最終話:事件解決
「シカゴといえば健太の出張先……」
場が氷ついた。母親からの視線から目をそらした健太、誰も言葉を発しない状況が十秒程度続いた。
「……確かに出張先はシカゴだが、証拠がないじゃないか!」
「あるよ。昇君の調査とあれば快く調査に協力してくれた。Y株式会社のシカゴ支店には各個人に個室が設けられていること。自殺サイトの管理人が教えてくれたメールアドレスに、健太が使用していたパソコンとまったく同じであったこと。もちろん俺が昇君の自殺に加担していたのが健太であることは話していない。会社に報告するのはあんた次第だからな。で、会社の関係者にも他言はしないでくれとお願いもしていた。健太が知らないとすると、俺のお願いはかなえてもらえているようだな」
ヒッキの正体が健太であるというのは、義高と菅野が探偵のアルバイト経験からしても、あまりにも現実離れしていた。昇の部屋でチャットのやりとりを一緒に見ていた時、ショックが隠しきれない様子は切実であり、嘘を付いているようにはどうしても見られなかった。今にして思えば、意図も簡単に昇とのやり取りに辿りついていたことにショックを受けていたとしか考えられない。
ネットの書き込みは、顔を合わせて話すよりも人の心を動かすといった類の話を聞いたことがある。ネットによる中傷、匿名を武器に利用者の本音が赤裸々に文字ベースで書かれることで、現実離れした説得力を与えるツールなのだ。特に相談相手が誰も居ない、コミュニケーション能力が劣っている、精神が不安定で繊細な昇が同調し、アドバイスを送ってくれるヒッキに、ある種神を見たのかもしれない。そんな馬鹿なと言えるのはネットに侵食していない世代や使っていない人間、楽観的であったり、強靭な精神をもった人間に限定できる。反発できない人間は大小あるにせよ、影響されてしまうものだ。
「今ここですべてを吐くことは相当に辛いから言わなくてもいい。ただ、昇君が知らない間に完治していたと思っていた精神が崩壊し、気がつけば、川上に治療を施されていた時期を超える程精神が病んでしまった事実はすべてあなたの差し向けたきっかけにある」
きっかけとは何か? ここに集まった殆どの人間が疑問視しているにも関わらず、ケンジが昇の他殺と中目黒の撲殺事件、大崎を操っている犯人がすべて同じと発言したことを知っている人物は薄々感付いている。健太だけは何か言おうと必至になっていた。
「俺から言わなくてもわかっているだろうが、健太は昇君に麻薬を投与して自殺までに追い込んだんだ」
それを聞いた文子は気が遠くなり、倒れ込みそうな瞬間菅野が体を支え、ソファの上に寝るような体制に施した。健太はこの状況で余裕を取り戻していた。
「そんなこと出来るわけないじゃないか。二年前から出張しているのだよ。仮に一年前昇の精神病が完治していたとしても、二年間日本には戻ってはいない。仕事に夢中で一度も帰国していなかったのは、会社関係者に聞いてみるのもよし、航空業者に履歴を調査してもらうのもよし、結果は無駄骨になるのが落ちになるけどな」
満面の笑みの健太はケンジの回答を待った。
「あなたはヒッキという架空の人物を作り出しておいてなぜ余裕でいられるのかな。信じられないね」
「関係ない。第一、サイトの経営上、管理人がどこの場所からアクセスしたのか解っていたとしても、昇が相手だということは私にはわからないんだよ」
「普通はね。管理者は骨のある人間であったのならば昇君の他殺説を立証できなかった。だが、弱かった。威圧するだげてシカゴから発信された本人から金で調査依頼があり、最終的に昇君の使っているパソコンからアクセスしているという情報を得たと証言した。それだけではない。健太が二年間出張し、アリバイも完璧であり、昇君に麻薬を投与することは不可能と判断した。しかし、それは単独犯ならではの話。まさか高橋孝造さんまでもが共犯である事実は、最初俺も受け止め難かった」
どういうことなのだろうか。昇の父親までもが加担していたのか。義高はここまで捩じれた家族が存在すること自体が信じられないと思った。
「孝造さんまでも……でも昨日から家に戻っていないのですが」
文子は最後の力を振り絞って発した言葉のようだ。ここに孝造を呼んでいないのはケンジの意図的なものなのか。
「信じられませんね。親子が連携して子供を自殺に追いやり、事件性がないと警察に判断させる。恐らく文子さんは連携していたことまでは知らなかったんでしょうね。孝造さんが、警察の手で昇君の遺体を解剖しないよう嘘をこじ付け、文子さんはさして否定もせずに終了した」
文子は否定しなかった。
「自分の子供に麻薬の反応が出たとなれば相当な社会的ダメージを受ける。さらに自分の手で子供が知らないうちに麻薬を投与するように仕向けたのでは目もあてられない状態になるからね」
「ただ、孝造さんが加担していた事実は証拠としてあるの?」
亜紀が質問した。どうやらケンジの調査内容はここにいる誰もが知らなかったことになる。
「文子さんが留守の間に、昨日家宅捜索を依頼し、残りの麻薬が見つかった。孝造さんには、警察署に来てもらっている。彼は、自分は服用していないと証言し、体内から反応はでなかった。その後、問い詰めたところ、昇君が使用していた事実が判明し、麻薬が見つかったことで腹を括ったと見える。最後にはすべてを話してもらったよ。元々は孝造さんが昇君の社会不適合性に落胆し、わが子ながら将来私の恥になるだろうと考えた。麻薬の流通ルートはこれから調査することになるが、恐らく健太の海外生活で得た人脈にあたると考えている。しかし、麻薬で自殺にまで追いやる計画は、健太、あなたが計画した犯行であることは知っている」
健太の体全体が小刻みに痙攣していた。
「それは……」
遺書を見られた時からケンジという探偵を恐れ初めていたのだろう。義高には健太が若くしてかなりの実力者であり、穏やかである性格が、昇の自殺を調査する状況になって協力していたのではなく、ケンジの動向を伺っていたとしか考えられないようになった。
「大崎を使って俺を殺させようとしたのもあなただ。あなたは大崎を拳銃で脅し、まんまとコントロールされている様を見届けてから桜木町の公園を立ち去ったと思われるが、あいにく大崎はヤク中だった。正常な判断ができないぐらいに蝕まれている大崎にあなたとの秘密を隠しとおせるわけがない。日本に帰国したのは昇君の自殺の真相を調べる理由ではなく、身の周りに調査している人間がいないか確かめに来たのだろ? それに、大崎の言う、中目黒の犯罪を依頼された人物の特徴が健太であると俺は思った。写真を見せてみたらビンゴだった」
下を向いてしまった健太にケンジは容赦なく言葉を浴びせる。
「大崎への麻薬投与については孝造さん以外の闇サイトで知り合った人間に依頼した。ただ、大崎が殺人へのあこがれがあったことは、同じく闇サイトで知るようになる。後は大崎が麻薬によって、殺人へのあこがれから理性を取っ払い実行するまで待っていた。昔は日本兵が特攻するためにも使われていたらしいんだけど、よくこんなことしたもんだな。闇サイトで知り合った人間は大崎の行動を逐一、健太に報告し、俺の探偵事務所に犯行予告を出すのと同時に大崎を桜木町の公園で麻薬の取引を仕向けるようにした」
亜紀はあの時は生きた心地はしなかったよと子声で言うと、
「ピンポイントで私達に狙いを仕向けるようにしたのは、入口を立ち入り禁止としていたからなのね。犯行予告があって、入口もあれだったから、私超怖かったよ〜」
いまいち怖さが伝わらない、楽観的な喋り方だった。但しそれで場の空気がなごむわけでもなかった。
「その通り。俺達が到着した時刻は十一時半頃、大崎は先に十一時頃到着し、獲物を待っていた。大崎が待っているころ、健太は公園の入口から俺達以外は入らないようにしていた警察は俺が現行犯逮捕するために付近を巡回しないように依頼はしていたが、俺がそうしなければ、警察がたまたま立ち入り禁止という看板を見つけて、大崎に逃げられていたかもしれない。ちょっと浅はかなんじゃないの? そして、中目黒の男女撲殺事件。これは完全にあなたの犯行だった。手口が巧妙なうえ、犯罪動機を攫むのには苦労したが、俺の推理はこうだ」
ケンジは煙草に火をつけると続けた。
「被害者の山口亮の父親山口進は大手外資系の社長だ。調べによると、あなたの会社のライバル会社に当たる。社長である山口進は息子の亮をあまり良く思っていなかったらしい。亮も親に反発しアパートを借りて一人暮らしを始めるようになった。あなたは山口進を直接狙い、ライバル会社に恐怖を与えることも考えたが、さすがに臆してしまい、息子をターゲットとした。思い通りになったんじゃないか。山口進には精神的ショックを与え、マスコミに取り上げられたことで会社の株価、定評等、極端に下がってしまった。それらを連続殺人と同列にしようとしていたのがあなたの計画だ」
「俺がその二人を一人でやれる分けないじゃないか。第一アルミ缶の加工……」
健太は浮気現場を目撃されたように狼狽した。
「おっと、俺はあなたへは撲殺事件について何も話はしていないはずだがな。大事な場面なのだからもっと冷静になろうよ」
根元まで吸ったたばこを灰皿に押し付けると、
「ビール缶の加工までしっているということは、健太が少なくともこの事件に加担している事実になる。それに顔が広い健太はエビクのビール工場とも取引していて、直接穴の空いた、モルヒネが混入しているビールの入った缶を持って行った。担当者は怪訝に思ったらしいよ。健太は信用されていたけれど、穴のあいてない新品と取り換えようとしても頑なに拒んだら当然だが、大事な取引先であるから理由も聞かずに加工するなんて、大した力をもっているんだな。その時、六本のビール缶を用意していて、加工に成功すると、それを飲み干し、味はかわらない、さすがですみたいなお世辞まで言って芝居をしたそうじゃないか。そして施錠をしていなかった山口亮の部屋に侵入し、元々あったビールと交換した。痛みを麻痺させるモルヒネのおかげで、縄で撲殺する瞬間もほとんど声を上げずに絶命することができた。近所の人が誰も悲鳴のような声を聞いていなかったのは実に巧妙なトリックだったのだろう」
義高は思った。アルバイトで何気なく時間を無駄にしていた時に、ケンジはここまで調査を行い、証拠を掴んでいる事実に唖然とした。同じ人間なのになぜここまでの差が出てしまうのか。
「山口進も、ビール缶加工の担当者もみな健太の写真を見て知り合いであると証言した。あなたは懸念に思われないように、事件で接触した大崎とビール缶加工の担当者には聞かれても誰にも自分のこと知っている話はするなとも言えなかった」
ここに集まった誰もが事件解決は完了したと思っていた。後は警察に身柄を引き渡すだけだ。
「俺の言いたいことは以上だ。何か言いたいことはあるか?」
皆をゆっくり見渡したケンジは、最後に健太と目が合う瞬間に目を閉じた。
「麻薬を知らない間に飲ました方法はどうなの? そんなことされたら私どうなるのだろう」
震えながらユキ子は質問した。
「それは、俺よりも詳しい健太に話をしてもらおうか」
健太は反論できないままうずくまっていた顔を上げた。何か吹っ切れたようにさっぱりした表情だ。
「ケンジさん、煙草を一本くれないかな?」
ケンジは頷くと、煙草をわたし、火を付けてあげた。吐き出す煙がなくなるぐらい肺に吸い込むと、大きなため息で微量の煙を吐き出した。
「ここまでデティールに調査されてしまってはどうしょうもありませんね。まずは大崎になりますが、ケンジさんの言うとおり、シカゴシティーで入手した麻薬を闇サイトの人間に送り付け、大崎の住んでいるアパートに侵入してもらい、錠剤を飲みかけのワインに溶かしこんでもらいました。最初はあまりにも安価で犯行をしてくれるという話だったので、上手くいくのか疑問に思いましたが、過ぎてみれば私の思った以上の仕事を淡々とこなすので驚きさえ感じました。ただ、その人間は私も知らないので、逮捕はできませんよ。むろん、知っていても、そこまで影に徹して動けるような人間はその道のプロであっても不思議ではありませんので、自己保身で言わないと思いますが。昇の時は簡単でしょう。家族にそっと飲ますだけですから、父でも容易にできたはずです」
「人の内部に秘めている衝動を麻薬によって倍増させ、躊躇う理性を崩してしまおうと考えたのはすごいと思う。が、多幸感は続かず、二人の症状を見てみると幻覚は二人にとって良い方向に作用していたみたいだが、倦怠感は想像を絶していたと思う」
「はい、大変だったでしょう。特に昇は長い間摂取していたからなおさらだ」
「そこまで考えられるのならなぜそのようなことをしたの?」
亜紀は泣き声だ。
「エゴだと思います。私は小さいころから昇を両親が持て余していたことも、昇が家族と上手くやっていないことも知っていました。精神病が完治しても父親にはもう愛されていないと感じた時、苦しそうな昇を見ていくのはあまりにも悲しく思い、自殺への計画を立ててしまったんです。ここまでくれば信じてくれとは言いませんが、本心です」
探偵事務所のドアが開くと根本と付添の警官が入ってきた。
高橋健太が根本達に連れて行かれる時に、ケンジは今までの会話をテープに吹き込んだものを手渡した。根本は場の空気から黙礼をすると、小さな声でいつも調査協力ありがとうございますと言って立ち去った。
文子も一緒に着いていくと懇願したが、ケンジは警察から事情聴取する必要があると判断されるまでは自宅待機をしておいてほしいと言うと、大人しく引き下がった。
つまり、義高が高橋家に対して昇の自殺が嘘であることを読心したのは、文子が睡眠薬の容器で嘘を言っていた事実を読んだのではなく、孝造が健太に依頼し、自殺に見せかけた殺人を依頼していた事実に対して嘘を見破ったということだ。
ほっとしたケンジは義高と二人になっている間に言った。
「義高、俺が探偵事務所を立ち上げた時、初めて仕事を依頼された人物は京理久美子という名前だった」
「そ、そうでしたか。ぼくの母親です。もしかして、ぼくが心を読める話を信じてくれたのはそのおかげですか」
「さあな」
読んで頂き、ありがとうございました。
第二段である『城の王』も掲載していますので、よろしかったらご覧ください。