第43話 絶対体験したくないな
静かな廊下をジャスは歩いていた。
相変わらず全てが大きいこの建物に居ると距離感がおかしくなってくる。
今も早足で歩いているはずなのだが、背後に流れていく景色はゆったりとしており、果たして本当に早足になっているのか少々疑問に感じてしまう。
そんなことを考えながらしばらく歩くと白い光が灯った扉に行き着いた。
この白い光が灯っているということは扉が施錠されていない、つまり入ってきてもいいということだ。
さて、とジャスは一息つくと巨大な扉の光に触れる。
すると、扉を開くことなくジャスの体は部屋の内部へと進入していく。
何度体験しても不思議な感覚だった。
扉をくぐった先はまるで庭園のような爽やかな空間で、数ヶ月前にひょんなことからローラルダと戦いシェロに父親認定された場所、古代竜の女王の寝所。
ジャスはウっと短く呻くと自らの腹部をそっと撫でた。
ローラルダとの戦いで腹部に二度痛烈な打撃を貰って死にかけた苦い記憶を鮮明に思い出したからだ。
「腹を押さえてどうしたのじゃ?悪いものでも食ったかの?」
大きな部屋の中心部。
綺麗に建て直された東屋から鈴のなるような声が聞こえてきた。
ジャスがそちらに目をやると、テーブルに肘を付き、組んだ手の上に顎を載せたローラルダと目が会う。
その少し気を抜いた格好ですら一枚の絵画になりそうな彼女に向かいジャスは皮肉たっぷりに返した。
「いやいや、とても良いものを二度も頂いたことを思い出しただけだですよ、女王様」
「くくっ、懐かしいの」
ローラルダはそのままの格好で目を細めた。
油断するとすぐに目を奪われてしまいそうになるのを我慢しながら彼女の正面にジャスは腰を下ろした。
「ふむ、自分で言っておきながら驚いた。妾がたった数ヶ月前の事を懐かしむとは」
「歳を取ると数年前のことでも「この前」って言ってしまうしな」
「妾の場合は100年前でもこの前だったりするのじゃ!って誰がババアじゃ!」
ジャスの言葉を受けてローラルダがノリツッコミをする。
すっかり人間世界の漫画文化に脳が侵食されてしまっているらしい。
お付きのルルエンティ辺りがどう思っているのか今度聞いてみようかと密かに思うジャスであった。
「そういえばシェロと三人は何処に居るんだ?」
「なんじゃ?自分が来たのに可愛いシェロが出迎えに来ないのはおかしい、とそう言いたいのか?」
じとりと肌に絡みつきそうな視線を投げかける。
そんな少々嫌味な行動でさえ、彼女にかかればひとつの計算された美のようにも見えてしまうのが恐ろしいところだ。
しかし、ここ数ヶ月のやり取りからジャスの方も慣れたもので「はははっ」と渇いた笑い声を短く上げながら椅子の背もたれへと体を預ける。
「まぁそんな感じかな。口うるさい母親とずっと一緒だと肩が凝るだろうからパパが癒やしてあげようかと思ってね」
「な、な!なんじゃと!?妾が口うるさいじゃと!自慢じゃないがな、ことシェロのことに関しては激甘じゃぞ!シェロが黒といえば雪でさえ黒いのじゃ!」
「本当に自慢にならんな・・・」
先程までの余裕綽々の態度も何処へやら。
眉間にシワを寄せて感情をむき出しにしているローラルダに思わずジャスは苦笑する。
シェロが産まれて数カ月が経っているが親バカモードは変わらず継続中らしい。
「まったく。汝には妾に対する敬意という物が足りておらぬ。口を開けば小生意気なことばかり言いおってからに」
「これは失礼いたしましたローラルダ様。「友のように接しろ」という有難きお言葉に甘えて、私、身の程をわきまえておりませんでした。平にご容赦の程を」
ジャスはローラルダの座る椅子の側で片膝をつくと恭しく頭を垂れる。
いつものように軽口が返ってくるとばかり思っていたローラルダは「へ?」と彼女としては珍しく完全に気の抜けた声を出してジャスを見下ろす。
そして状況を飲み込めたのか、途端にあわあわと焦りだすとジャスの両肩に手をかけた。
「ジャスよ!面をあげよ!」
「いえ、ローラルダ様。全ての頂点に君臨されしお方に対して私は許されざる態度を取っておりました。合わせる顔がございません」
「面をあげよ!これは命令・・・ではない。友としての頼みじゃ。顔を合わせてくれ」
ジャスの肩を弱々しく揺すりながらローラルダは懇願する。
彼女のその女王とは思えぬ悲痛な声にジャスはやりすぎたと罪悪感を覚えて顔を上げる。
と、同時にパチンと軽快な音と共に額に刺すような衝撃が走った。
「痛ってぇ!?」
何事かとジャスが正面を向くと悪い笑顔をしたローラルダの指先が彼の額の方へと伸ばされていた。
デコピンをお見舞いされたと気付くのにそう時間はかからなかった。
「ふん!毎度妾をからかいおってからに!いつまでも騙されるなどと思うでないわ!」
腕組みをして立ち上がるローラルダをジャスは悔しそうに見上げる。
こと悪戯に関して彼女に遅れを取ったのは初めてのことだった。
「くっそー・・・冗談抜きで頭が割れるかと思ったぞ・・・」
「くっくっく。仮に割れたとしても数秒以内であれば治してやるわ」
「絶対体験したくないな・・・」
あーいてぇとブツブツと愚痴りながら先程まで座っていた椅子に戻る。
自分から悪戯を仕掛けようとした手前、あまり強く言えないのが辛いところであった。
そんな悔しそうにしているジャスを満足そうに眺めてローラルダも同じく元の席に腰掛け腕を組む。
「して、汝がここに出向くとは珍しい。何用じゃ?」
先程までと同じ口調、同じ表情であるのに辺りの空気が変わったようにジャスには感じられた。
普段ふざけていても流石は生物の頂点に君臨する竜の女王ということか。
「・・・単刀直入に言うと、魔王が復活しそうだ」
「ほぅ」
ジャスの衝撃的であるはずの言葉に対してローラルダの反応は淡白なものであった。
隣人の夕飯の献立を聞いたときのような、興味がないことが手に取るようにわかる、そんな反応をローラルダは返した。
「知っていたのか?」
「いいや?ルル辺りは把握しておるじゃろうが妾は初耳じゃ」
「その割には反応が薄く見えるんだけどな」
「ふむ。確かにそうかもしれん。しかしそれも仕方がなかろう?汝ら人間と妾達トラゴンでは事態の深刻さには大きな乖離がある」
それは全くそのとおりである。
古来より人と魔人は争いを続けてきていた。
時に魔人側が勝利し世界を支配したと思いきや、人間界から産まれた勇者により魔王が討伐されて人類が世界の中心となることもある。
そして今の世はまさにそれで、人類が世界の中心となる「平和」な時代だ。
だが、ドラゴン達にとっては人類が支配していようが魔人が支配していようがそんなことは関係がなかった。
自分達に危害を与えてさえ来なければ基本的には関与しない。
それがドラゴンというものであった。
「それに妾は少し特殊じゃ。浅からぬ縁がある汝らに助力してやりたい気持ちは当然あるのじゃが、それは出来ぬ」
そう告げるローラルダの瞳が微かに揺れたように見えたのはジャスの錯覚であっただろうか。
「理由を聞いても良いか?」
ジャスとしてもドラゴンの事情は知っていたので断られても仕方がないと思っていた。
所謂ダメ元である。
しかし、どうもそれだけではないらしい。
そしてその理由を聞いたほうが良い。
一瞬見せた彼女の表情がそうさせたのかはわからないがジャスは理由を尋ねていた。
「理由、か」
古代竜の女王がゆっくりと立ち上がる。
その憂いを帯びた眼差しはやはり美しかった。
「それは妾が、神だからじゃ」




