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 もっと、頑張らないと。


(そう、こういう時は)


 ぎゅっと目を瞑ったロゼトワールは両手で頬を触った。こうやって両頬を叩くとやる気が出てくるのだと本で読んだことがある。

 ピタピタ。ペタペタ。

(こ、こんな感じかしら? うん。こんな感じね! 何だか元気になった気がするわ!)

 むにっ、と両手で頬を包んだロゼトワールは、納得するように頷いた。

 こんな所で弱気になってはいけない。神様すら応援している、アシルとルシンダの恋。絶対に成就させなければいけない。

「そのためには、ルシンダさんが立派な王妃になれるように、わたしが頑張らないと!」

 それにそうやって頑張っていれば


 ――これからも、側妃として、ルシンダを支えやってくれ。


 そんな風にロゼトワールのことを側妃として迎えてくれるかもしれない。


(ええ。もちろん。もちろんよ、シャル。だって、わたしは、シャルのために。シャルが、幸せでいられるように)


 頬を包んでいた手の平が、いつの間にか顔を覆う。


(シャルの役に立つ、立派な妃になるために、わたしはがんばってきたんだもの。だから――)


 ぐっと俯いた顔を、勢いよく上げる。


「さあ、明日もシャルの婚約者として頑張るわ! ルシンダさんを立派な淑女してみせるのよ!」


 元々真面目な令嬢であり、これまでアシルによってドロドロに甘やかされた環境で暮らしてきたロゼトワールは、大きな失敗や挫折というものを知らない。何をしてもどんな時もそれなりに上手くいってきたロゼトワールは、基本的に前向きだ。満たされた生活を送っているので、不満らしい不満もなく、我侭らしい我侭を言ったこともないが(ロゼトワールが我侭だと思っていることはだいたいかわいらしいオネダリでしかない)、同時にイロイロと素直に受け入れるようにアシルから躾られてもいるため、熟考らしい熟考もしたことがない。学力面で言えば賢くはあるが、危機管理能力に欠ける理由はだいたいここにある。

 挫折も知らず、諦めることを知らないロゼトワールは、その見た目に反して中々逞しい精神を培っていた。

 決意を新たにしたロゼトワールは、明日からの作戦を考える。

「やっぱり、これかしら。これよね。ええそうだわ!」

 そうと決まれば、とロゼトワールは、クローゼットを開き、チェストを引き出し思いついたものを探す。


「大変! 眼鏡がないわ!」

 まあ、どうしましょう、と頬に手を当てて驚嘆の声を上げる。

 ロゼトワールは、生まれながらの侯爵令嬢として、何不自由のない生活を送ってきた。アシルの婚約者となってからは豪華なドレスや繊細さを極めた宝飾品のみならず、家具や調度品、食器や文具の日用品、細々とした身の回りの小物ですらアシルに贈られたものを使っている。そんなロゼトワールは、何かが足りないという経験をしたことがない。こんな時にどうしたらいいのかも分からない。

「困ったわ……」

 バラや小花で飾られたうっすらとピンクがかったかわいらしい置き時計の指す時刻に、ロゼトワールは、情けなく眉尻を下げた。淑女が異性を訪れるには、はしたない時間だ。

「もう遅いし、明日の朝、シャルに相談してみましょう!」

 ぱん、と小さく手を叩いて結論付けたロゼトワールは、安心した顔でベッドへ上がって、柔らかなリネンに包まった。

 心配することは何もない。アシルに聞けば問題は解決したも同然だ。

 何か困ったことがあれば、アシルに頼る。

 それが、長年にわたってロゼトワールに沁みついた思考だった。


 一方その頃、一般学生寮でルシンダは突然走った悪寒に、ブルリと背中を震わせた。

「――え……? 何? 何か嫌な予感がするんです、けど……?」

 ちらり、と窓の方を見て、カーテンを開けようとして、その手を慌てて引っ込めた。

 窓の向こう。の林に隠されたその向こうには、魔王が棲まう王族専用の寮がある。

 カーテンを開けた先に、ヌッと暗闇の中に魔王様が立っている想像をしてしまって、気のせいよ、とルシンダは頭を振って、逃げ込むようにベッドに潜った。


 けれど、嫌な予感、というものはえてして当たるというのが世の非情さだ。



 翌朝、王宮お抱えの調理人による味だけではなく、食器に盛り付け方も工夫が凝らされた洗練された朝食を丁寧に食べ終えたロゼトワールは、あのね、とアシルに声を掛けた。

「シャルに聞きたいことがあるの」

「ああ。何だ」

「眼鏡がね欲しいのだけど。どうしたらいいのかしら?」

「眼鏡?」

 何に使うのだろうかと、アシルは少し不思議に思ったが、それ以上にロゼトワールが欲しいと言うのならそれを与えるのがアシルだ。だいたい、ウルウルとした瞳で上目遣い気味の顔でオネダリされて断れるはずがないとアシルは思う。かわいすぎる婚約者のオネダリに少しの不思議は、些末なもので問題にすらならない。

(まあ、俺以外にこんな風にヴィーにねだられる人間がいたら殺すけどな)

 きっちり物騒なことを思うことも忘れない。

「分かった。じゃあ、放課後、行商に持ってくるよう手配しよう」

「ほんと?! わあ、ありがとシャル!」

 流石シャルね、とにっこりとした笑みと尊敬の念にキラキラ煌めく瞳を向けられれば、いくらでもその願いを叶えてやろうというもの。

「他に何か欲しいものはないか? ああ、新しい髪飾りを作って贈ろうか」

 柔らかなロゼトワールの絹髪を手に取り、口付けながらアシルが甘く微笑みかける。

 こうしたイチャつき(ロゼトワールにそのつもりはないが)は毎朝、予鈴の鐘の音が響くまで続けられる。

 響く鐘の音にロゼトワールがハッとする。

「た、大変よ、シャル! 遅刻してしまうわ!」

「ああ、本当だな。急がないと。ヴィーといるとついつい時間を忘れてしまうな」

「ああ。今日こそ早く登校しようと思っていたのに。また失敗してしまったわ」

 今日もルシンダさんとお話できそうにないわ、としょんぼりするロゼトワールに、だからこそこうしてギリギリまでロゼトワールを寮に引き留めていることは、そこにいる全員が分かっていることだった。ルシンダを抜きにしても、ただただアシルがロゼトワールとイチャつきたいだけというのも否定できないが。


「明日こそ、もう少し余裕を持って登校しましょうね、シャル!」

「そうだな」

 意気込むロゼトワールに、にっこりと笑って頷くアシル。

 けれど、そんな明日が来るはずがないことを、ロゼトワール以外は確信していた。

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