36.事件解決編一話
「すべての事件は同一犯人であることを立証しよう」
そう言ったケンジは眼付きに変化があった。一同の反応を待たずして続けた。
「解決の鍵となるのは、昇君の自殺否定説から始まる。だが、なんの説明もなくこれを口にしたのではここにいる誰一人とて納得しないだろうから、順に説明していくことにする。まず、俺の知り合いである黒田検死官が死体の状態を観察して行う自他殺の選別方法十項目を挙げる」
ケンジは用意されていたホワイトボードを用いて、ものすごい速さで書き始めた。
1:死亡場所―自殺者はなるべく苦痛のないように、しかも確実に、また死後体裁が悪くないようにという気持ちを持つ場合が多いので、人通りの多い所等は選ばない。
2:死亡日―近親者の命日に関係ある場合がある。
3:死化粧等―下着を着替えたりして身なりを整え、生前大事にしていた装身具を身につけて死に化粧をしたりすることもある。
4:着衣の状況―着衣は損傷やほころびがなく、整えて死んでいるのが普通である。したがって、裸の自殺は、とくに女性ではまれである。
5:現場の整頓状態―現場は履物など身の回り品を整頓している場合が普通で、時には生前愛玩していたものを枕元におく場合もある。
6:最後の拝礼等―仏壇に線香、花水などを供え、最後の拝礼をした形跡の認められることがある。また親しい者にそれとなく話すことがある。
7:施錠―施錠できる部屋においての自殺では施錠していることが多い。
8:遺書―あることが多い。その場合、遺書の用紙の残りがあったり、死者の指紋が印章され、筆跡は本人のものである。また日記に書くこともある。
9:凶器―凶器類の使用は一種類が普通で、自家のものを使う。
また、凶器は握っているか、死者の付近にあるのが普通。ただし、まれには受傷後の行動能力によって思わぬ所にあることがある。
10:創傷の位置―頸部、心臓部、腹部、手首が多く、拳銃では頭部のこともある。衣類をまとっている部位では衣類の上から刺したり、切ったりはめったにしない。
「以上だ。これらを面倒だが現実に起こったことと一つ一つ照らし合わせていこう。
1:死亡場所、ここにいる皆が一番よく知っている通り、被害者は自分部屋で死んでいる。自殺をする際、苦痛を避けるため、大量の睡眠薬を使用した痕跡もある」
誰一人異論はない。
「2:死亡日として、被害者は七月十日に死んだ。調べによると近親者の命日には当たらないそうだ。これは後から入った情報だが、高橋さんの息子健太君から、七月十日は昇君が可愛がっていた猫の命日と同じであると聞いた。ここにいる皆の内何人かは近親者の命日だと言いがたいという異論もあるだろうが、彼にとってはかけがえのない存在だったらしい」
誰一人異論はない。但し、初めて知った人物もいる。
「3:死化粧等、彼は男であり、女装趣味やビジュアル系バンドに属していたわけでもないところから、死化粧はしていなくても当然不自然ではない。また、身なりは普段の生活のままだった。残念ながら大事にしていた装身具だったかは確認できていないが、この項目によって他殺説が浮上することは難しい」
誰一人異論はない。
「4:着衣の状況は損傷やほころびがなく裸での自殺でもない。言うまでもない」
誰一人異論はない。
「5:現場の整頓状態、高橋さんの証言から、彼は整頓に関しては徹底していて、部屋はいつも綺麗にしていた。これは死んだ日も例外はない。生前愛玩していたものは彼の部屋にたくさんあった」
誰一人異論はない。但し、初めて知った人物もいる。
「6:最後の拝礼等、彼は仏教や宗教の類に関心は持っていなかったためもあり、最後の拝礼をした形跡はない。だが親しい者、つまりネット上の繋がりで自殺をほのめかすようなこと、友人の武石にもそれとなく話はしていた」
誰一人異論はない。
「7:施錠、何度も言うように、彼は彼以外用意に開けられない密室の中で死んでいる」
誰一人異論はない。
「8:遺書、提示していただいた遺書が何よりの証拠だ。死者の指紋と筆跡ではないがパソコンで印刷したのは彼の死亡推定時刻の三時間から四時間前に印刷され、パソコンから履歴が確認されている」
誰一人異論はない。但し、初めて知った人物もいた。
「9:凶器の使用は確認されていない。睡眠薬によるものとわかっているのでこの項目はあまり関係がない」
誰一人異論ない。
「10:は9:とリンクした項目なので、同じく関係はない」
誰一人異論ない。但し、ケンジの意図としているものは誰一人理解していなかった。
「あの……ケンジさんのいう昇君の自殺否定説とはまったく逆の方向にいっているような気がするんですが」
義高は質問した。皆頷いていた。
「もちろんそうするよう仕向けただけのことだ。今までの話が、警察も自殺という判断をくだした要因になる」
「では、ケンジさんの立証は否定されますよね?」
質問が返ってきたのではなく、上乗せされた。
「そうです。私は昇の親ですよ。昇の自殺現場を再現されるのは私にとって不快です。もう少し、場をわきまえて頂きたいですわ」
ケンジと接するだけで嬉しそうだった文子もさすがに苛立っていた。その姿を見て、油を注いたことに関して後悔していた。
「俺が言いたいのはこれからだ。ここにいる皆は、義高という例外を除いて、現時点では限りなく百パーセントに近い確率で昇君が自殺したと信じていると思う。だが、それでは抽象的主観に過ぎない」
「抽象的主観? どういうことですか?」
思わず健太が加わってきた。
「昇君は自分で自分を死に追いやったのは否定しない。今更大量の睡眠薬を誰かに飲まされたとかいうくだらない証言はしないから安心してくれ。問題なのは彼を自殺に追いやった周りの環境にある」
「周りの環境?」
文子には鬼気迫るものがあった。お嬢様のような口調ががさつなおばさんに変化しつつある。
「環境といっても私達は既に証言していた通り、その当時は主人と仙台にいる親戚の所に行っていて、昇の部屋には誰もいなかったはずですが」
かなりの皮肉を込めている口調だった。
「それならぼくと菅野も直接聞いています」
義高は無意識の内に文子をかばっていた。
「違う。ここにいる関係者のアリバイの事を言っているのではなく、昇君が自殺をするまでのプロセスを言っているんだ」
「すると、昇君がどのようにして自殺まで追い込まれたかという事ですね?」
菅野は興味深々だった。彼の性格から、場の空気も読まずに微笑みだすのではないかと心配になっていた。
「まさにその通り。昇君は元々一人で空想に浸っているような時があった。それとは別途で夜中に起きだし、急に意味もなく歩き出すということをしていたらしい。そうですね高橋文子さん?」
聞かれて下を向いた文子は手を組んでから喋り出した。
「はい、昇はそういうことがたまにあって私も気が付いていましたそれで、精神状態を医師に見てもらったこともあります」
「彼が数回通院していた精神病院の医師が言うには、彼は『夢遊病』であったらしい。知っていましたか?」
「もちろん。昇のことですから……」
「子供の病状について語って頂きありがとうございます。ですがもう少し、耐えてください」
文子は黙って頷いた。
「ちょっと待ってよ。夢遊病? なにかの病気なの?」
亜紀はそう尋ねると、ケンジは皮製パンツのポケットからなにやら紙を取り出した。
「これは昇君を担当していた医師川上から提供してもらった書類だ。夢遊病についての詳細が書いてある。読むぞ?」
ヨレヨレになっているものの、引き延ばすと結構な分厚さだった。普通の診断書のコピーではなかった。
「歯ぎしりや夜驚、夜尿などと同様に、睡眠時異常現象、パラソムニアの一つで、夢中遊行とか夢遊症ともいわれる。夜中に家の中や路上を徘徊し、ときには裸で歩いたり、木に登ったりするが、また自分のベッドに戻る場合もある。両親や異性のベッドに入ることもある。翌朝はなにも覚えていないことが多い。持続は二〇〜三〇分ぐらい。夢のなかの行動のようだがレム睡眠や夢とは関係なく、ノンレム睡眠の第三段階ないし第四段階などの中程度睡眠、あるいは深睡眠で始まる。夢中遊行中はしだいに低振幅速波の第一段階の脳波パターンになる。神経症的な損藤があって、それに対する反応として起きる。夜尿を合併することが多く、素因を認めることがある。子どもや故郷を離れて寮生活をする青年男子に多い。男女比は四対一、出現頻度は一〜六%とされる。治療としては、損藤を解決することが重要であるが、ベンゾジアゼピン系の抗不安剤を日中から投与し、就寝前に同系統の睡眠導入剤を投与することも有効である。ということらしい」
「ちょっとあたしには難しすぎるわ」
ユキ子の言うことは同感だった。義高も半分程度しか理解していなかった。
「理解したいなら、これから川上のところにいって教えてもらって来い」
「今日のケンジは冷たい」
ユキ子は鳴き声になっていた。励ますものはいなかった。
「今は全部理解する必要はない。それより治療法である葛藤の解決に注目してほしい。川上は昇君を治療する際、どうしても薬ではなく精神的なところからアプローチをかけるという目的があったらしい」
「精神的なところからアプローチというと、カウンセリングということですか?」
今度は文子が興味を示していた。
「くわしい事情は聞いてないが、たぶん、薬だと治ったとしても再発する可能性があったのかもしれない。加えて副作用も考えていたんだと思う。まあ、それはいいとして、川上は昇君の持っている葛藤を探った。最初はなかなか心を開かなかったので苦労したらしいが、徐々に心を開き、そしてようやく彼から引き出すことが出来た」
「それで、昇君にはどんな葛藤があったの?」
先を急くかのように亜紀が聞いた。
「家庭、あるいは自分を取り巻く周りの環境からくるストレス。両親の期待に添えるよう良い大学に入学し、将来を期待される会社に入社する自分と、ここにいる昇君の友達だった奴なら知っているだろうが、すべてから逃げてしまいたいほどの自殺願望」
義高は今までの得た情報から納得していた。文子は家庭環境の話になると、決してそんなことはないと弁明したが、高橋健太の証言のほうが真実であると信じていた。
「そして、川上は最終的に昇君が精神的にも一年前完治したという診断書も提示してくれた」
「完治していただって!?」
武本が大声を上げた。




