの事しか分かっていなかった。
「いや、まだわからない。でもアイツがこのぐらいで倒せるとも思えなーー」
一瞬。
ほんの一瞬だけジャスはサーナに応える為に意識を後方に向けた。
その僅かな、瞬きの何分の一かの隙をジャスは見せてしまった。
ズブッ
表現するならそういう音だろうか。
何処か水っぽい重い音をジャスは聞いた気がした。
それと同時に腹部に重い衝撃。
無意識の内に後方に跳ぶジャスの視界に「それ」は映った。
自らの腹部に突き刺さり貫通する真っ黒な棒状の物体が。
そして体が後方に移動するのにあわせて現れていく真っ黒な穂先が。
「がはぁっ!!」
腹に穴を開けられたジャスは吐血しながら勢いよく後方へと転がる。
おびただしい血がジャスの回転に合わせて空中へ、地面へ巻き散らかされた。
「て、店長ーー!!!」
悲痛な叫び声を上げるサーナの横を通り過ぎ、瓦礫の山にぶつかったところでジャスは倒れ込んだ。
ジャスの2つの短刀がサーナのすぐ脇の地面に突き刺さった。
うつ伏せで動かないジャスの周囲に真っ赤な血溜まりが少しずつ広がっていく。
思わず一歩踏み出しそうになったサーナだったが、すぐ横に気配を感じて踏みとどまりそちらに目をやる。
そこには体の所々が炭化した長身の魔人が、満身創痍な身体に不釣り合いな笑みを浮かべて立っていた。
「今日一番、いや、ここ百年で一番驚いたかもしれないね。なんという常識破りな事をするんだい君は。君には本当に何度も何度も裏をかかれてしまう。まさにそう、悪魔的だよ」
ジャスの与えたダメージは小さくないはずだが、それを感じさせない満面の笑みにサーナは背筋が凍るような錯覚を覚えた。
「しかし残念ながらジャス君の魔法の威力ではワタシに対しては決定力に欠けるようだね。とはいえ、良いものを見せてもらったご褒美をあげよう」
「・・・ゴホ!げほっ!・・・ほ、うび、だと?」
ジャスはうつ伏せに倒れながらも何とか顔を上げて不可解な言葉を放つヴァルディマに視線を向ける。
回復魔法をかけてはいるが、傷は全く塞がらず、出血が多少マシになった程度であった。
「そう、ご褒美にこの可愛らしいお嬢さんにかけていた罠を解除してあげよう」
そう言いヴァルディマが両手を一度合わせる。
乾いた破裂音と共にサーナの周囲にあった魔力の雰囲気が消え去り、魔法の才能が無いサーナにも圧迫感のようなものが消滅したのを肌で感じることが出来た。
サーナはジリっと2歩3歩と魔人から距離を取る。
それでも微動だにしないヴァルディマを見て、足元に落ちていた2本の短刀を拾い上げてジャスの元へと駆け出す。
「店長!大丈夫ですか!?すぐに手当しないと!」
側に行って何が出来るというわけではないがサーナは迷うことなくジャスの方へと向かう。
その彼女の後ろでヴァルディマが笑っていた。
先程までのジャスの技に対する好意的なものではない、身の凍るようなとても不快な、背筋に虫が走るようなそんな笑顔で。
「く、来るな、ゲホッゴホッ!・・・来ちゃ、ダメだっ」
血を吐き出しながらジャスは叫ぶが、逆にその姿を見てサーナが止まるはずはなかった。
そしてそれは起こった。
ジャスの手前数メートル。
「じっとしてて下さい!・・・・・・え?」
早くジャスの元に駆け寄りたいのに足が前に出ない。
サーナは苛立たしげに視線を下に向けた。
「な、なにこれ?・・・ゴホッ・・・!」
眼前で横たわるジャスと同じように真っ赤な鮮血を吐き出しながらサーナは小さく呟く。
見覚えのないものが、自分から生えていた。
ジャスが目を見開く。
「ワタシの許可なしに近付いたら穴が開くって言ったじゃあないか?あ、お嬢さんには言ってなかったかな?失敬失敬」
ヴァルディマが嗤う。
その腕が、残った隻腕がサーナの胴を背後から貫いていた。
ヴァルディマは腕を引き抜くと真っ赤に染まった指先を舐める。
「ワタシは罠を解除しただけで、近付いて良いなんて言ってないよ?約束は守らないとね」
魔人の声などジャスには届いていなかった。
「サーナぁぁぁああ!!!」
赤髪の看板娘が、真っ赤に染まっていく。




