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王族も通う由緒ある王都の貴族学院の大講堂は荘厳な雰囲気の講堂としても知られている。磨き抜かれた大理石の床に、窓は細やかなデザインの大きなステンドグラス。太陽の光がステンドグラスに差し込めば、講堂は美しく荘厳な光の空間となる。大講堂の二階には巨大なパイプオルガンが鎮座する。この講堂のパイプオルガンは、王城、大聖堂の大パイプオルガンに次ぐ大きさのものだと言われている。
巨大なパイプオルガンから荘厳な音色が響く中、大講堂には花の王または女王と尊ばれる大輪の薔薇の花を胸に挿した入学者が集まる。この薔薇は王家の庭で育てられた薔薇だ。王家の庭は、王族とそれに連なる限られた者のみしか立ち入ることができず、普段であればそこに咲く花は、花に限らず葉の一枚であっても普通の貴族が手にすることはおろか見ることすら叶わない。けれど、この王都の貴族学院の入学式の日だけは特別で、王家からの入学の祝いとして王家の庭の薔薇が入学者に贈られるのが習わしだった。
美しく荘厳な光の空間に、パイプオルガンの音色と高貴な薔薇の香が漂う入学式はまさに荘厳華麗なものだ。
この入学式に参加する者は全て爵位のある家――貴族家のものばかりであるが、荘厳な華やかさとは縁遠い貴族の者も中にはいる。華やかな舞踏会へ参加経験がある者であっても、この雰囲気に飲まれる者は多い。この空気を当たり前のものとしていられる者はごく僅かな、高位貴族の者だけだ。
そんな中、アシルは新入生代表として――王太子という身分でもあり、入学試験でぶっちぎりの成績を誇る首席生として檀上に席を設けられていた。隣には当然、王太子殿下の婚約者であるロゼトワールが座る。
自然と背筋が伸びるような緊張感に包まれた講堂の檀上に座ることになったロゼトワールは、緊張とは程遠いきらきらわくわくとした瞳で段下に並ぶ他の入学者を見ていた。
(どなたがルシンダさんかしら)
うっとりとするような凛々しい美声で挨拶を述べる婚約者そっちのけで、彼女はヒロインを見つけることに夢中だった。
会場の前方二列に座るのが、特別貴族科の生徒。その中に、ルシンダ・レッキー男爵子女がいる。
日々、王太子宮で過ごし、限られた夜会にしか出席しないロゼトワールの知り合いはあまり多くはない。けれど、その少ない知り合いのほとんどは特別科の生徒だ。見知らぬ顔があれば、それがルシンダだろう。
一列目の中央部には、ロゼトワールの友人である侯爵令嬢のマリエールと辺境伯令嬢のイヴェット、アシルの側近である公爵令息のリオネルと侯爵令息のフィルマンがいた。親しい顔ぶれを見つけたロゼトワールは、わーい、と手を振りそうになったが、マリエールとイヴェットが小さく首を振るのに気が付いて、少しだけ浮いた手を慌てて降ろした。
その様子にマリエールとイヴェットは内心で大きな溜息を吐く。
(なんて、緊張感のない……)
そうさせた主犯は彼女の婚約者であらせられる王太子殿下に間違いないが、その無垢さを守ろうと彼女の知らないところで色々と手を回してきたマリエールとイヴェットにもその責任は少なからずある。ロゼトワールがそうである以上、マリエールとイヴェットは今まで以上に気を張らなければいけないのに、脱力させるようなことを早々にしないでほしい。ここは、ガチガチに守られた王太子宮の中にある王太子妃宮ではないのだから。
王太子の婚約者として理解してる。大丈夫。頑張るとロゼトワールは、宣言しているが、多分きっと全然これっぽちも理解していないし、大丈夫ではないのだろう。頑張っても出来ないことはあるのだ。
アシルもそこはきちんと分かっていて、ロゼトワールの頑張りはまるで見当外れなことだと思っているが、そもそも何かを頑張るロゼトワールの姿がかわいいので観賞用に放っているだけだ。ただ、そのことでロゼトワールの身に何か起これば、周囲に対してキレ散らかすことは間違いない。ロゼトワールに対してのみ異常に甘い男は、周りに対しては一切の温情がない。普通に死人が出る。もっとも、マリエールとイヴェットだって、ロゼトワールに危害を加える輩に遠慮するつもりはまるでないので、ロゼトワールに何かあればマリエールとイヴェットの周りでも普通に死人が出るだろう。暗器や毒の仕込みには余念がない。
特別貴族科は高位貴族ばかりで顔見知りであるとはいえ、それは安心材料にはならない。高位貴族だからこそ、本心――野心を上手く隠して、その時を狡猾に虎視眈々と狙う者も多い。そんな巣窟に飛び込んで来た男爵子女も当然油断ならない相手だ。益がなければ何もわざわざ格差社会があからさまな場所に来ることは選ばないだろう。少なくとも注目度で言えば、アシルやロゼトワールすら抜いているかもしれない。下位貴族がより上位を目指すには、良くも悪くもまずは目立ち、認知されなければ始まらない。
元庶子の男爵子女が特別貴族科に入学。
このインパクトは他の誰よりも大きい。
ロゼトワール以外の生徒は、おそらく彼女のことを調べ上げているだろう。そして、その結果、爵位は高くとも、経済的にあまり余裕のはない家の子息であれば、彼女の持参金を目当てに近づく者も出てくるだろう。彼女の家は、それほどまでに裕福な家だった。よくそれだけの財産を今まで隠していたものだと感心するほど。
そのことがまた一層、ロゼトワールの周りの緊張を高めていた。
ルシンダが、レッキー男爵家がどこまで成り上がろうとしているのか――。