(23)
心情的に場違いとも思える軽やかな音楽が流れる氷原――もとい、ダンスホールでルシンダは脅されていた。平民上りの男爵子女の脅迫相手が自国の王太子だというのが何の冗談だという話だ。
「怯えた顔を見せるな。嬉しそうに笑え。ヴィーが見ているだろうが」
アシルの言葉に、無茶を言うなとルシンダは思う。
(なら、その殺気を。殺気を消してください!)
見た目爽やかな王子様の笑顔を浮かべているアシルだが、その目が全く笑っていないのがルシンダには分かる。
それでも、ルシンダには笑う以外の選択肢はない。ぎこちなく浮かべた笑みを冷ややかな目で見下ろされて、泣き出さないことを褒めてほしいと思う。
「一体、どんな手を使ってヴィーに近付いた」
「し、知りません」
「ヴィーに何かしてみろ。一族郎党楽に死ねると思うなよ」
色と温度のない声で囁かれ、ガタガタと小刻みに震えるルシンダに、
「笑え」
と無慈悲な命令が下る。もう言っていることが滅茶苦茶だ。
(やっぱり、貴族になんてなるんじゃなかった)
心の中で号泣しながら、ルシンダは懸命に足を動かした。
元々平民出身のルシンダはまともにダンスレッスンを受けたことがない。入学前に最低限のマナーを習った程度だ。
付け焼き刃のダンス技術な上に、
(足を踏んだら、王族に対する傷害罪で死罪?!)
と、緊張と恐怖でガチガチのルシンダだったが、完璧な王子様を演じるアシルのダンスの腕は確かで、ルシンダがどれだけステップを間違えようと、それが正しいステップだったかのように華麗なリードをする。
もっともそれは、ルシンダに恥をかかせないようにしようという気遣いなどでは全くなく、ド素人のフォローができないダンスの腕前だとロゼトワールに見られるわけにはいかないアシルの意地と見栄によるものだ。ロゼトワール以外への圧と殺意が凄くとも、ロゼトワールに対しては恋する少年だ。愛しい婚約者の前では魔王も一人の恋する少年だった。
ダンスフロアの中央で踊る二人の姿を、ロゼトワールはにこにこと眺めていた。
「二人とも、楽しそうね!」
(――どこが?)
氷の笑みを浮かべる王子に、虚ろな目で半笑いを浮かべる女。
ロゼトワールの言葉に、側近たちは瞬時に脳内でツッコミを入れるが、勿論それを口に出すような愚は犯さない。
ロゼトワールにとって、アシルは完璧な王子様であって、けして冷血魔王ではない。その姿を少しでも彼女に匂わせようものなら、近しい場所に置かれている彼等であろうとアシルは容赦しないだろう。
不自然な時期にルシンダを迎え入れたレッキー男爵家は元々警戒対象ではあったけれど、今ではその警戒は薄れている。アシルの命令もあり、より細かな動向を探ってみたが、どの方向から探ってみても、あの家に不審な点は見つけられない。どうやら本当に、金で爵位を買っただけの「平民」のようだった。偶然と無知が重なった結果、不自然に見える経緯を辿ったのだろうと彼等は結論付けた。
今はただ、何の因果かロゼトワールの関心を得ていることで、アシル個人の不興を一身に浴びることになったルシンダに同情すらしている。同情するだけで助けることはできないが。
哀れな生贄に同情の視線を送りながら、側近たちはロゼトワールの言葉に同意するように頷いた。
「あの二人、お似合いだと思わない?」
(――どこが?)
とは思ったが、口には出さない。そして頷きもしない。
その言葉に同意をすれば、間違いなく物理的に首が飛ぶ。
「俺が、ヴィー以外の女とお似合いだと、そう言うのか?」
アシルが浮かべる表情も声音もくっきりと想像できる。
ロゼトワールの言葉に不安や嫉妬の声が滲んでいれば、まだ救いはあったのだろうが、その様子はない。
どうしてロゼトワールがそんなことを思うのか不思議ではあるが、下手に聞けば恐ろしい答えが出て来そうな気がしたので、処世術に長けた側近たちは、そっと気付かないフリをした。場合によってはルシンダ一人の犠牲では済まなくなる。下手をすればロゼトワールとアシル以外の人間は全員死ぬ。物理的に二人きりになってしまえば、ロゼトワールはアシル以外を見ることが出来なくなる。それくらいのことをやってしまえると思うのが、アシルのロゼトワールへの愛の重さだった。
それだけの重い愛を向けられているのに、ロゼトワールは何故気が付かないのかと不思議に思うが、偏にアシルは爽やか好青年な王子様だと信じ込まされているからだろう。あれだけ際どいセクハラ行為を受けているのに、アシルが清廉潔白な王子様だということを信じ込めてしまえるロゼトワールの素質も怖いが、やはりそこまでの性格に調教したアシルの執念が一番の原因だろう。
その結果が、今の惨状だと思うと、ルシンダにしてはとんだとばっちりだろう。だが、どうすることもできない。
彼等がアシルを止めることなどできないし、唯一アシルを止められる資格のあるロゼトワールがあの調子である以上、どうしようもなかった。
ダンスが終わり、フロアの外へ出てきた二人をロゼトワールが出迎えた。
「殿下とのダンスはどうでした?」
笑顔で、アシルではなく真っ先にルシンダに駆け寄るあたり、
(彼女に死んでほしいのか?)
と穿った見方も出来そうだが、ロゼトワールに限ってはその可能性が皆無なところが、ルシンダにとって恐ろしいくらい不幸な巡りあわせだった。気に掛けている人物を、善意ゆえに殺しに掛かっているなんてロゼトワールは思いもしないだろう。
「――こわかった……」
思わず零れた本音に、ロゼトワールは首を傾げたが、すぐにその言葉に納得した。
(悪役令嬢の視線が怖かったのね!)
じっと見つめていた視線を、きちんとルシンダが受け止めていてくれたことに満足したロゼトワールは、嬉しそうに頷きながら言った。
「それは良かったです」
(なぜ?! 怖かったという感想の、どこが良かったの?!)
慈愛に満ちた聖母のようだと思っていたロゼトワールの、意味不明な答えに、ルシンダは泣きそうになった。
「何を話している」
恐怖の権化の声に、ルシンダは慌てて姿勢を正し、
「なんでもございません! お相手頂きましてありがとうございました! お二人の仲を邪魔する気は毛頭ございませんので、これにて失礼いたします!」
逃げ去るルシンダを、名残惜しげにロゼトワールの指先が追いかけたが、その指はすぐにアシルに絡めとられた。
「ろくにダンスを踊れない娘の相手を務め上げた俺に労いの言葉はくれないのか?」
「お疲れ様でした。とても素敵なダンスでしたわ」
「あれぐらい当然だ。まあ、もう二度と踊りたくはないがな」
「まあ。そんなこと仰って。ふふ。でもわたくし、殿下の婚約者ですから、ちゃあんと分かっていましてよ?」
(好きな方を前にすると、殿方は恥ずかしがって反対のことを仰るのよね)
全然全くこれっぽちも分かっていないことを、ロゼトワールは思うのだった。