(25)
庭園の中央には大理石で造られた三段の噴水が置かれている。高々と舞い上がる水しぶきが太陽の光に反射してキラキラ光り、涼しげな水音や空気感が心地よく、学生達の癒しの場所の一つになっている。
そんな噴水の縁に座る女子学生が一人。紺色のスカートの上に白いナプキンを広げ、その上でランチボックスを広げている。戯れるように通り抜ける風が彼女の飴色の髪をふわりと揺らす。水しぶきを煌めかせる陽の光が、彼女の髪もきらりと煌めかせている。
そんな少女の姿に先に気が付いたのはイヴェットだった。
さっ、とロゼトワールの前に立ち、視界を遮る。
「イヴ?」
どうしたの? と小首を傾げるロゼトワールの柔らかな髪が、さらりと軽やかに踊る。
普段から淡く光り輝くハニーブロンドの美しい髪は、陽の光の下ではその輝きを一層増す。黄金色の太陽の光をキラキラと反射させる髪は眩しい程に輝き、ロゼトワールの美しい姿を輝き浮かび上がらせ、その姿をより一層美しく幻想的に見せる。
「えー、その、太陽の光が眩しすぎるし、木陰の道を行きましょうか。ほら、肌が焼けてしまうかもしれないわ」
戦闘能力はそこらの騎士にも負けないイヴェットではあるが、あまり機転が利く方ではない。戦闘能力が高すぎるが故、危険があってもそれを迂回することはなく、正面突破で切り抜ける方を選んできた。回避してもその危険が無くなるわけでない。それならば、先延ばしすることなく見つけた時に消しておいた方が効率的だと思っている。
けれど、今回に限ってはこのまま真っ直ぐ進むわけにはいかない。
ロゼトワールの肩に手を置いて回れ右をさせようとしたが、ロゼトワールはコロコロと笑った。
「これくらい大丈夫よ。シャルがくれた日焼け防止のクリームも塗っているし。それに晴れた日の噴水は綺麗でしょう? せっかくここまで来たんだもの、ここで道を逸れるのはもったいないわ」
「でもね、ロゼ」
「じゃあ、少しだけ。ね?」
イヴェットの手を握ったロゼトワールが、えいっ、とイヴェットを回り込むようにして前へと出る。
「あら?」
パァーっと顔を輝かせたロゼトワールに、イヴェットは天を仰いだ。
「ルシンダさんだわ!」
噴水の前に座っていた少女は、平民出身の男爵子女ながら特別貴族科への入学が許されたルシンダ・レッキーだった。
出来ればこのままロゼトワールを抱き抱えて走り去りたいくらいあるが、ロゼトワールの前でのイヴェットは『赤薔薇の淑女』であって、間違っても『狂狼の娘』なんかではない。
「ロゼ、殿下からあまりレッキー男爵嬢に近付いてはいけないと言われているじゃない」
「最近ほとんどお話できていないわ。それにシャルがいない今がお近付きになるチャンスよ」
アシルにルシンダをイジメるなと言われていると思っているロゼトワールにとって、これは千載一遇のチャンスだった。悪役令嬢がヒロインをイジメないとヒーローとヒロインの恋が進展しないのに、アシルがべったり悪役令嬢のロゼトワールがルシンダをいじめないように監視していることもあって、ロゼトワールは悪役令嬢の役割を果たせていない。
「やめておきなさい」
「駄目よ。これが、アシル殿下の婚約者としての務めだもの!」
ルシンダのためにもそれ以上は近付くなと止めに入るイヴェットの制止も、ロゼトワールを止めるには至らない。
おっとりとしたゆるふわお姫様のロゼトワールではあるが、行動力がないわけではない。興味を持ってきらきらと瞳を輝かせた彼女は無敵だ。
いいから、いいから、とウキウキとした顔でイヴェットの手を引き、ルシンダへと近付いた。
「ご機嫌よう、ルシンダさん」
掛けられた声にルシンダは、ひっ! と仰け反った。
(え? 何で? 何でこの時間に、こんな場所にこの人がいるの?!)
普段であれば、ロゼトワールはアシル達と専用サロンルームでランチタイムを過ごしているはずだ。
キョロキョロと辺りを見渡すが、ロゼトワールとイヴェット以外の姿が見えない。
いっそこのまま逃げ出してしまおうかと考えたが、あの人智を超えた存在じゃないかと思える王太子殿下はその場にいなくてもきっちり状況を把握していそうな気がする。
(さよなら、私の平和なランチタイム)
こんなことなら、気まずくても食堂を利用していれば良かったと、後悔しても遅い。
ルシンダはいつも食堂を利用せず、こうして人のいない庭で昼食を取り、人が増え始めたら図書館等に避難して過ごしていた。
貴族のご子息ご令嬢に満足頂ける食事を提供する学院の食堂の評判は良い。その食堂をルシンダが利用しないのは、何も料金を気にしているわけではない。学費には食費も含まれているこの学院では、一流の料理人がそれぞれのオーダーに応じた料理を個別に提供してくれる食堂の利用にお金はかからない。そもそもルシンダは爵位を買えるだけの資産家の娘だ。食費に困ることはない。
ただ、あの大勢の人に遠巻きに囲まれ、ヒソヒソ声を聞きながら食事をすることに耐えられなかったのだ。
それは何も彼女の食事マナーがなっていないと嘲笑するものではない。
ルシンダは確かに元平民で、洗練された貴族の立ち振る舞いが出来ているとはとても言えない。毎日のようにロゼトワールにその立ち振る舞いを指摘されているが、けれど、それは当然で、同じような下位貴族の中であればその粗雑さが酷く目立つような振る舞いではない。ロゼトワールが完璧すぎるのだ。
ロゼトワールとルシンダはそもそもの土台が違い、本来ならば住む世界が違い、その目に留ることもなかったはずなのに、何の因果かロゼトワールの指導を受ける立場となってしまっている。
(くっ……! 特別科の入学辞退しておけば、こんなことには……!)
学費無料に釣られた過去の自分の判断を後悔してももう遅い。タダより高いものはないことをルシンダは痛感していた。商人の娘としては痛恨の極みだ。