30.犯人を操る
20
まだまだ満たされないのだ。私の欲望には際限がない。ただ、殺すだけではもの足りなくなってきた。幻覚も日に日に激しさを増していた。相手を限定して殺せば気持ちよさが倍増するのではないか? 考えるよりも行動しよう。もう私に取っては殺しが日課となっているのだから。一人目はOLで女性。二人目は爽やかな筋肉男。次は、カップルなんかどうだろうか。普通のカップルであればありふれていてつまらない。どうせなら誰もが羨むような二人がいい。考えただけでも興奮してくる。恋人を失った相手の喪失感と、次の瞬間もう一人も死んでしまうのだ。
だが、ターゲットが二人同時だとすると相当慎重な行動が強いられる。場所は人気のない公園にしよう。どんなに都会であっても深夜の公園は人気も少ないし、元々危険な人物が平然と歩いている。
二刀流で二人を同時に刺すのがいい。ああ、私は天才だ。桜木町駅で降りた。目的は未だあった。午前一時に例のものを公園で取引する約束をしている。時間は午後十一時ではあるが、人数は少なくない。歩いて左程しないころ、山の上に公園を見つけた。外部からの視線は殆どなく、絶好の殺人スポットである。誰もが羨むような二人とあれば、顔を吟味する必要がある。しばらく待つとしよう。
「君が噂の」
私の背後で声がした。迂闊だった。人気がないのに背後の気配に気がつかなかった。普通の男だった。というよりも感じがよい営業マンだった。
「驚くことはないよ。俺もその道のプロだからね」
「だ、だれだ?」
私は臆していることを悟られない為に平然と質問した。
「それは言えないな」
男はほほ笑んだ。殺意もなければ、私を捕まえるといった態度がない。何者なのか。
「強いて言えば、君に殺されたOLの婚約者だな」
男の言っている言葉は本当なのか。
「ただ、連続殺人犯の君をどうするってことはしないよ。忠告だけはしておくけど」
こいつは私のことも知っているし、すべてを知っている。それでいて友達と接する以上にリラックスしているのだ。
「私は連続殺人犯じゃない」
「わかったよ。忠告というのは、君犯罪が下手すぎるね。近いうちに捕まるよ」
「なんだと」
いっそのことこの男からナイフで刺し殺してしまおうかと思った。
「やめておきなよ。俺はプロだよ。君の昨日今日で覚えたナイフの使い方では、帰り討ちになるからさ。それに俺は君のこと嫌いじゃないんだ」
穿いていた迷彩のズボンから拳銃をちらつかせながら言った。私は動けなくなった。
「私のなにを知っているんだ?」
「知っているさ。全てね。これから殺人をしようとしていることもね。それより、捕まっ
たら俺の罪も被ってほしいんだけどいいかな」
否定すれば殺されるかもしれない。
「どんな罪だというんだ?」
「君も話がわかるね。実はこの間二人の男女を撲殺したんだ。裸のままだったけど、二人の会話を少し聞いたらカップルじゃなかっただろうな。んで、それは中目黒で起こった事なんだけど、もうひとつあってさ」
男が話はじめようとした瞬間、離れた所で携帯電話の着信音が聞こえて来た。
耳元で男は、
「邪魔して悪かったね。今の話考えておいてね。後、君がもし捕まったとしても、俺の言ったことを実行し、それ以外は何も喋らなければ、どこへでもこれを届けてあげるからさ」
そう言うと、銃の入っていないポケットから白い粉が見えた。
と思うと、足早に立ち去って行った。何者なのだろうか? いつの間にか私の体は氷が解けたようになり、着信音の主はカップルだった。五十メートル離れたベンチに二人は腰を下ろした。私から見ると背後に位置していた。すべての出来事を忘れていた。目の前にターゲットがいるのだ。今さらどんなカップルだってかまわない。さっきの男が影から見ているかもしれない。かまわない、私のすごさをま近で見せてやろう。
距離は三十メートル、二十メートル、カップルは話に夢中になっている。十メートル、もう私の足音に気付いているはずだ。五メートル、どうしてこうもみんな無防備なのだ。私は左右の手にナイフを握りしめ、二人の背中目がけて突き刺した。
刺さる感触がなかった。刃先が頑丈な石に当たって反発した。
なぜだ……? 幻覚なのか…… 感触を誤認した経験はないのに。
金髪の男は黒のジャケットを着ていたが、衣類が破けている様子もなく、黒髪の女のジージャンは少し穴が空いただけだった。
次の瞬間、金髪の男がベンチの上に立ったかと思うと、後ろ姿でバック転し、気がついたら、私は取り抑えられていた。両手のナイフは金髪の男がお手玉のようにして空中で弄んでいる。かなりの美男子である。
「本当に来るとはね」
黒いジャケットを脱ぐと、金髪の男は振りかぶり、私に叩きつけた。鈍器のようなもので殴られた感触だ。鉄が混入している。私のナイフが役に立たなかったわけだ。
「マジで怖かったよケンジ」
和風美人の女がそう言っているような気がしたが、私は気を失っていた。