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 運命的な恋の物語を満足して読み終えたロゼトワールは、ふと、あることに気が付いた。

「そういえば、ルシンダさんの愛称も、ルーシーではないかしら?」

 ルシンダ・レッキー男爵子女。謎に包まれた神秘的な男爵家の少女として、今ロゼトワールの中で一番興味を抱いている存在だ。

 元庶子でありながら、特別貴族科へ入学を許可された特別な少女。

 そして、自分は――。

「あら。まあ。まあ。どうしましょう」

 突如気が付いた事実に、ロゼトワールは驚きに、口元を覆った。


「わたし、悪役令嬢だったのね!」


 悪役令嬢、とは、最近特に下位貴族や庶民の女子に人気のある恋愛物語によく出てくる、ヒロインとヒーローの間に立ちはだかる令嬢を指す。その多くはヒーロー役の王子や高位貴族の令息の婚約者という立場の令嬢が務める。

 ロゼトワールは、ルーシーの物語の悪役令嬢と違い、侯爵令嬢ではあるが、幼い頃から王太子の婚約者であるから、悪役令嬢としての地位は問題ないだろう。

 どうしましょう、と困惑した声を出しながら、ロゼトワールの瞳はきらきらと輝いていた。


 たくさんの物語を読んできたロゼトワールだが、彼女の手にする本には残酷な描写はなく、優しいものだ。そうしたものが彼女の手に渡ることの無いようにアシルが目を光らせている。彼女付きとして屋敷で働く侍女や従僕は王太子殿下の『お墨付き』として選抜された者ばかりだ。詰まるところ、自宅で彼女が見聞きするもの、手にするもの全てが王太子殿下の耳に届く仕組みになっている。彼女の教育に悪いものを見逃しでもすれば、過保護な婚約者が黙ってはいないだろう。天使や妖精のように無垢な侯爵令嬢に不要なものが入り込まないよう側仕え達は常に神経をとがらせている。

 そうであるから、悪役令嬢、と言う言葉は知っていても、ロゼトワールの手元にある本ではヒロインの言動を貴族らしくないと注意をしたり、嫌味を言ったりするもので、暴力的なシーンはなく、あったとしてもせいぜいドレスの裾を踏んだり、グラスの中身を掛けるくらいのものだ。その程度の悪事しか働かない悪役令嬢だからか、悪役とされた令嬢も残酷な運命を辿る描写はない。

 そんな優しい世界しか知らないロゼトワールにとって、悪役令嬢とは、ヒロインとヒーローの愛を確かにする、「真実の愛」の番人だった。

 アシルはロゼトワールのためにヒロインがヒーローに愛されて幸せになる話ばかりを厳選して贈ってきたが、それも全てヒロイン(ロゼトワール)はヒーロー(アシル)に溺愛される運命なのだと刷り込ませるためだったのだが、まさか自身を悪役令嬢に見立てるとは流石のアシルも想像できなかったらしい。


「このために、シャルはわたしを婚約者にしていたのね!」


 未来の王妃様よりも、王子の愛を助ける、真実の愛の番人たる悪役令嬢の方が自分には合っている気がする。

 そう思うと、ロゼトワールは一気にそんな気がしてきた。

 ロゼトワールは、身分こそ侯爵令嬢という高位貴族の令嬢であるという自覚はあるが、自身が王太子の婚約者に相応しい才覚があるとは思っていない。

 だから、自分が王太子の婚約者に選ばれたのは、「都合が良かった」からだろうと思っていた。

 フロベール家は古くから、王家に忠誠を誓う家でありながら、要職を世襲するような家柄ではないからか特定の政敵を持たない平凡な家だ。

 王太子がいつまでも、婚約者を定めなければ、貴族間の権力争いが活発となり、国政が乱れる原因になる。それを抑えるための「お飾り」の婚約者として選ばれた。とロゼトワール自身は思っている。

 お飾りには思えない待遇をされているロゼトワールだが、そこは、完璧な王太子殿下のことだから、完璧な演技で周りに婚約者との仲が良好であることを見せつけ、付け入る隙を与えないようにしているのだろう。

 人払いがされた場所でもロゼトワールにアシルがデロ甘で、なんならギリギリ一線越えない程度に手を出されているのだが、それに関しては妃教育の一環だと信じて疑っていない。

(こんなわたしにも優しくしてくれるなんて、シャルは本当に理想の優しい王子様そのものね)

 ロゼトワールの前では徹底的に甘く優しい王子様の顔を見せているアシルの姿が、ロゼトワールにとってはアシルの全ての姿だ。優しいのはロゼトワールにのみということを、ロゼトワールだけが知らない。


 あのお茶会の席で、親しい友人もなく、一人ぽつんと手持ち無沙汰に座っていたロゼトワールに、気さくに声をかけてきてくれた優しい王子様。

 最初は王太子殿下ということで緊張もしていたけれど、いつも優しく、ロゼトワールの歩調に合せて接してくれるアシルのおかげで、今ではすっかり打ち解けることができた。

 婚約者になって、妃教育が始まると聞かされたときは、どれだけ厳しく辛い授業が待っているのかと思ったけれど、講師は優しく、礼儀作法やダンスといったマナーレッスンはアシルと一緒だったから、辛いことはなかった。

 優秀なアシルがロゼトワールと同じ講義を受けるのは、ロゼトワールを心配するアシルの優しさによるものかと思ったけれど、それだけではなかったのだ。

「それもこれも、全てルシンダさんのためだったのね」

 ロゼトワールがアシルのことを知らなければ、そのことをルシンダに教えることはできない。

 ああ、なんて素敵な真実の恋かしら、とロゼトワールは自身の妄想にうっとりとする。智謀策謀といったことにはからっきしだが、ヒロインに都合のいい恋愛物語ばかり読んできたせいか、夢見る妄想力だけは逞しかった。


 社交界に不慣れな彼女のために、まずはロゼトワールがその講義を身に付ける。そうして妃教育を受けたロゼトワールが、王太子の婚約者として少しずつルシンダにそれを教えていく。王太子殿下の婚約者に目を付けられたと彼女は不安に思うだろうが、おっとりとしたロゼトワールの指導であれば、きっと不慣れなルシンダでも付いていくことができるだろう。そうして、少しずつ、無理のない範囲で、王太子殿下の隣りに立つ淑女としての教養を身につけていくのだ。

(なんて完璧な作戦なのかしら。さすがはシャルね)

 相変わらず手際良く物事を進めることのできるアシルの慧眼に、ロゼトワールは感服する。

 今のロゼトワールには、全てが全てが、アシルとルシンダのために用意された世界に見えていた。

 ロゼトワールは、自身のことをヒロインとヒーローの仲を進展させる悪役令嬢だと思っているが、そもそも、物語の王子と悪役令嬢の仲はあまり良くないのが定石だ。加えて、悪役令嬢は高位貴族令嬢としての傲慢さが見られる令嬢として描かれることが多い。お人好しで腹芸のできない素直なロゼトワールとはまるで似ていないが、ロゼトワールには関係なかった。王太子殿下の婚約者、という立場だけで彼女の中の悪役令嬢としての条件は充分だったのだ。


「ああ。すごいわ。この物語のような恋物語が身近で見られるなんて、夢みたい」


 突如現れた神秘的な元平民の少女と煌めく王太子殿下が紡ぐ真実の愛の物語の妄想がロゼトワールの中でどんどんと現実のものとして頭の中で展開されている。

 実際にはアシルとルシンダは出会ってすらいないし、何ならアシルはルシンダの家がロゼトワールに危害を加えるかもしれないと警戒を強めているところだが、そんなことはロゼトワールの与り知らぬことだ。彼女の世界には危ないことなど何一つないのだ。彼女の世界は夢や希望といった素敵なもので出来ている。

 大切な人の一人であるアシルに訪れた運命の恋は、ロゼトワールの世界の中で何よりも心躍るものだった。

 仮初の婚約者にも真摯に接してくれる、優しく真面目な頼りになる「友人」の役に立つ日が遂に来たのだと、ロゼトワールは爛々としていた。


「シャルとルシンダさんの恋がちゃんと実るように、しっかりお役目を果たさなければいけないわね!」


 そう、ロゼトワールはアシルに知られれば、監禁まっしぐらの思考に陥っていた。

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