(33)
拝啓
お父様、お母様、いかがお過ごしでしょうか。
娘は今、死の舞踏会への招待状が届いたところです。
――ねえ、なんで?!
その日、いつものようにロゼトワールの目に止まる前に、教室から遁走したルシンダが寮に戻ると、寮母から手紙を預かっている、と一通の封筒を渡された。薔薇の封蝋がされた藍色の封筒はそれだけで上質な雰囲気を演出していた。
部屋に戻って封を開ければ、柔らかく甘やかな花の香りがふわりと香った。
中身を開けば、高位貴族御用達の超高級ブティックの紹介状が入っていた。
王太子殿下の名前で。
小さくかわいらしく、丸みを帯びた、けれど美しく整った可憐な文字で、卒業パーティーのドレスを用意したから取りに行くようにと書いてあった。
王太子殿下の名前で。
(いや、これ用意したの、ぜったいフルベール様ですよね)
花の香りのする便箋に、丸っこい文字。
もしこれが、本当にあの魔王様のものだとしたら、精神が死んでしまう。
そもそもあの魔王様が自分にドレスを用意するなんてことは世界が滅んでもないとルシンダは確信していた。
いっそ、見なかったことにするか? とルシンダは死んだ目でゴミ箱を見たが、捨てたら捨てたで死にそうな気がする。のこのこブティックに足を踏み入れても死しかないダンジョンでしかないけれど。
どうしてルシンダさん、とロゼトワールの瞳に涙でも浮かぼうものなら、一族郎党皆殺しだ。
よぎる未来図に、ルシンダはそっと招待状を仕舞った。
――みんなのために、ルシンダ、逝ってきます。
意を決して、ルシンダは死地へと向かった。
そして、やはり後悔しかなかった。むしろどの道も死地に繋がっているとか人生詰んだ。調子に乗ってすみませんでした、と誰ともなくルシンダは全身を投げ出して謝罪したくなった。
出向いたブティックは、貴族街の一等地にあり、流石高位貴族御用達の店と思わせる気品が漂っていた。内外装ともに落ち着きと煌びやかさを合わせ持ち、洗練された雰囲気を演出している。
成金男爵娘が立ち入っていい場所ではないと本能が訴える。
そんな場所を貸し切りで招待されるなんて、本当なら一族の誉れと言えるべきことなのだろうが、取り巻く環境が環境なだけにルシンダは素直に喜べなかった。
何故に王太子殿下の名前で、その魔王様が寵愛しているお姫様から招待状を贈られなければならないのか。
ルシンダは引き攣る笑みを浮かべ、ごくり、と唾を飲み込んだ。
そんな場違いな客にも、店のスタッフは一流の気品で接した。
「お待ちしておりました、ルシンダ様。ご注文は承っております」
そうして、店の奥から恭しく持ち出されたのは、しっとりとした艶やかな光沢のあるドレス。色は濃密な夜空の色を思わせる、眺めているだけで引き込まれそうな深い藍色。胸元に月色の宝石があしらわれ、夜空の星の煌めきを思わせる細かなビジューがシャンデリアの光を受けて、キラキラとドレスを輝かせる。
「――無理です!!」
「まあ。そんなことを仰らずに」
「ええ。きっとお似合いになりますわ」
「さあ。遠慮なさらず」
圧のある笑顔の店員にガッチリと脇を固められた。いやだぁあああああああ、と喚くルシンダの絶叫をものともせずに着替えさせられた。
「まあ。とてもお似合いですわ!」
「目を! 見て! 言ってください!!」
死装束にしか見えないドレスにルシンダは滂沱の涙が流れているようで前が見えなかった。店員たちはそっと遠くを見ながらルシンダのドレス姿を褒めたたえた。
流石、最高級ブティックのドレスは、それはそれは着心地は抜群で、見た目も豪華であり、かつ可憐であり、文句のつけようのない仕上がりだった。
これが、王太子殿下の名を騙った、ロゼトワールからの贈り物でなければ、いや、このカラーリングでなければ素直に喜べただろう。二年間の地獄を生き抜いたご褒美なのだと思えただろう。
「ぜひこのドレスで、パーティーに参加して欲しいとのことです」
「嫌ですよ!!」
何故に、王太子殿下の髪色、あるいはそのお姫様の瞳の色、そして王太子殿下の瞳の色、あるいはそのお姫様の髪色のドレスを纏わなければいけないのか。
夜空を思わせる色も、月を思わせる色も禁色として定められているわけではない。けれど、社交界の暗黙の了解としてその色を纏えるのはロゼトワールだけだということを、社交界に疎いルシンダでも流石に分かっていた。
この色は王太子殿下の色であり、彼が寵愛してやまないロゼトワールの色だ。
「とても喜んでおられたと、先方にお伝えしておきますね」
「貴女達の目は節穴ですか?! これのどこが喜んでいる顔に見えますか! ねえ!!」
片や王太子殿下の寵愛を受ける由緒正しき家柄の侯爵令嬢。片や王太子殿下に目の敵にされている成金男爵娘。
どちらの願いを聞き入れるかなんて、そんなものは比べようもなかった。
彼女達は、事実を捻じ曲げ、心遣いに感謝し、ルシンダが喜んでドレスを受け取ったと虚偽の報告をロゼトワールにするだろう。
そしてそれを嘘とも思わず、ロゼトワールは素直に受け取るのだろう。
さて、そんなロゼトワールの前に、押し付けられたドレスとは違うものを着ていったらどうなるだろうか。
――死!
彼女を愛する魔王様により、もれなく死を賜る結末になるだろう。
ちらりと見る、麗しく輝くドレスはもはや死を招く呪いのドレスだった。
「――もう、退学したい……」
血の涙を飲みながら、ルシンダは絞り出すような声で、呻くように言った。
死の舞踏会はもうすぐそこまで迫っていた。
あと2~3話で終わる予定です。