6.美形探偵による面接
隣の部屋から亜紀が男の名前を読んでいた。事務所にはもう一人いたのだ。しかも、亜紀は慣れ親しんだ口調呼び捨てで呼んだ男。--これは何かある。
「なんだよ、眠い」
透き通る低い声だった。ベットから起き上がったのか、スプリングがうねる音がした。
「お客さまが超重要な依頼をしてきたの。早く話しを聞いてあげて」
「超重要? なんだそれ」
「いいから、早く」
亜紀にそう言われると、ケンジは無言で身支度をしていた。アルバイト雇いのことを超重要という表現にされると、滑稽だった。ケンジの命令でドアが閉められた。
それから二十分待たされた。その間、どんな男が現れるのかを考えていた。
ようやく義高のいる部屋へ向かう足音が聞こえた。荒々しく、いかにも不機嫌といったことが伺えた。その様子から、義高は再度緊張した。ドアが開かれた。
「おまたせしました。この人がケンジでここの事務所を統べる探偵よ」
現れたケンジは、現実を忘れさせる風貌だった。ビジュアル系バンド顔負けのサラサラした金髪、長さは後ろ髪が肩にかかるぐらいで中分けにし、髪先には強めのシャギーがかかっていた。細身の体にダークスーツ、グレーのYシャツにノーネクタイ。先細の黒いブーツは綺麗に磨かれていてズボンを中に押し込んでいて、顔はヨーロッパ系人種と日本人のハーフのようで、顔の丸い輪郭とは裏腹に、目鼻立ちがはっきりしていた。肌も透き通るように白い。目の色が黒いことだけが、かろうじて日本人だと思わせる要素だった。とても寝起きの人間には見えない。
慌てて義高は立ち上がり、名前を名乗った。彼の目線は義高より約十センチ上にあった。
「なんだ、男か」
「まあ」
気付くのが遅いので、義高は間抜けな返事をした。なんだはないだろうと思いつつ、ケンジが座るよう促したので従った。
ケンジが義高の話を聞く姿勢になっているのは、亜紀が言った超重要な依頼という言葉が支えているとしか思えなかった。ケンジは椅子に浅く座ると、足を組んだ。信じられない程リラックスしていた。
「で、どんな話があるんだ?」
仕事モードに入ったのか一語一句に威圧感があった。ケンジが本物の探偵なのかと疑問が生まれた。
義高は先ほど亜紀に説明した依頼をケンジに話した。亜紀とは違って、リアクションがなく、旨く伝わっているのかわからなくなる程だった。話終わった後、間をたっぷりおかれて義高は手から汗がにじみ出てきた。
「けっこうあるんだよね」
ケンジの投げやりな口調に義高は体が硬直した。偉そうな態度をとられているにも拘らず、義高は腹を立てる余裕がなかった。
「給料なしで働くって奴に限っていい仕事をしない」
ケンジはポケットから煙草を取り出し、ジッポで火を付けて吸った。
義高は夢中になって懇願していた。はっきり言って、自分がこれだけ必死になって頼み込んでいることに驚いた。もしかしたら探偵への憧れが漠然と自分にあるのかもしれない。
「もういいんじゃない。バイトで雇ってあげれば」
亜紀は義高のことを哀れむように話しに割って入ってきた。
「しょうがないな。じゃ面接をするか」
「面接?」
「普通の面接じゃないけどな」
ケンジは説明もなく立ち上がり、付いて来いと言って外に出た。義高はわけもわからずケンジの後を追った。
太陽光に当たると、ケンジの姿は光っているように見えた。面接とは言っても、探偵だから、早速何かの捜査だと思い、義高の心は躍った。
『美辞麗句探偵事務所』から狭い道路を進むと、直ぐに大通りに出た。わりと車の通りも多く、途中飲食店と中小企業のビルが数件立ち並び、十時路にある信号を渡った。そのまま直進すると駅前に出た。歩いている最中、何度もすれ違った女が義高の方を見ていたので、自意識過剰な性格から目をそらしてしまったが、実はケンジの方を見ていたことに気付いて義高は悲しくなっていた。
駅内から電車を降りた人たちがわき出てきた。その様子を気にするわけでもなくケンジは立ち止まった。何人かは通行の邪魔だったので怪訝な顔をしながら彼を避けた。彼がその中の一人を睨み返すと、相手は下を向いて足早に立ち去った。義高は、これではただのヤンキーと変わらないなと思い苦笑いした。
「ここでいいか」
ケンジは周りを見渡しながらそう言った。
「なにをするんですか?」
「ナンパ」
「な、ナンパ? をするんですか?」
ナンパとアルバイトの面接の関係性がまったく理解できなかった。遊びで来ているわけでもない。否、ケンジという男にとっては それも遊びに過ぎないのではないか。
「そうだ。とぼけた顔するな。誰も寄ってこなくなるぞ」
「はあ」
「試験ナンパとも言う。これは始めて会った人にいかに接して、話を聞いてもらうか。そしてこっちのペースで話を進めて、相手の心情を聞き出すか。遊びじゃないからな。交渉能力を試すためにやってもらう。探偵にとって重要なのは事件を推理するよりもまず、証拠をいかにして的確に掴むかが重要なんだ」
義高はようやくケンジのやろうとしている意図を理解した。
「お前は人見知りしそうだからおまけしてやる。とりあえず時間は二時間。俺はあっちに見えるファミリーレストランで待っているから、時間内まで連れてくるように」
ケンジが指をさした方向にはジョナサンがあった。
「どんなネタで誘ってもいい。男でも女でも構わない。ただ警察沙汰になるような勧誘の仕方だけはしないように。後で訴えられても、俺は力を貸さない、がんばれ」
肩をポンと叩くとケンジは立ち去ってしまった。
義高は、今までナンパをした経験はなかった。大学ではサークル活動もやっていないし、新入生を勧誘することに対しても自身がなかった。ケンジの言うとおり、義高は重度の人見知り体質で、初対面で、まともに他人と喋ることさえ難しい。しかもナンパなんて一生やらないものだと決め付けていたから、義高は心の中は混乱にまみれた。
立ち尽くすしかなかった。駅からは次々と人が現れては消えていった。放課後、仲間同士でこれから遊びに行く高校生は義高の存在を無視して、ハイテンションで話し合っていた。
どうしたものか。ようやく冷静になってくると、誰を、どのように誘うべきかを思考した。まず、男を誘うのは止めようと決定した。どうみても、ホモか、宗教関係の勧誘、あるいは怪しいぼったくり勧誘と思われるのが落ちだからだ。
かといって、はたして女が自分の誘いに乗ってくるのだろうか。正直外見に自身を持ったことが無い。せめてケンジが近くにいて友達といえば成功率は飛躍的に上がるのだが、ハンディだらけからのスタートだった。
最初に声を掛けた相手は義高のことを旧友だと思っていたらしく、違っていたことを指摘すると直ぐに立ち去っていった。
一時間たって四人に声を掛けた。その中でいかにも遊んでいますといった感じの女に声を掛けた。義高がカッコいい友達がいるからと誘うと、
「うそー、マジでかっこいいの?」
嘘は付いていないと言った。
「どこら辺にいんの?」
と返してきたので、ケンジのいるジョナサンの名前を言うと、女とは思えない剣幕で
「なにそれ、超嘘くさい、ありえない。うざい、ぶっちゃけキモいんだけど」
まくしたてて、義高の全身を軽蔑した視線を投げかけたまま消えていった。そこまで言われると、なにも返す言葉も見つからす、義高の背中から汗がにじみ出た。
成果はまるでなかったが、義高は話しかける勇気が沸いてきた。
それから三十分たった。ペースもあがって五人に声を掛けた。同じように立ち止まって話を聞いてくれる人はいなかった。残り三十分。
あせりが襲ってきた。義高は挙動不審者にならないよう自分をコントロールするのが精一杯だった。
優しそうな女の子が来たので、声を掛けると、目尻に皴を寄せて義高を避けた。ナンパしている義高の姿を見て、茶髪三人集の男たちがそれをさかなに爆笑していた。太陽の熱が容赦なく義高の体力を奪っていった。
残り十五分。
「あの、すいません。近くにファミリーレストランはありませんか?」
義高は三十代位の女の人に聞いた。相手は近くにあることを知っているにもかかわらず、丁寧に場所を教えてくれた。いけるかもしれないと感じた。
「ありがとうございます」
女の人はにっこりとほほえんでいいえと返してきた。ここで話しを終わりにしてはいけない。
「お礼いってすいませんけど、実はぼく目が殆ど見えなくて、さっき盲導犬がここで逃げてしまったんです。直ぐに探したいところなんですけど、ちょっと休憩してから見つけようと思いまして。できればそこまで連れて行ってはくれないでしょうか?」
盲導犬は小さいころから逃げないように訓練されていることも義高はその時知らなかった。
「そうなの。大変ですね」
もう一押しと思った義高は、必死に目が見えないことをアピールした。すると、女の人の表情が柔らかくなった。
「わかりました、では行きましょう」
目が見えないのに杖も持っていなかったこともあり、義高の言っていることが嘘だとわかっていたかもしれないが、女の人は義高の手を引っ張り、レストランまで連れて行った。義高は安堵の気持ちで包まれた。
「着きましたよ」
入り口を手探りで確認する仕草をするなど、細かいところを怠らないよう心がけた。
「本当にすいません。中まで案内してくれませんか?よろしければお礼がしたいので」
今まで快く引き受けていた女の人の表情は曇った。だがここで引くわけにもいかない。義高は一緒に来てもらわないと死んでしまうのと同等の気迫で頼んだ。
結局、女の人は中まで付き合うことに決めていた。クーラーの効いた店内に入ると体が蘇った。
ウェイターがお客様は二名様でよろしいですねと尋ねてきたとき、思わず微笑んでしまった。義高が、待っている人がいるのでと言うと、女の人はえっと声を漏らした。義高はかまわず女の人の手を引いてケンジを探した。
金髪の探偵は、窓際の席に座っていた。目立つから直ぐにわかった。でも、そこにはもう一人女の人がいて、よく見ると亜紀だった。二人は楽しそうに話し合っていた。
義高は抵抗している女の人を無理矢理連れてくる状態で二人の前に立った。ケンジと亜紀は六本木ヒルズの話をしていた。
「ケンジさん連れてきましたよ」
そう言って女の方を向くと、彼女はケンジに見とれていた。抵抗していた力はまったくなくなり、手を離すと微笑んで、ほほが赤らんでいた。漫画のようなリアクションで、義高はまったくどいつもこいつもと、心の中で呟き呆れていた。
「お忙しい中すいません。こいつは俺の友達なんですけど、女好きで、あなたのように奇麗な人を見ると、どんな嘘を使ってでもナンパしようとするんです」
「いやですわ、奇麗だなんて」
ケンジの間違った義高の説明と、女のいやといいながらうれしそうにしている態度に義高は開いた口も塞がらなかった。もうそこにはさっきまで義高と接している時に見せた早く帰りたいという態度はなくなっていた。楽しそうに会話して、適度な時間を見計らってケンジは失礼のないように女の人を帰した。どう見ても名残惜しそうだ。
「義高君、なかなかやるじゃない」
亜紀がほめて、義高は嬉しがる暇も無く、
「時間の掛かりすぎだ。しかも目が見えないなんて反則技使うより、普通に誘えないのかよ」
確かにくやしいけどケンジなら普通に女を誘って話しをするぐらいは朝飯前だった。
「どんなネタ使っても良いって言ったじゃないですか」
「そんなネタ、お前しか使わないだろうな」
「ひどい」
少しは褒めてくれてもいいだろうと義高は思った。自分にとってはこれで精一杯を考えた行動なのだから。
「まあ、これで義高はケンジの弟子になれるわけだから」
「ギリギリの合格ラインだったけどな。よし、二日後から俺の事務所に来い」
「いや今日からでお願いします」
「駄目だ。自分の顔を鏡で見てみろ。青白くて病人なみだ。今日は帰ってゆっくりしろ」
義高は安心したのか疲労が急に出てきた。体力が現実に起こった事実に追いついてこなかった。義高は動こうとした時、足元がおぼつかなかった。
「わかりました」
義高は、運ばれてきた氷の入った水を一気に飲み干すと、金髪探偵とパートナーに別れを告げた。
今日つまり一九九九年七月十四日、アルバイト探偵が誕生した。