(11)
いつものように、王太子殿下に抱きかかえられるようにして自宅に戻ったロゼトワールは、帰宅した父親にさっそく尋ねた。
「お父様。学院に入学される方の名簿が届いているそうなのですが、ご存知ありません?」
おっとりと首を傾げて尋ねる娘に、フルベール侯爵は、何のことかと少しだけ考えて、「ああ」と頷いた。
「お前の手続きは殿下がまとめてしてくださっているから、そうした書類も殿下の元に届いていると思うよ」
「あら、そうだったのですね」
「王太子殿下の婚約者であるお前は準王族扱いだからね。特別な手続きもあるからと、殿下がそう申し出てくださったんだ」
「まあ。何から何までシャルには迷惑をかけていたのね」
「殿下はお前と同じ年なのに、随分としっかりとされてらっしゃるからね。お前ももう少ししっかりして、あまり殿下に迷惑をかけないようにするんだよ」
「それを言うならば、王太子殿下のシャルに入学の手続きを任せていらっしゃるお父様だって、人のこと言えないわ」
お相子ですわ、と小さく唇を尖らせる娘に、「それもそうだなぁ」とフルベール侯爵もおっとりと笑った。
穏健派の代表と言われるフルベール侯爵も、娘のロゼトワールと同じようにどこかおっとりとしたお人好しな人物だった。王太子殿下からの申し入れも、下心のない純粋な親切心からだと思っている。
こんなに人を疑わない性格で、大丈夫かと心配になる領主だが、お人好しな主人を守らなければ! と思う家令を始めとした家人にはしっかりとした者が多く、当主が騙されそうになった投資詐欺等の多くは彼等のおかげで未然に防がれている。当主になった者もほとんどが、自身に足りないところを自覚し、周りの話を聞き入れることができる者ばかりだったこともあり、大きな問題は起きていない。そして領民を思いやることのできる優しい領主様は領民にも慕われ、フロベール領は、家とそして領地全体で領主を支える形で栄えてきた。侯爵の脇を固めるしっかりものの面々は「例え少し抜けているところがあっても、そこがご当主様のいいところなんです!」という者ばかりなので、ロゼトワールがアシルに気に入られるのもそういう血筋だったからなのかもしれない。
(名簿のことは明日シャルに聞いてみましょう)
そう思いながら、部屋に戻ったロゼトワールは、本棚に並べられた本の中から一冊を取り出した。
元々部屋の中で大人しく過ごすことを好んでいたロゼトワールの趣味の一つが読書だったこともあり、彼女個人の蔵書は相当なものだ。アシルと婚約してからは、妃教育の一環として、多言語の習得も必要となり、より外国語に馴染みやすいようにと、各国の本がアシルから差し入れられた。楽しんで勉強して欲しいからと、用意されたのは絵本や童話といった易しい本だ。
その中からまだ読んだことのなかった本を取り出して、寝るまでの夜の一時を過ごす。専門知識を必要とする学術書の類は、さすがに辞書がなければ完全には読めないが、簡単な物語であれば、難なく読むことができる。
その日彼女が手に取ったのは、孤児院で育った少女が、王子に見初められて幸せになる成功物語だった。
孤児だった少女が、王家に嫁ぐなんて現実にはあり得ないからか、実はその少女には王家の血が流れていることが後に判明する、という夢のような設定まで付いていた。
その物語のヒロインはルーシーと名付けられた少女。生まれて間もない時に、教会の前に置かれていた捨て子だ。
教会に併設された孤児院で、神父やシスターから清廉な精神を育む教育を受けて育ったルーシーは、心優しく清らかな見習いシスターとして少女時代を過ごしていた。
彼女は、平民の生まれ(教会には、産んだ子供を育てることの出来ない貧民の親が我が子を預けることが多く、彼女もそうだと思われていた。)にしては、驚くほど整った容姿をしていた。陽に透かせば金色にもなる煌めく亜麻色の髪に、甘い蜂蜜を思わせる透明な琥珀色の瞳。白い肌に薄紅に染まる頬や唇。
そんな煌めく容姿に、朗らかな笑みを浮かべる彼女は、いつだって清涼な雰囲気を持っていた。
そしてある日、ひょんなことからお忍びで街に出ていた、王子様と出会ったことから、彼女の運命は加速するように開かれていく。
王子は次第に心優しく清らかな乙女に心惹かれていく。
けれど、彼には幼い頃から公爵令嬢の婚約者がいた。
王子が平民の娘に心を傾けていることを知った公爵令嬢は、王子とルーシーの前に立ち塞がり、平民出のルーシーに王子の隣は相応しくないと様々な苦難を与えていく。
そして、ルーシーは自身の努力と、それまで心を配ってきた人々、そして王子様の協力の元、その苦難を一つ一つ乗り越えながら成長していく。そうして同じ時を過ごすたびに、ルーシーと王子の絆はますます深まっていく。
そんな中でルーシーが実は王子の「はとこ」にあたる王家の血筋だということが判明する。
ルーシーの祖母が実は王子の祖父、先王の末の妹姫だったのだ。妹姫はかつて同盟国へ嫁ぎ、そこで王女、ルーシーの母を生んだ。
けれど、幸せな時はいつまでも続かなかった。
ルーシーの母が婚儀を迎えた頃に、同盟国にはひたひたと戦乱の渦がせまっていた。そして、いよいよ戦争の火蓋が切って落とされた時、彼女のお腹の中には、ルーシーがいた。
戦火が広がる中、王家の血を根絶やしにせんとする賊から自身と、何よりお腹の子、ルーシーを守るために、ルーシーの母は母の母国に亡命せんとした。
けれど、戦乱の中では祖国との連絡も上手くいかず、祖国からの救援が来る前に、彼女はルーシーを産み落とすと、逃亡生活の無理がたたったのか、
「この子だけでも、どうか、祖国へ逃がして」
と、生まれたばかりの我が子を信頼の置ける侍女へ託して儚くなった。
そのまま、祖国の王家へと彼女を連れていければよかったのだが、彼女が王家の血を引くものであるという証は何一つ残されていない。王族を騙る者だと判じられれば、処断されるおそれがある。
それを恐れた侍女は、ルーシーを祖国の教会へ預けることを選んだのだった。彼女が王族だと知られれば身の危険があるだろうと思い、その出自を秘匿したまま。
身一つで預けられたルーシーには、その出自を証明するものは何一つない。
けれど、彼女を見た国王陛下が、ルーシーが先王妹殿下の孫娘で間違いないと判じた。
ルーシーを初めて見た時に国王は、「ティア姉上」と呟いたのだ。
ティア、とは国王が幼い頃、姉と慕っていた叔母、同盟国へと嫁いだ先王の妹姫、セレスティア王女のことだった。セレスティア王女は琥珀色の髪と瞳が特徴的な美姫だった。
そんなセレスティア王女と髪の色こそ違えど、ルーシーの容貌は瓜二つだったのだ。
それが決定的な証拠として、王国と同盟国の王家の血筋であると認められたルーシーは王家に喜んで迎えられ、王子様と結婚し幸せに暮らしたのでした。
――という、夢と希望と愛に満ち溢れた話だった。
王子の婚約者だった公爵令嬢が途中からいなくなってしまったが、それはルーシーと王子の奇跡的な恋物語の前では些末な問題だったようで、ロゼトワールは特に気にならなかった。