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思う存分ロゼトワールを堪能、もといお仕置を施したアシルはようやく満足したようで、恥ずかしさに息切れするロゼトワールの拘束を緩めた。
「これに懲りたら、もうレッキー男爵家の娘に無闇に近付くんじゃないぞ」
分かったか、とアシルに覗き込まれたロゼトワールは、ぱちぱちと瞬きをして、ようやくお仕置の理由を理解した。
「わたしが、ルシンダさんに近付いたのが嫌だったの?」
いつの間にかルシンダのことを名前で呼んでいるロゼトワールに、アシルのこめかみがピクリと波打ったが、ロゼトワールの前では正統派王子であることを自身に課しているアシルは、何とか平静を保った顔で頷いた。その脳裏でルシンダは数十回は死んでいたが。
アシルの頷きにロゼトワールはストーリーが進んだことを確信した。
(わたしが、ルシンダさんをイジメると思ったのね!)
ヒーローはヒロインに嫌がらせをする悪役令嬢を遠ざけ、ヒロインを守ろうとするのが定番だ。勿論最初は恋愛感情ではなく、正義感からくるものであっても、そうすることを繰り返す内に、ヒーローとヒロインの間に接点が出来て、徐々にその関係が深まっていくのだ。
そのためには、悪役令嬢の存在が必要不可欠だ。
そうして今、ロゼトワール(悪役令嬢)の動きのおかげで、アシル(ヒーロー)はルシンダ(ヒロイン)を心配している。
そんな事実はどこにもないのだが、悪役令嬢としての役割の成功を感じたロゼトワールは、脱ぎ捨てた悪役令嬢の仮面を探し拾ってもう一度被った。
「だからヴィー。もうあいつには近付かないと約束できるな?」
「い、いやよっ!」
「ヴィー?」
「わ、わたくし、アシル殿下の婚約者として、必要なことをしているだけですわっ!」
悪役令嬢の矜恃を振り絞って、ロゼトワールはワタワタとアシルの腕から逃げ出した。またお仕置されては恥ずかしくてたまらない。
「ヴィーっ!!」
「し、知りませんわー!」
耳を塞いでアシルの声を聞こえないとするロゼトワールは、そのままパタパタと自室へと駆け込んだ。
『初めて』ロゼトワールに逃げられたアシルは、一瞬呆然とし、次の瞬間、ブワリと黒い冷気を纏わせて、広間に続く扉を蹴り開けた。ロゼトワールの前では正統派の麗しく凛々しく礼儀正しい王子様を演じているアシルの素はこんなものだ。
広間では側近達が控えていた。
愛しのお姫様と甘い時を過ごしていると思った主が、その甘さを引っ込めた魔王の顔で出てくれば焦るというものだ。
「ど、どうした」
「あの女、俺のヴィーを誑かしやがった!」
あの女と言うのは、レッキー男爵家の娘のことだろう。それ以外でロゼトワールが接した女は、ロゼトワールの友人として置いているマリエールとイヴェットだけだ。そもそもアシルがそう簡単にロゼトワールを他の人間に近付かせない。牽制に牽制を重ねている。その牽制網をするりと抜け出してしまうのが、ロゼトワールの無自覚の技だ。
消す。殺してやる! と殺気立つアシルをフィルマンが必死に止める。やると言ったらこの王子は迷いなく殺る。 羽交い締めされながら、自分よりも上背がある青年騎士を引き摺るように進む王子は、見た目痩身なのにその力がどこにあるのかと不思議に思うくらいだ。
「待て待て待て! 待てって!! 入学直後に特待生の男爵子女が失踪するとか、どんだけデカい話題にする気だ!」
「そうですよ。それに、ロゼトワール嬢が気に掛けている状態で消息不明となれば、ロゼトワール嬢がますます彼女を気に掛けることになりますよ。何なら心配で涙を流すこともあるかもしれませんね」
リオネルの言葉に、アシルの動きが止まり、ようやく冷静さを取り戻す。
「――そうだな」
どうしてロゼトワールが、あんなにも、アシルの言葉を振り切るほどにルシンダを気に掛けるのか分からないが、彼女はおとぎ話のお姫様に引けを取らない、心優しいお姫様だ。アシルには理解できない慈悲の心で元平民の娘を見ているとしても不思議ではない。
ただ、それを許せるほどアシルは寛大な心を持つ王子様ではない。ロゼトワールに対しては極甘な顔を見せるアシルだが、それと同時にロゼトワールの関心を奪うものには容赦ない狭量さを持つのもまたアシル・シャルル・エクトル・フォルタンという男だ。
「――どんな醜聞でも構わない。あの女を学院から――そうでなくとも特別科から追放できるネタを探せ」
同情心すら湧かないほど最低な女だという印象をロゼトワールに与えなければいけない。
ロゼトワールが同情だろうと、自分よりも優先する人間が存在することが許せないアシルは、冷え冷えとした声と眼差しでそう命じた。
アシル(ヒーロー)とルシンダ(ヒロイン)をくっつけようと奮闘するロゼトワール(悪役令嬢)よりも、ヒーロー役のアシルの方がよほど迫力のある悪役じみていた。