33.ヤク中の軽薄な自白
「ねえケンジ、もう解決したの?」
亜紀は興味津々だ。
「ケンジの担当している事件だもの。そう甘くないでしょ」
ユキ子はそう言いつつ、ケンジの返答を待った。
「いや、まだだ。どうやらビール缶の下側からモルヒネを投入し、巧妙に溶接していたようだ。これで光次の交友関係から行われた犯行ではないと推理できる」
「なんでだっけ?」
亜紀は理解していない。
「巧妙だからだよ。専門家が調査して初めてわかったことであり、一見すると、穴を明けて何かを投入し、またアルミで補正していることなどわからない程に。それを考えると、缶製造者あるいはそれなりの知識と道具がなければ成り立たない犯行になる。加えて補正した成分が丸っきり一緒だとすれば限られた人間にしかできない」
「でも完全に犯人が光次の交友関連者でないとは言い切れないんじゃないの。あの年で働いている人一杯いるし」
「交友関係はすべて調査済みだ。雑に加工していれば話は別だったが、アルミ管を巧妙に加工できるような人はいない。麻薬に対しては完全に疑いははれていないのだがな」
ケンジはそういうと煙草に火をつけ、根本に電話をいれ、ビール缶の細工方法と大崎へいくつかの質問をするように依頼した。
「でもビールの味に変化はないんでしょうかね? 穴を開けてしまっては、炭酸もぬけてしまうでしょうし」
菅野は調子を取り戻して聞いた。義高も同じことが気になった。
「味は変わるだろうが、そんなに気にならない程度だろう。被害者二人は部屋に着く前からかなりの量アルコールを摂取していたみたいだし、警戒心が薄れていただろう。同じく炭酸もモルヒネを投与するために空けた穴は注射の針程度であったから、加工する前の準備段階で例えばテープのようなものでふさいでおけば問題ないと考えられる」
「なるほど、そういうことですか。にしても、自供した大崎が犯人ではないと言い切れるのはどのような根拠なんですか?」
今日の菅野は義高が知りたかったことすべてを代弁してくれるので頼もしいとさえ思った。
「それは根本からの回答が来た後だ。お前たち二人を呼んだ事から話をしよう」
すっかり忘れていた義高と菅野であった。事件の真相が早く知りたかったが我慢した。
「例の高橋昇の調査は進んでいるのか?」
「い、いえあれから進展していません」
ケンジはため息を付いた。実際のところ、義高の中でも探偵事務所にアルバイトをするようになってから他の事件に出くわすことによって昇の他殺説を実証する執着心が日ごとに薄れていっていた。
「やる気はあるのか? 俺が何度か高橋家に聞き込みを行った結果、何かを隠していることだけはわかったぞ。健太さんも含めてだ」
「健太さんもですか?」
人の良い健太さんまでもが疑わしいということは、さすがの義高も感じていなかったことだ。自殺説を疑っている健太さんだけに、以前あった時、嘘や何かを隠しているといった態度は全くないと判断していた。
「期待はしていなかったからいいか」
投げやりに言うとケンジの顔が曇っていた。恐らく二人でのアルバイト探偵の調査結果と仕事に対する熱意を見て落胆したのだろう。
「言わせてもらいますが、これまでの調べから、昇は自殺の要因が高い、いや自殺と断定しますよ。義高の疑いも根拠のないことから始まっていますし、俺たちは何も動いていなかったわけではなく、もう疑う余地もないと判断した結果になります」
人の心を読む持つ力をいつまでも言えない自分が悲しかった。
「無能なお前たちに、俺の考えていることの一部を説明してやろう。まず、昇の死体は明確な解剖もされずに睡眠薬の多量摂取による自殺であると判断したことは警察の失敗だということだ。他殺はなにも外傷がないからということで否定はできないということだ。毒薬でも飲ませれば殺せてしまうのだからな。ただ、毒薬による症状も遺体からは発見されなかった」
「ならば、なおさら自殺という線が強くなるのではありませんか」
菅野が息んでそういうと、ケンジの携帯電話が鳴った。
十分ほどのやり取りを待った。亜紀とユキ子は気が付くとビジュアル系バンドのDVDを観ている。
「話を戻そう。山口亮と直美の撲殺が大崎ではないという件だが、大崎はヤク中だった」
義高と菅野は驚かなかった。あれだけの殺人を犯す人間がまともな精神であるはずかない。
「初めての殺人を犯す前から突然万能感が芽生え、幻覚が見えるようになり、人を殺すことでどんな快感よりも高い絶頂になるという変態的な話だが、もちろん依存するようになり、買人をネットで検索するようになり、闇サイトから定期的に購入するようになった」
「ありがちな話ですね。危ないものもお金さえあればすぐに手に入る状況になっていますから」
菅野は悟っているようだ。義高は麻薬が犯罪であるということは知っていたものの、そのようなアンダーグラウンドサイトが平然と運営できているという事実は知らない。
「そこまではどうでもいい話だがな」
「それ以上の話があるんですか?」
「ああ、大崎が初めての万能感と幻覚をみた時は、自分から麻薬を摂取していない時だった」
「つまり知らないうちに麻薬をやっていた」
「そうだ。躁病という精神的な病があるが、それを遥かに超越した快楽と、突発的な幻覚は麻薬によって齎されること以外考えられない。安原辰巳が殺害された現場に血で書いた文字を覚えているな義高?」
「は、はい、確かSBでしたね」
「そうだ。大崎が安原辰巳を殺害した際に自分で書いていた。シャブをローマ字にしてイニシャルを書いていた」
「なんの為なのでしょうか?」
「大崎は現場の写真を見せて漸く思い出した。殺人を犯すには細心の注意を払っていたにも関わらず、自分から警察に挑戦的な証拠を残すようになり、捕まれば、そのことを忘れていた始末。あきらかに麻薬で精神破壊と記憶力の低下が始まっていた。だが薬中となった大崎は際限なく麻薬をやるようになった」
「ではすべての犯罪を、麻薬ほしさに誰かから依頼されていたということはないですか?」
「ないな。ヤク中の状態でも殺しが快楽になることは一貫して肯定していた。俺達に犯行予告を送ったことに関しても断固として否定していた以上に切実であったこともあり、私利私欲で動いていたと断定できる」
「犯行予告に関しては、大崎の行動を完全に把握している人がいるということはどう考えていますか?」
「ヤク中であれば、自分にしかわからないように行動していたとしても、実は他人に筒抜けとなるケースもありうるがな。本人はその日の衝動で桜木町の公園に行くと決めたことも断言しているから、これはまだなんとも言えない」
「では、大崎が撲殺を行っていない証拠はどこにあるのでしょうか?」
「今話した通りだ。巧妙な手口を、特に幻覚性の強いヘロインをやりながらビール缶の加工なぞ出来るわけがない。証拠に根本からの情報だと、大崎はビール缶の加工方法どころか、ビール缶の成分すら知らなかったこと、手に入れた麻薬はすべて自分に使っていたことから、ビール缶にモルヒネを投入するような犯行はできるはずがないということが立証できる。最後に大崎へ麻薬をやるから、本当のことを言え、中目黒の撲殺をやったのは本当にお前なのかと問い詰めたところ、撲殺をあっさり否定した。顔は覚えていないものの、誰かに脅迫されたことまで吐いた」
義高は相当ほしかったんですねと言った。
「制御が効かないぐらい依存していたんだろうな」
「誰かはわかっていないのですか?」
「ああ、大崎も観たことがないらしい。だが、俺らが知っている人物の特徴に似ている。人脈もあり、経済力もある。さっきの話から麻薬ルートに関与できる環境にもある人物」
「それは誰なのですか?」
「それはこれから調査する」
誰かに依頼されたこと、嘘まで付いて自分の犯行であるとを認め、最終的には麻薬ほしさに真実を語る。冷静になれば警察署で麻薬を与えられることなど皆無なのはわかるはずなのに、大崎という人間は常識さえ判断できないぐらいに病んでしまっている。義高はかわいそうとさえ思った。最初のきっかけも結末もすべて誰かに操られていた悲劇の物語だ。警察も考えを改め犯人逮捕に全力で取りかかっているらしい。
「わかりました。納得しました」
「昇の事件に関してはまた今度にしよう。ただ、中目黒の撲殺、俺に対する挑戦状、大崎が麻薬を始めたきっかけ、そして昇の他殺説はすべて一本の線で繋がっている俺の推理は明確になってきている」
「昇の他殺まで一緒ですか」
義高は驚きを隠せなかったが、ケンジはあくびをすると、いつの間にか亜紀とユキ子が眠りについている寝室に入って行った。