(24)
ロゼトワールに目を掛けられ、アシルに目を付けられたルシンダの日常は、いかにロゼトワールに見つからずに姿を消すかに注力するようになった。
始業の鐘の音とともに教室に滑り込み、終業の鐘が鳴る直前には椅子から腰を浮かし、鳴った瞬間にドアに向かって駆け出し教室から脱出する。おっとりとしたロゼトワールが授業が終わり、教科書を閉じ、片付けをしている間にルシンダの姿はなくなっている。講師が退出する前に退席するルシンダの行動は褒められたものではないが、彼女の置かれた立場を講師陣も分かっているためそっと見逃してくれている。それくらいのことしかしてやれることはない。
「あら?」
ロゼトワールが振り返った先にお目当てのルシンダの姿が見えず、キョロキョロと探してみるが当然その姿はない。不思議そうにロゼトワールは首を傾げる。
「ルシンダさんは魔法使いなのかしら?」
突如姿を消す不思議な少女。 一体どうしたら授業が終わったばかりの教室から姿を消すことができるのか、おっとりとしたロゼトワールには皆目検討もつかなかった。
「ヴィー」
軽く腕を引いて抱き寄せたロゼトワールの額に、アシルが柔らかく口付ける。積極的にルシンダが姿を消すおかげで、機嫌はそれなりにいい。ルシンダのことを気に掛ける様子は気に食わないが、キレ散らかすほどではない。
「きゃっ。シャルったら、ここは教室なのよ?」
「俺は今から公務で少し離れるからな。そのための英気を養わないといけないだろ」
「こんなことで元気になるの?」
「そう言っているだろ」
それならば仕方ないかとロゼトワールは納得する。王太子殿下であるアシルには彼にしかできない仕事がある。その仕事そのものをロゼトワールが手伝うことはできない。少しでもアシルが元気になるというのなら、ロゼトワールとしても恥ずかしいからと拒むわけにはいかない。
「ご飯もちゃんと食べてね?」
「心配するな。それよりヴィーも、今日はリオもモンタニエ侯爵令嬢も執行部で不在になるが大丈夫か?」
この学院では、男女の成績優秀者が学生執行部という、行事の運営を始めとした学院運営を行う学生の自治組織に属することになっている。慣例であれば、特別貴族科からは首席入学者であるアシルと女子の首席のマリエールが執行部に属することになるが、アシルは王族としての公務を理由に、次席のリオネルが繰り上がって参加することになった。アシルが執行部に参加しなかったことはロゼトワールとしては若干の不満があったが、
(普通ならここで、シャルとルシンダさんが執行部に選任される流れなのに……ああ! ルシンダさんが首席ではないから、シャルも断ったのね!)
という理由を見つけて納得した。
実際には、ロゼトワールとの時間を削られる煩わしさを嫌ったアシルが、公務を理由に拒否しただけなのだが、ロゼトワールの中では都合のいい物語編成が行われている。
普段はアシルと友人とその婚約者達の六人揃って昼休みを過ごすロゼトワールだが、マリエールとリオネルは今日は昼休みの時間に、ランチを兼ねた定例部会があるため欠席となっている。そして、アシルにも急ぎの公務が入ったため、護衛であるフィルマンも揃ってロゼトワールとは別々に昼休みを過ごすことになったのだ。
「心配しないで。イヴと一緒だもの。それにもう子供じゃないんだから」
くすくすとロゼトワールはおかしそうに言うが、アシルにしてみれば、子供ではないからこそ危険だと思うこともあるが、純粋なロゼトワールにはそんな危険があるなんてことは想像もしていないのだろう。アシルの視線にイヴェットは小さく頷いた。
本来ならば、少なくともマリエールと二人で壁になりたいところであるが仕方がない。アシルとしても普段より薄い壁に心配ではあるが、戦闘能力的にはイヴェット一人でもロゼトワールへの物理的な危険は充分対処可能だ。マリエールは殺傷能力の高い知識は持っているが、彼女自身の物理的な戦闘能力はない。もっとも、学院内でイヴェットの戦闘能力を発揮する事態に陥ることはまあないだろが。かわいい婚約者を持つ身として、どれだけ心配してもしきれない。
「校内の食堂ではなく、寮を利用するんだぞ」
「ええ。分かっているわ。それより、シャルは時間大丈夫?」
名残惜しくはあるが、公務も完璧にこなす王子であるアシルは、公務に穴を開けるわけにもいかず、イヴェットに後を託して教室を出た。
「わたしたちも行きましょうか」
「そうね」
「お天気もいいし、少し遠回りになってしまうけれど、お庭の中を通って行かない?」
ロゼトワールの提案に、イヴェットは少しだけ考えて頷いた。
ランチタイムも兼ねた昼休みは、食事の後のお茶の時間もゆっくりと楽しめるようにと二時間ほど取られている。多少遠回りをしても、食事の時間にさほど影響するわけではない。
それに、食事終わりの時間であれば食後のお茶を庭で楽しむ学生も多いが、今はまだ昼休みが始まったばかりの時間帯で、ほとんどの学生は食堂へ向かっている時間だ。
人の流れと異なるため、却ってその方が人と会うこともないだろうと考えたのだ。
そして、庭園の中央部に差し掛かったところで、イヴェットはその判断を後悔することになる。