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夢遊病  作者: 京理義高
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9.心理学教授の推理小説論

推理小説の情報はネット関連資料を参考に書かせて頂きました。

まるまる移している部分もあります。


 翌日、嫌な夢を見て起きた義高は大学に向かった。昇は武本がよく学校のパソコンを使ってインターネットをしていることを言っていた。


 どの学部も上半期のテストを終えて、夏休みに入っていた。サークル活動に専念している生徒を除いて、人気はなかった。広い校内を貸し切にしたような錯覚に陥った。


 出入り門を通ると、着ていたTシャツは汗まみれになり、真っ先に近くの本館に入った。クーラーが効いていて、義高は生き返った気持ちになった。

 

 義高のいる本館からパソコンが置いてある第七号館までの道のりは、まず中央の廊下をまっすぐ中央広場まで進んで、そこを通って途中左に曲がり、第五号館を通り、またそこを出てすぐに第七号館へと続く。他に、建物を通らず、出入り門から外の道を通って行けないこともない。


 パソコン室は二つあり、講義で使用したり、たまに空き時間をそこで潰すこともあった。インターネットは常に可動していて、自分のパスワードさえあればいつでも使える。


 第七号館は静寂に包まれていた。パソコン室を覗いてみたが、誰もいなかった。もう一つの部屋も同じ結果だった。どちらもクーラーだけが付いた状態でもったいないと思った。


 期待はしていなかったので落胆はなかった。義高はしばらくパソコンをいじって時間を潰した。大学のホームページを開いてみると、自分は通っているにも関らず知らなかったことが多かった。自分自身、大学に興味がなかったことを再確認した。

 

 昼時に来てからもう午後四時になっていた。閉館は五時半だから、今日は来ないだろうと考え、もう一つのパソコン室にもいないことを確認すると義高は第七号館を後にした。


 義高が捜査を始めてからまだ時間は浅いものの、このペースでずっと続くのではないかと考えた。なに一つ手がかりもないままで、いずれはあきらめて普段の生活に戻ることになる。しかも、ケンジがもし、いんちき探偵であればなおさら真実を探りあてる可能性は薄れる。義高の心が読める能力はこういう時に旨く機能しない。せめて手がかりになるようなものを関係者から読み出すことが出来れば……


 中央広場のベンチに座って煙草に火をつけた。夕日も落ちてきて、それが夜へと変化しつつあるのがわかった。熱気はだいぶ和らいできた。


 遠くから誰か義高の方に向かって来た。暗かったので顔を確認することは出来なかった。


 義高はわかるまで顔を凝視するのは失礼かと思い、違う方向を向いた。少なくとも武本ではない。今は彼以外の人物を発見したところで何も得することはないと決め付けていた。


 向かってきた人物は義高の近くで足を止めた。


「あれ、義高君ではないか。大学に用でもあったのかね?」


目をあげると、そこには江崎教授がいた。年の割には強い眼光をもっていて、表情は逆に温厚でやさしい。茶色のスーツで手持ちバックを持っていた。


「いえ、ちょっと立ち寄っただけで、もう帰ろうと思いまして」


「そうか。私は今出張から帰ってきたところなんだよ。よければ私の部屋で話でもしないか?」


「いいんですか?」


 もちろんと江崎教授は言った。いくら自分が好んで出席している講義とは言え、実際江崎教授と話しをした回数は数える程だった。教授から誘われるのは初めてだった。小、中学校とは違って、大学というものは教師と生徒にいかんともし難い距離があった。教授達は生徒達の一人一人の顔と名前を把握していることは皆無だし、出席しない生徒は放っておかれた。もちろん、義高が自分で思っていることではあるし、そこには年の差異があり、自分で選択する自由をもつ年齢であり、担任の先生が存在しない等の要素もあった。義高が大学に入学して、教授と呼ばれる人物とまともに会話した経験がなかったので、これから会話するんだと思うと不思議な感じがした。


 広さにしてワンルームアパートくらいで、江崎教授の部屋は他の教授と比べ整頓されていた。研究の資料が少ないというわけではなく、旨く収納を生かしているのだ。バックから取り出した資料も直ぐに片付けた。江崎教授は椅子に座りなさいと言うと、スーツを脱いでコーヒーを入れた。


「職業病とでも言うのか、わたしにとって長い間この部屋で過ごすので自分の家みたいになっているよ」


「今日はまだ仕事していくんですか」


「少しね。出張先で会議を行ったので、それをまとめなくてはならない」


 邪魔してしまったみたいで義高は恐縮した。江崎教授はいいんだよと言った。


「心理学の研究をしているとね、昨日まで赤の他人だった人と合って、挨拶をしたぐらいから、この人はこれこれこういう人間だろうと仮定してしまうんだよ。第一印象でね。まあ、これは誰でも共通だと言えるけど、そこからさらに分析して会話の内容を組み立てる。円滑に話を進める時には大切なことなんだ。統計から見ると、仮定が確定になることが多い。でも、たまに私の仮定を裏切って、相手が予想外のパーソナリティーを持っていることわかった時は、読みが外れてしまったと悲願するより、意外性に驚き話をしていて喜びさえわいてくる。今回の出張にもそういう人がいて嬉しかったな」


「教授の仮定とはもちろん研究で得た知識の産物ですよね?」


 微笑ながら頷いた。


「もちろんだよ」


 義高は江崎教授に読心能力のことを打ち明けた。まるで隠していることが面倒くさくなって、あるいはお金をつまれて目が眩み、秘密情報を提供してしまうかのようだった。自然の流れと言ったほうが正しいかもしれない。


 教授は心理学のプロであり、あらゆる心理パターンを知っている。義高の読心能力は思い込みであると言われ、それを説明する内容も的確だった。


「常に人の心が読めるのではなく、ある時期突然この人はこう口で言ってはいるが、実は違うことを考えていると感じる。疑いが思い込みを凌駕してしまって、結果的に自分は目の前にいる人の心が手に取るようにわかると錯覚するんだろう。例を挙げると読心術は占い師や宗教などにけっこう用いられていることなんだ。しかし、信憑性はない。完全に心を読んでしまうわけでもなく、相談内容から読み取りただ抽象的な表現を用いて相手に言い当てられたと思い込ませるのだよ。彼らは心理学に精通しているとも言われているから、要は知識の上で成り立っているんだ。もちろんそこには長い間人間と接してきた経験を生かしていることも多い」


「確かに、ぼくにはそういう思い込みが見えていないかもしれません」


「一概にもそうとも言い切れないけどね。思い込みによることが多いということだよ」


「ぼくは、相手の心が読めると言っても、漠然と相手の言っていることが本当か嘘かを判断しているに過ぎないんです」


「本当か嘘かがわかり、事実見当違いであったことがない」


「はい。頻度は少ないですか」


 正直、義高は自分の読心についてわかりやすく表現する手段を持っていなかった。自分以外の他人に打ち明ける機会が絶対的に不足していた。それでも義高の迷いは断たれた。否、だいぶ晴れてはいた。幼児体験のトラウマがあるのであれば、義高はただ単に初めて両親の心を読んだ気でいたことを今でも引きずって思い込んでいるだけなのかもしれない。物心がつく前に浮気という行為を的確に捉えていたことは、江崎教授に説明する過程になかった。


 その後、たて続けに、自分が昇の事を調査している話をした。思ったとおり、それを否定しないで、励ます言葉が返ってきた。


「私は犯罪捜査には詳しくないが、興味はあって資料は見ているよ。推理小説も良く読んでいる」


 なんだか自分より菅野を連れてくれば喜びそうだと思ったが、江崎教授と話をしているだけで心の蟠りが紛れたので、推理小説の歴史や意見について質問した。


「推理小説は〈なぞを論理によって解明する操作をおもな筋とする小説〉というのが、妥当な定義であろうが、今日の現実を眺めると、これでは十分に包括しつくしているとはいえないね。さらに推理小説という語自体、その意味するものが昔と現在では違っているし、この語と他の類似の語、例えば探偵小説、ミステリー小説、犯罪小説との関係も、時代によって変わってきたんだ」


「推理小説というのは一つではないんですね。それぞれの違いってあるんですか?」


「探偵小説はすでに明治時代から用いられたんだ。探偵小説の定義としては、例えばD・L・ セーヤーズの〈犯罪とその捜査を取り扱った小説のうち、なぞの設定とその解決が、もっぱら論理的操作によってのみ行われるもの〉という手本がある。しかし、当時からこの種の作品を本格的探偵小説と呼び、探偵小説はもっと広いもの、例えば論理的操作がほとんど欠けている小説やもっぱら行動とスリルだけの小説、あるいは、プロとアマを問わず探偵が登場するすべての小説などをも含むと考える立場があったんだよ。

第二次世界大戦前の日本においては、探偵小説の語がほぼ独占的に用いられ、推理小説の語はほとんど見られなかった。しかし十九世紀においてアメリカの作家 エドガー・ア・ポーは、すなわち直訳して推理、この場合は短編小説という語をすでに用いている。これはセーヤーズの定義よりももっと狭いもの、純粋の推理作用による解決を扱った物語で、犯罪が関係しないパズルや暗号解読なども含む。したがって推理小説という概念はきわめて狭いものながら以前から存在したのであるが、イギリス、アメリカでも日本でもあまり一般には知られていなかった」


「日本で推理小説が出来たのは、今江崎教授の言われた歴史よりも遅いんですか?」


「日本で推理小説という語が一般化したのは、第二次世界大戦後のことなんだ。まず、木々高太郎の提唱があった。より広い内容をもつものとして新たに推理小説という語を持ち出した。木々の定義によると、これは〈推理と思索を基調とした小説〉で、探偵小説、怪奇小説、スリラー、考証小説、心理小説、思想小説などすべてを含むものであった」


「では、それらの原型となる作品はあるんですか?」 


「なぞ解きを扱った文学作品といえば、古くは旧約聖書にまでさかのぼることができるが、一般に推理小説の起源と考えられているのは、イギリスで十八世紀後半に流行した〈ゴシック・ロマンス〉なんだ。例えば、W・ゴドウィンの《ケーリブ・ウィリアムズ》は殺人事件を一個人が究明し犯人を自白に追いつめる物語がある」


「菅野から聞いたんですけど、エドガーアランポーっていう作家が始めて推理小説を書いたと言っていました」


「そうだね、ポーが発表した短編《モルグ街の殺人》は、彼自身が呼ぶ〈推理小説〉、すなわち本格派探偵小説の起源と呼ぶべき画期的作品なんだ。続く《マリー・ロジェのなぞ》《盗まれた手紙》の全三作で、近代的推理小説のパターンがほとんどすべて実践されてしまった。読者に事実をすべて提供し、探偵(つまり作者)と読者がフェアプレー精神で知恵比べをする。トリックと思いがけぬ解決。ポーはこのほかに暗号解読の物語《黄金虫》、意外などんでん返しの《お前が犯人だ》、合計五つの短編を発表したが、長編は一つも書かなかったんだ」


「その後に、ぼくでも知っているシャーロックホームズシリーズが出てくるんですね?」


「そうだね。コナン・ドイルの〈シャーロック・ホームズ〉シリーズの花が開くこととなる。この名素人探偵が初登場するのは長編《緋色の研究》だが、ポーのアイデアをドイルはかなり借用している。しかしホームズ・シリーズが世界推理小説史上不滅の地位を今日なお占めているのは、創始者ポーのやらなかった新機軸を出したからなんだ。語り手のワトソンに、ポーの場合見られなかった人間味を添えたこと、なぞ解きの興味だけでなく、時代の風俗や冒険的興味、などである。以後ホームズの後継者、今日に至るまで後を絶たず、推理小説の一つの定型が確立されたのである。第一次世界大戦後のイギリス、アメリカで推理小説の黄金時代が築かれた。一九二〇年にアガサ・ クリスティの処女作《スタイルズ荘の怪事件》と、F・W・ クロフツの処女作《伍》がともに発表されたのが、その幕開きである。クリスティは以後アマチュア探偵ポアロを主人公とした、パズルとトリックに重点を置いた(そのため現実性が希薄と批判されることもある)推理小説を半世紀以上も書き続けた。一方、クロフツの作品は、超人的頭脳に恵まれたホームズ、ポアロ型と正反対の、平凡な警察官や素人が、もっぱら足と根気で試行錯誤を繰り返しながら真相に迫るという、より地味だが現実味あふれるものであった。以後の時代の推理小説を大きく二分するなぞ解き型と現実型の典型例というべきであろう」


「なぞ解き型と現実型の代表作はどのようなものなんですか?」


「なぞ解き型の代表としては、アメリカのバン・ダイン(探偵ファイロ・バンス)、エラリー・クイーン(探偵エラリー・クイーン)、アメリカ生れでイギリスに帰化した J・D・ カー(探偵フェル博士)などがある。この種の小説の作者には主人公たる探偵と同じようなアマチュアが多いんだ。デュパン以後の素人探偵が、あまりにも人生をゲーム視しすぎ、鼻につくほどの知性やペダンティズムを示すのに不満な現実派は、市井の泥沼で手足を汚すことを迫られる現職警官や素人探偵を主人公に置くようになる。とくに社会不安が深刻になってきた一九三〇年代から、タフな神経と肉体を持つ一匹狼が巨大な社会組織に立ち向かうという、いわゆる〈ハードボイルド〉小説、例えば ダジール. ハメット、レイモンド・ チャンドラー、ロス・マクドナルドなど、アメリカ独特の作家の作品が広く世界中で歓迎され、同傾向の作家が各国に出現した。この種の小説の特色は、感情におぼれない、とくに女性の魅力に動かされない男の強烈な個性と、心理より行動に重点を置く簡潔な口語的文体である」


「現実型の代表は?」


「現実型の代表としてのエミール・ガボリオの《ルコック探偵》ほか同じ探偵を主人公とする諸作、密室殺人の古典的傑作であるガストン・ルルーの《黄色い部屋》、本格推理小説とは呼べないが数多くのトリック操作で日本にも有名な モーリス・ルブランの〈アルセーヌ・ルパン〉シリーズなどを生み出している。ジョルジュ・シムノンの〈メグレ警部〉シリーズも忘れることができない。概してフランスの推理小説はなぞ解きパズルよりは,人間心理や物語性,社会・風俗に重点を置いているんだ。まあざっと話すとこうなるよ」


 義高の知っている作家は一部しか話の中に出てこなかったが、江崎教授の個人講義を受けたことはすごく貴重だった。菅野の薀蓄とはやはり違った類の、資料をきちんと把握し、頭の中で整理されたものだった。


「ただ、義高君のやっていることは正義とは限らないよ。時には法に触れて、裁かれているかもしれない。探偵社で働くというのなら安全だが、それだって危険な目にあう事だってある。誰かの恨みを買い、知ってしまうことで現実に絶望するかもしれない。心はいつだって引き締め、身の危険を感じたらすぐに退散すべきだ。逃げることだって勇気。捜査を断ち切ることだって勇気だよ」


「はい、ありがとうございます」


 江崎教授に別れを告げると大学からでた。帰り際、コンビニで六本のビールを買った。気分が高揚していた。少し前の疲れはすっかり消えた。アパートに帰宅すると、すべて飲みきってアルコールが体を侵食した。


 絶対に犯人を見つけて、あの金髪探偵にみとめて貰おうと心に誓った。協力してもらわなくとも、自分一人で解決する。うまくいけば探偵社の社員として雇ってくれるかも知れない。収入なんて生活していければ問題じゃない。就職活動して、やっと内定が決まった会社で興味もない仕事をするのも、退屈な日常生活を送るのも義高には嫌だった。


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登場人物一覧は下記に載せていますので、参考にしてください。
http://plaza.rakuten.co.jp/kyouriyoshi/2001
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