(31)
放課後、寮の客間に広げられる商品の数に、ロゼトワールは目を輝かせた。
「眼鏡がこんなに!」
どれがいいかしら、と一つ一つ手に取って眺めるロゼトワールは、学院ではサイドから編み込んでカチューシャ風の仕上がりにして、長い髪を垂らしていたが、今はふんわりとした髪をざっくり大きな三つ編みにして、両サイドから垂らすおさげスタイルだ。髪型を変えた理由は、何でも「眼鏡と言ったらこれなのよ」ということだ。何がどういうわけかはよく分からないが、
(何をしても俺のヴィーはかわいい)
というアシルなので、朝とはまた違う装いのロゼトワールが見れてむしろ満足げにしている。
「ねえ、シャル。これはどう?」
「ああ。かわいいぞ。ヴィーは何を掛けてもかわいいな」
一つ一つ試しに掛けては振り返って見せるロゼトワールに、アシルはにこにこと参考にならない感想を述べる。
(あの人、ロゼちゃんかわいいしか言ってないぞ)
(いつものことよ)
護衛として傍に控えるフィルマンとイヴェットがヒソヒソ声で話し、離れた場所に座り傍観するマリエールとリオネルも本を片手に溜息を吐く。ロゼトワールが絡むと人外レベルの頭の回転を見せることも多いのに、ロゼトワール本人の前では著しく知能指数が下がってしまうところがアシルの困ったところだ。
「もう。シャルったらさっきからそればかりよ。ちゃんと見てくれないと嫌だわ」
「俺はいつだってヴィーのことしか見ていないぞ」
実際にそれが気障ったらしい社交辞令ではなく事実なところがこの王子様の困ったところだ。そんな本気が日常すぎるロゼトワールには、真剣味が足りないように思えるらしく、小さく唇を尖らせている。
「もー。ちゃんと選んでちょうだい?」
拗ねた姿すら愛おしいと言わんばかりに、アシルはロゼトワールを抱き寄せて、頬や額に口付けながら謝罪の言葉を口にする。睦言だろうと、アシルに謝らせることができるのはロゼトワールだけだ。
「すまない。ちゃんと見ているつもりだったが。今度はヴィーが納得するまで見詰めるから、もう一度最初から見せてくれるか」
「ええ。分かったわ。今度こそちゃんと選んでね」
「ああ」
「じゃあ、まずはこれからね」
また楽しそうにロゼトワールは眼鏡を取っては掛け、アシルに振り返る。
茶番のようなやり取りに、側近たちは揃って溜息を吐いた。
(いつまで続くの、これ)
「全部かわいいから全部買おう」
「シャル! もう、それじゃ駄目なのよ。一番いいものを選んでちょうだい。それに、かわいいものではなくて、賢いものが欲しいの」
「賢い?」
「ええ。賢い女の子は、おさげに眼鏡を掛けているものなのよ!」
一体ロゼトワールの中にどんな偏見があるのかは不思議だが、急に眼鏡を欲しいと言い出した理由はそこにあったらしい。
「シャルだって、お妃様にするなら、賢い女性の方がいいでしょう?」
「別にそこはどうでもいいが。ヴィーがそうしたいならそれでいい」
最終的にはロゼトワールの希望を叶えるアシルなので、細身の楕円形のオーバルフレームの眼鏡を選んだが、とりあえず全部の商品を買い上げることには変わりなかった。
「これが一番賢く見える眼鏡なのね」
おさげを揺らして喜ぶ姿は知的さよりもかわいさの方が勝っているが、アシルは「ああ」と素知らぬ顔で頷いた。
「ありがとうシャル! あの、では、これを一つシャルが買ってくれる?」
当たり前のことを今更尋ねるロゼトワールに、当然だとアシルは頷いた。
「えっと、では、こちらを包んでくださる? それからこれと同じ形のものをもう一つは、フルベール家で購入しますね」
買い物という買い物をしたことがないロゼトワールは、勿論家にツケるような買い物もしたことはなかったけれど、欲しいものがあればそうしていいと両親からも言われている。ただ、何かを欲しいと思う前にあらゆるものをアシルから与えられているためその機会はなかった。
初めてのお買い物、とウキウキしながら商人へそう話すロゼトワールをアシルが腕を引いて制止する。
「ヴィー。一つでは足りなかったか?」
「いいえ。そうじゃなくて。シャルが選んだものだから、お揃いで欲しくて」
そんなことを言われれば、アシルだってキュンとときめくというものだ。
「んっ、まあ、ヴィーが、そうしたいのなら、好きにするといい」
貴重なアシルの照れ顔だが、ロゼトワールは包装される眼鏡に夢中で気がつかなかった。
「では、少し出掛けて来ますね」
「待てヴィー。こんな時間からどこへ行く気だ」
「女子寮の方へ」
「女子寮」
「ええ」
買ったばかりの眼鏡を掛け、包んでもらったばかりの眼鏡を抱いて、ロゼトワールはにこりと言った。
「さっそく、ルシンダさんへ届けてきますわ」
「――何故、そこであの女が出てくる」
「それはもちろん、ルシンダさんにもっと賢くなっていただくためですわ! 殿下に選んでもらった眼鏡を掛ければ、それはもうみるみるうちに成績が向上するはずです!」
ぐっ、と力を込めて言うロゼトワールに、アシルの中で再びルシンダへの明確な殺意が湧いたのは言うまでもない。
「こちら、アシル殿下からの贈り物です。有難く頂戴して、その眼鏡に恥じない成績を収めるのです」
(いえ、明らかに「何故貴様なんかに贈り物をしなければならない」と後ろの御仁の目が語っています、フルベール様!)
にこにこと善意を押し付けるロゼトワールは、相変わらず圧を背負ってやってきた。突然寮を訪れたロゼトワールとアシルの姿にルシンダは泣きたくなった。
「さあ! そういうわけで、今からお勉強を始めますわよ、ルシンダさん! 眼鏡を掛けて、おさげになさいな」
「どういうわけですか!」
「賢い女性は、眼鏡とおさげと決まっているのですよ」
さも当然のように言うロゼトワールもまた、眼鏡に三つ編みおさげ姿だ。ただ、賢さよりも幼げな愛らしさが際立って見えるのはルシンダだけではないだろう。
「わたくしが、貴女を立派な才女にしてみせますわ!」
「――ヴィー」
窘めるように、アシルがロゼトワールの名前を呼んだ。
「コレの勉強の面倒を見るのは、女子首席のモンタニエ侯爵令嬢の方が適任ではないか?」
アシルの提案にロゼトワールはパチクリと目を瞬かせた。
眼鏡とおさげで賢さは上がったとは思うが、アシルの言うことはもっともだ。何でも自分がしなければと思っていたけれど、マリエール以上にルシンダが賢くならなければ女子首席とはなれない。ルシンダがアシルの隣に座ることはできない。それならば、現首席のマリエールに習った方が、より良い結果になるのではないだろうか。
「ルシンダさんを教育するのは、殿下の婚約者のわたくしの役目だとばかり思っておりましたが、確かに、そうですわね」
「貴様も、俺のヴィーよりも、モンタニエ侯爵令嬢に教授願いたいよな」
「はい! それはもちろんでございます!! ぜひ! モンタニエ様にお願いしたく存じます!!」
「では、マリーに頼まなければいけないわね」
「それについては、俺の方から、しっかりと頼んでおこう。だから、ヴィーはもうここに来てはいけない。分かったな」
「え? あ、はい。分かりました」
こうしてルシンダは今日もギリギリのところで永らえていた。
ちなみに、一度ルシンダの手元に渡った、ロゼトワールとお揃いの眼鏡は、マリエールの手によってきっちり回収され、アシルの部屋に保管されていることは、ロゼトワールの与り知らぬことだった。
「も、もう嫌です、こんな生活……どうして、どうして私ばっかり……」
「卒業したら、もうロゼとも殿下とも無縁の生活を送れるのだから、後一年ちょっとの我慢よ」
「ムリ……ツライ……留年したい……」
「まあ、留年したらもっとロゼが貴女に構って、余計に生き地獄を味わうことになるでしょうけど」
「――ツライ……」
「さあ、少しでも順位が上がるよう、厳しくいきますよ」
「もうこれ以上は、ムリです、モンタニエ様……」
「泣き言を言うようならば、殿下を召喚しますよ」
(この世には魔王とその手下しかいないの?!)