(17)
毎夏、白く塗り替えられる 美しい白亜の学舎。 所々に嵌め込まれたステンドグラスの光が鮮やかな広々とした廊下にレースを思わせる素晴らしい繊細な壁のレリーフ。大講堂の荘厳さとはまた違った、繊細な装飾が施された貴族の子弟が通うに相応しい学舎の教室もまた、広々として明るい教室だった。
貴族科は一クラス三十人ほどの学生が在籍しているが、特別貴族科はそれよりも少ない二十人ほどの在籍で、一般貴族科よりもより広い教室を優雅に使っている。
講堂からアシルにエスコートされて、教室に入ったロゼトワールは、最前列中央に二席だけある席の一つに座る。隣に座るのは当然アシルだ。二列目は中央に四席用意されており、ロゼトワールの後ろにマリエール、アシルの後ろにリオネル、両端にイヴェットとシャルマンが座る。それから一列分ほど空けた三列目からは入学試験の成績順に他の生徒が座る。
その席順に
「わたしとマリーは席を入れ替わらなくて大丈夫?」
とロゼトワールが尋ねる。
入学試験の成績は、アシルが百点満点中百五十点なんていう規格外の成績で首席を誇り、次いでリオネルとマリエールの秀才コンビが満点の成績で次席を守り、四番手にロゼトワール、その下にイヴェットとフィルマンが続く。
ふわふわぽけぽけの性格をしているロゼトワールだが、勉学の成績は優秀だ。もともと、室内で大人しくして過ごすことを好んでいたロゼトワールは、本を読むことに慣れ親しんでいた上、侯爵令嬢として幼少期より質のいい教育を受け、五歳からはアシルとともに国の最高峰の教育を受けてきた。真面目で責任感もあるロゼトワールは、出される課題を丁寧にこなしてきたので、それも当然の結果だった。
そして、真面目だからこそ、女子首席のマリエールを差し置いて、自分が最前列に座るのは違うのではないかと思ったのだ。
そんなロゼトワールに、マリエールが淑やかな笑みで言った。
「その必要はないわ。せっかくの学校生活なのだから、婚約者との思い出も作らないと、でしょう?」
その言葉に、ロゼトワールは目を輝かせて、隣合って座る友人とその婚約者を見た。そういうことなら、とロゼトワールはにっこりとした笑みを浮かべると、それ以上何も言わなかった。仲のいい婚約者を引き裂くなんて、そんな無粋な真似はできないとでも思っているのだろう。
勿論、隣同士を望んでいるのはアシルであり、仮にロゼトワールの成績が悪くとも何かしらの理由を付けて隣に座らせていただろう。ただ、それを素直に伝えたところで、納得しないのが素直なくせに妙に真面目で融通が利かないロゼトワールという少女だ。
「いくらわたしがシャルの婚約者だからって、教室の中でまで迷惑をかけるわけにはいかないわ。ここには勉強をしにきているんですもの。シャルに付いていてもらわなくても、大丈夫よ。心配しないで」
くらいのことは言うだろう。その代わり、友人に対してはその判断はかなり緩くなるので、マリエールがリオネルの隣に居たいのだと匂わせれば(実際にそんなことはないのだが)、ロゼトワールは案の定その席に何も言わなかった。単純すぎて心配になるところだが、扱いやすくて助かる面でもあるので、良し悪しだ。
いつも通りの面々に囲まれながら、ロゼトワールはルシンダの席を確認して首を傾げた。彼女は教室の真ん中ほどの席に座っていた。席順から見ると成績は十数番目という感じだった。
(成績優秀なヒロインは、他の貴族の子弟を抑えて王子の近くに座るものではないのかしら?)
幼少期より高等教育を受けてきた貴族の子弟の中で、元庶子ながらに特別科に入学し、さらにその中でも中間に位置しているルシンダは十分優秀な成績保持者と言えたが、ロゼトワールには少々物足りない展開だ。優秀な人材として、平民のヒロインが学生自治会や生徒会役員に抜擢されてヒーローと関係を深めていくような展開を期待していたのだが――。
(分かったわ! ここでわたしの出番というわけね!)
さっそく、『悪役令嬢』としての役割を『思い付いた』ロゼトワールは、初日からアシル達の忠告を無視する動きに出た。
担当講師の紹介等オリエンテーションが終わり、各々が寮へと戻る中、ロゼトワールはアシルの差し出す手を無視して一歩踏み出した。
「ヴィー?」
「アシル殿下の婚約者として、一言、挨拶をしなければなりませんの」
悪役令嬢としての気合いを入れたロゼトワールは、まっすぐに目的の人物の元へと歩み寄った。
「お待ちになって」
驚いたように見開かれる瞳。遠目では瞳の色までは分からなかったが、チョコレート色の瞳をしている。
飴色の髪に、チョコレート色の瞳。
(ヒーローにとって、お菓子のように甘い存在ということね)
平凡な容姿の中に、ヒロインを思わせる要素を見つけたロゼトワールはにっこりと笑った。
「貴女が、ルシンダ・レッキーさん? わたくしは、王太子であらせられるアシル殿下の婚約者、フルベール侯爵家の娘、ロゼトワールよ」
ヒロインと悪役令嬢の初対面シーンを演出したロゼトワールだったが、対するルシンダの反応がいまいち薄い。ルシンダにしてみれば、侯爵家の、しかも王太子の婚約者であるご令嬢に話しかけられる理由が分からないのだから、それも仕方がないことだろう。
ヒロインであるルシンダが何も言わないのが少しだけ不思議だったが、
(いえ。きっと、王太子の婚約者に声を掛けられて怯えているのね!)
ロゼトワールはどこまでもポジティブだった。
「貴女、最近まで庶子として育ったと聞いたわ。貴族社会の習わしにも疎いでしょうけど、わたくしがしっかり教えて差し上げるから安心なさって」
そう言うとロゼトワールは、ルシンダの手を取り微笑みかけた。
ロゼトワールとしては、庶民出であるヒロインを馬鹿にし、彼女の矜持を刺激する大事なシーンのつもりだったが、周りから見れば、知り合いもなく、浮いている男爵子女を導く心優しい次期王太子妃さまだ。ほのかに輝きながら波打つ髪に、神秘的な夜の輝きを映す瞳に、慈悲深い心を持った美少女が、不慣れな少女に優しく寄り添っているようにしか見えない。悪役令嬢を意識するロゼトワールだが、柔らかで甘やかな佇まいの侯爵令嬢はどうやっても悪役令嬢には見えなかった。
「あの、フルベール様――」
何かしら? と返す前に、ロゼトワールの身体は宙に浮き、気が付けばアシルに横抱きにされていた。何が起こったのか分からないと言う風に、ロゼトワールは、ぱちぱち、と瞬きをする。
「帰寮の時間だ。貴様もさっさと戻るがいい」
冷え冷えとした瞳で睨み下ろされれば「――はい」としか言いようがない。
ロゼトワールを抱きかかえて、さっさと退室する王子と、その側近たちの後ろ姿を、ルシンダは呆然と見送った。
「――え……? 何だったの、あれ?」
王太子の婚約者に話しかけられたら、何故か王太子に睨まれた。
説明を求めようにも、周りを見ればささっと視線を逸らされて、巻き添えになるのは御免だとばかりに、そそくさとその場を離れる者ばかり。
「ええ~……」
完全なとばっちりだった。