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 いつも通り迎えに来た馬車で王宮に到着したロゼトワールは、いつも通り王太子宮のアシルの元に顔を出した。ほんの少しだけ緊張する。ふぅっ、と小さく息を吐いたロゼトワールは、小さくドアをノックした。応えの声にゆっくりとドアを開ける。

「ヴィーは遠慮せず入ってきていいんだよ」

 柔らかな声と笑み。爽やかな朝の光が似合う笑みを浮かべた麗しの王太子殿下は、物語の男主人公に相応しい品格を持っている。

(やっぱり、シャル以上に、ヒーローに相応しい人はいないわ)

 絵になる姿に、ロゼトワールはますます確信を強めていった。

「ヴィー?」

 どうしたのか、とアシルに声を掛けられて、ロゼトワールは空想の世界から戻ってくる。

「えっと。あのね、シャルに聞きたいことがあるの」

「ああ。なんだ」

「入学者名簿のことなんだけど。昨日、お父様に確認したら、手続きのことも含めて、全部シャルに任せてるって聞いて」

「あ、ああ。ヴィーは俺の婚約者として準王族扱いだからな。こちらでまとめて手続きした方が効率的だ」

「ええ。でも、いつもシャルには迷惑をかけて申し訳ないわ」

「俺が好きでやっていることだから気にすることはない」

 抱き寄せたロゼトワールのこめかみにアシルが口付ける。どこからどう見てもロゼトワールこそが王子様に溺愛されるヒロインなのだが、当の本人にとって、これはいつものアシルの挨拶だと思っている。少しスキンシップが過剰で恥ずかしいとも思うのだけれど、普段完璧な王太子殿下として振る舞うアシルにだって、こうして誰かに甘えたいと思うこともあるのだと思っている。

(でも、ルシンダさんと出会って、真実の愛を知れば、シャルの人には言えない辛さや悩みも解決するのよね。ヒロインの力は絶対なのよ!)

 ヒロインの不思議な魅力に惹かれたヒーローは、その地位や容姿を原因とする苦悩を持っていることが多いけれど、ヒロインと過ごすことによってその苦悩が少しずつ晴れていく。ヒーロにとってヒロインとは、まさに救いの聖女のような存在でもあるのだ。――というのが、ロゼトワールのヒロイン像であり、いつもヒーロー(アシル)の手を煩わせて、仕事を増やしてしまう自分はとてもヒロインとは程遠い存在だと思っている。


「それで、あの、名簿のことなんだけど……それは、やっぱり、レッキー男爵子女のことが気になっている、からわたしには内緒にしていたの?」

「――ああ」

 溜息混じりにアシルは首肯した。名簿のことは忘れていて欲しかったれけれどそういうわけにはいかないらしい。

 出来ることならロゼトワールには何も知らせず事を運びたかったが、今のところレッキー男爵家に目立った動きはなく、これといった証拠は集まっていない。成金貴族は、武器や食糧の密輸を行い、資金を集めることも多く、それを理由に国家反逆罪として処刑できるかと思っていたけれど、今のところレッキー男爵家が他国と密通している様子もない。多額の資金を融通できるような国には元から何人もの密偵を送っていて、動きがあればすぐに察知できるようになっている。レッキー男爵は元々商売人で、その事業が上手くいき、購入した土地から温泉が発掘されて保養地として栄えたり、鉱山から質の良い金や宝石が採掘できることで富を増やしたという表に出ている経緯しか掴めていない。

「モンタニエ侯爵令嬢とペシャラ辺境伯令嬢からも聞いていると思うが、レッキー男爵の娘には容易に近づくんじゃないぞ」

 アシルから釘を刺されたことで、ロゼトワールはますます確信を深めた。

 ヒーローは悪役令嬢からヒロインを守るために、悪役令嬢を遠ざけようとすることもまた物語の定石だった。

(やっぱり、シャルはルシンダさんのことを――!)

 全力で間違った確信を得たロゼトワールはにっこりと笑った。

「ええ、もちろん。分かっているわ。だってわたしは、シャルの婚約者(悪役令嬢)だもの!」

 ヒーローの前ではそう答えながら、こっそり意地悪するのがヒーローの婚約者(悪役令嬢)の仕事だ。まっかせて! とロゼトワールは大きく大きな胸を張った。

「分かっているなら、いいんだが――」

 危機感とは無縁のロゼトワールがどこまでルシンダを避けられるかは不安が残る。そもそも、こうした策謀的なことにとことん弱いロゼトワールが本当に分かっているのかは怪しいところだ。

 怪しいどころか、アシルとルシンダをくっつけようとロゼトワールが一人奮闘を始めていることを、アシルはまだ知らない。


(まあ、何が相手だろうと傷つけるつもりはないんだが)


 絹糸のように滑らかで柔らかな髪を一房救い、アシルはロゼトワールに甘く囁く。

「しばらく妃教育は休みになるし、今日はここでゆっくりしていけばいい」

 けれど、アシルの甘い囁きはロゼトワールには普通のことで、それだけで顔を赤らめたり、腰砕けになることもなく、ふるふると首を振った。

「ううん。わたしは勉強しないといけないことがあるから、今日はもう帰るわ」

「勉強? もう必要ないだろ」

 幼少期から妃教育を受けているロゼトワールは、一般的な貴族よりも高等教育を受けており、学院への入学に向けて改めて勉強することはない。何よりもともとロゼトワールを城へと呼んでいるのは、妃教育が主目的ではなく、アシルの目の届くところに囲い、かわいい婚約者とイチャイチャしたいだけだ。

「入学まであまり日もないし、シャルの婚約者(悪役令嬢)としてしっかりお役目を果たさないといけないもの」

 すぐに帰してしまうのはアシルとしては面白くはなかったが、婚約者のためにと張り切るロゼトワールがかわいかったので、たまにはいいかとアシルは頷いた。

「俺のヴィーは頑張り屋さんでかわいいな」

「シャルのためだもの。わたし、頑張るわね!」

 そうして、そのまま部屋から出ていこうとしたロゼトワールは、扉を閉める前に顔を覗かせて、最後にかわいらしい笑みを浮かべた顔で手を振った。あまりのかわいらしさに、アシルも釣られて手を上げて応えた。


 パタリ、と扉が閉まり、ロゼトワールが離れたことを確認したアシルは、「ハアァーーーぁぁあ」と大きく息を吐き出して両手で顔を覆った。

「何だあれ。かわいすぎるんだが。天使か? 妖精か?」

「天使でも妖精でもなく貴方の婚約者のフルベール侯爵令嬢ですね」

 冷静に返すのはアシルの補佐官として仕えるリオネルだ。

「は? お前にはあのかわいすぎるヴィーがただの侯爵令嬢に見えると言うのか?! お前の目は節穴か?!」

 クワリッ! とアシルはリオネルを睨むが、リオネルは気にした素振りも見せずに「それより、こちらの処理をお願いします」と案件の束を差し出す。ロゼトワールの話題に関しては流すことが一番の対処方法だ。下手に肯定してしまえば、

「お前――俺のヴィーをそんな目で見ているのか」

 と剣を抜いてくる面倒くさい男がアシル・シャルル・エクトル・フォルタンという男だった。ロゼトワールに好意的な反応を見せるものは徹底的に見境なく潰しにかかる。どうしろと。

 ロゼトワールの前で残忍な姿を見せることはないだろうが、何せ彼女は王太子の前にしか姿を表さない幻の妖精。ロゼトワールはアシルの婚約者となった五歳の頃からずっとアシルが参加する茶会や舞踏会にしか参加せず、その間はアシルが付きっきりでエスコートし、どうしてもアシルが場を離れる時も、リオネルやフィルマンという王太子の側近とその婚約者が鉄壁となり、話しかけることもままならない月夜の妖精。そんな彼女が、学院という同じ空間で生活することになるのだから、男子学生の注目を集めることになるだろう。ロゼトワールが王太子に寵愛されている絶対不可侵の存在だと理解していても、全く思慕するなというのは無理な話だろう。無理な話だろうが、心の隅でも他の男がロゼトワールに思いを寄せることを許せないのがアシル・シャルル・エクトル・フォルタンだ。これのどこが心の広い出来た王子だと言うのか。ロゼトワールに対するアシルの調教が完璧すぎてリオネルは時々恐ろしくなる。

(――死人が出なければいいんですが)

 何人の学生が無事に生きて卒業できるのかとリオネルはこれから始まる学院生活を思ってひっそりと溜息を吐いた。


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