3.両親の離婚
人の心を読んでしまうという潜在能力に目覚めたのは、五歳だった。生まれつき記憶力は悪いと自覚していたので、五歳の時の記憶が残っているのはある重大な出来事があったからだ。
その頃、両親との間には、離婚話が立ち上がっていた。義高には話しの内容についてはまったく理解していなかったが、離婚という道を選ぶだけの決意を両親がしていることは、雰囲気で感じ取っていた。両親が不仲であることぐらいは幼年期の子供でもわかることだった。
義高の父であった良三は、母の久美子に対して何度もこう言っていた。
「仕事が忙しいんだ。会社に泊まりこみでやらなければいけない仕事だってある。なんでわからないんだ」
そして久美子は決まって、
「なら、なぜ電話ぐらい寄こさないの。いくら忙しいと言っても、電話する時間ぐらいはあるでしょ」
繰り返しだった。会えば挨拶のようにその言葉を交わしていた。
ある日の深夜、いつも通りに両親が口喧嘩をしていた時、起きてしまった義高は布団から起き上がり、二人の入る部屋のドアを空け、話に割り込んだ。口喧嘩をしていた様を目前にしても臆する感情はまだ持ち合わせていなかった。
「どうした、義高?」
良三と久美子は眼下に隈があり、驚いた表情で義高に尋ねた。義高の登場でその場の空気は一瞬納まった。両親は気まずそうに自分の方を見て、頬が強張りながらも必死に笑顔を作っていた。だが、嵐の前の静けさでもあった。
「ごめんね、大きな声をだして。もううるさくしないから安心して寝なさい」
久美子はそういうと、義高を自分の部屋に導こうとした。
久美子の手が義高の腕を掴んだとき、急激に言っておかなくてはいけない言葉が脳裏を駆け巡った。 否、もう既に言いたいことがあって、二人の口喧嘩で起きたのではなく、その瞬間に言っておかなくてはいけないことのせいで起きたのかもしれない。義高にもその辺の記憶は曖昧だった。
ただ、五歳という年齢のせいにできるとすれば、義高には言いたいことを制御するものがなかった。
唐突に、
「父さんは嘘をついているよ。別のお母さんがいることを隠しているんだ。」
と告げた。眠気まなこで義高はその場を離れて自分の部屋へと向かった。
両親は義高の言葉を聞いて漠然としていた。その後、両親が離婚した経緯を知ったのは小学校六年生の時だった。
久美子はあまりにも逸脱した義高の発言に耳を疑っていたが、すぐに良三への疑いに変わり、内緒で浮気調査の探偵に依頼をした。探偵に掛かれば、その辺の捜査はすぐに解決するらしく(携帯電話の着信で直ぐに相手の足取りは掴めた)良三の浮気は発覚した。相手は会社の同僚であった。今にして思えば月並みなことではあるが、不器用で面倒くさがり屋、それに加え誠実さが取り柄であった良三がそのような行為をしていたことが信じられなかったらしい。久美子は、夫の携帯電話を抜き打ちで探るような程愛情もなかったし、夫婦のベクトルが違った方向で交差しなくなってしまうのは誰にも止められない。久美子は良三を浮気相手から引き離そうともせず、二人は後腐れなく離婚した。良三は探偵にマークされている事も知らず、浮気相手と接触し、ホテルから二人で出てくる所を写真でおさえられ、証拠写真を探偵から提示されると、あきらめたように謝罪し、潔く家を去っていった。義高は五歳から母子家庭の一人っ子として育てられた。
その一件以来、本来愛情を注がれるべき時期に、母親は義高の事を少しずつ警戒するようになった。距離を置き、義高が成長し、言っていい事と悪いことを区別できるようになっても、母親は義高に対し、腫れ物を扱う姿勢を崩さなかった。
ある意味、義高にはそのスタンスの方が楽だったのだ。両親の愛無しに育ったという捻くれた自覚はあったものの、それが生きていく上で支障にはならなかった。
模範のような昇の通夜は終わった。線香の臭いが体中に付着していた。義高には、仏壇に飾られていた昇の笑顔が写った写真を思い浮かべて、彼と過ごした思い出に浸るよりも、どうしても高橋家に両親に寄せる疑念が残った。彼らは嘘を付いている。
義高と昇はたまに遊ぶ友達という関係だった。彼とは大学にはいってから知り合い、性格はどことなく内に篭もっていたが、彼が言うには、中学、高校に比べればましだったらしい。すべてをさらけ出さないところが義高と酷似していて、気が合っていた。しかし、数年かの付き合いで、義高は一度も彼の心を読んだことはなかった。
パソコンの知識は豊富で、自分の部屋には二台のパソコンが置いてあった。唯一彼の内面を垣間見たのは、サイトで自殺について調べていたことだった。インターネットがあれば、どんなアウトサイドに属している事柄も調べられてしまう。
「昨日のニュースで、集団自殺が報道されていただろう。あれは、このサイトで知り合った男女らしいよ」
義高に話している口調が楽しげだった。
「でもサイトが閉鎖するのは、時間の問題だな。見られるのは最後になるかも……」
昇はサイトの掲示板を検索していたが、さすがに事件後、書き込みはされていなかった。義高は昇の精神状態は大丈夫か心配になった。彼は自殺サイトの閉鎖を心配していた。
今だに昇が死んでしまったことに悲しみはなく、涙も流れない。ある意味義高が心を読んだ高橋家の両親が抱いている心と五十歩百歩だと気が付いた。
軽薄な情が嫌になったが、後悔しないように義高は昇の死因について調べようと決心したのがすべての始まりだった。