29.人生最後のメッセ
ノボル(以下:ノ)「ヒッキさんは会社なんで辞めたんですか?」
ヒッキ(以下:ヒ)「人間関係とかが苦手だったから。自分の性格から、入社して二年も続いたのは軌跡としかいいようがないね」
ノ「そんなにきつかったんですか?」
ヒ「そうだね。何度も止めようと思った。ノボルはまだ学生だからわからないかもしれないけど、社会人というものは想像以上につらいものだよ。小さい頃に描いていた夢なんてものは一切存在しない場所。人と人がいがみ合って成り立っているんだよ社会というものは」
ノ「そうなんですか……」
ヒ「嘘じゃない。俺は真剣に自殺を考えたのは最近だよ。会社を辞めてから結構たっているし、その間、貯めていたお金も底を付いてきた。そうなると、また働かないといけないだろ。それを考えると、地獄だった」
ノ「ぼくは今でも自殺のことは考えていますけど」
ヒ「ふーん。俺はね、正直社会人になる前までは自殺なんてまったく考えたことがなかった。自分のことを強い人間だとはもちろん思わないけど、学生という身分はたぶんこの世の中で一番らくな職業なんだと思う」
ノ「一番楽な職業」
ヒ「そう。裏を返せば、学生でいることが辛いのであれば、このまま社会人になったところで、何も出来ないと思う。要は、君の将来は苦労しか待っていない」
ノ「経験者に言われると、説得力がありますね」
ヒ「いや、本当のことを言っているだけだ。君に残されている道は二つしかないということも言いたい」
ノ「どういうことですか?」
ヒ「要は、君の将来を考えてみると、二つの道しかないということだよ。一つは今からでも勉強をし、また社交的になるよう努力をする。言っていることは簡単なようで難しい。第一容易に実行出来るんであれば、誰だって成功者になれるんだからね」
ノ「もう一つは?」
ヒ「もう気が付いているかもしれないけど、それは自殺してしまうことだよ。君も自殺サイト歴は長いようだから、願望ぐらいはあっただろう?」
ノ「今でも少しあるけど……」
ヒ「なら簡単なことだよ。これからの将来、地獄しかまっていない。特に、自殺志願者サイトに集まるような人間にとっては。これはごまかしようがない本場の地獄だよ。社会にでたところで楽しいことなんて何もないんだ。使えない人間はごみ扱いされる。それならいっそ死んでしまえばいいんだ。地獄を見るまえに」
ノ「ヒッキさんには自殺願望は今でもありますか?」
ヒ「あるよ。今日、明日にでも自殺してしまいたいよ」
ノ「ぼくもです。今の話を聞いてなおさらその思いは強くなりました……」
ヒ「なら、提案があるんだ。聞いてくれるかい」
ノ「はい」
ヒ「俺は明日自殺するよ。なんらかの形で君にも伝わるように手配する。そしたら、君は俺の後を追って自殺をすればいい。それなら少しは楽だろう?自分だけじゃないと思えば」
ノ「楽ですが……」
ヒ「やっぱり、自殺に対して抵抗もあるようだね。なに、簡単なことだよ。睡眠薬を大量に飲んでしまえばいいんだ。苦痛はない。それと、死ぬまで家族や友達に発見されない状況も作っておく。これでおしまい」
ノ「なるほど」
ヒ「よし、決まりだね。たぶん俺のニュースはテレビで放送される保証はないけど、少なくともこのサイトには掲載されるから。友人に頼んで乗せてもらうことにする」
ノ「本当に自殺してしまうんですね?」
ヒ「もちろん。まあ、俺は先にこの世からおさらばするから、君がもし後を追わずに生き続けても俺には確認できないけど、自殺以上に苦しい現実が待っていることだけはわかる。あの世で君の事を哀れむだろう」
ノ「そのつもりはありませんよ。ぼくの家には睡眠薬が常備されていますから、いつでも手に入ります。家族も親戚のところに行くみたいで、明日から何日か家を留守にしますから」
ヒ「それはいい。万全の体勢だということだね。じゃあ、今度はあの世で会おう」
昇がこんなやり取りをしているとは思わなかった。読んでいるだけで気が滅入る。
「ここまでが七月八日分です。次にいきますか?」
「もういい。充分だ」
その後、サイト内を調べた結果、匿名の人物が自殺をしたことは、七月七日のトップニュースという欄に書かれていた。新聞には又もや自殺サイト常連者が自殺とあったらしい。以前義高と一緒に見たサイトがリニューアルしているだけで、内容は殆ど一緒である。昇はこれを見ていると思うが、実際ヒッキという人が死んだかどうかは定かではない。
「よし、武本。お前の役割は終わった。帰っていいぞ」
「えっ、ちょっと待ってください。約束は?」
「ああ、忘れてた。後で送ってやるから心配するな」
「絶対ですよ」
武本はお先にというと、高橋宅から出て行った。
「ケンジさん。武本が言っていた約束ってなんですか?」
「今大人気らしいゲームソフトだよ。それを餌にして釣ったというわけだ」
「ありがちですね」
誤解はやっと解けた。いくらケンジが探偵だったとしても、あの武本が無益で捜査に協力するわけがない。
「下に戻ろう」
健太がそういうと、三人は一階のリビングルームに戻った。義高はそのままにしておいた紅茶で喉を潤した。ケンジは煙草に火をつけた。
「昨晩のことなんだけど」
健太は椅子に座るなり、思いつめた表情で話し始めた。
「父親と私は久しぶりに会ったこともあり、けっこう酒を飲んでいた。初めは普段の生活、仕事の話だったけど、酔いが回るに連れて、昇の話になったんだ」
「健太は関心があったと言っていたな。でもどこが気になっていたんだ?」
「そう。私はずっと気になっていた。それは昇がなぜ自殺をしなければならなかったのか」
「自殺をするのは自分自身、だが、自殺に追い込むのは周りの環境ということか」
「まさにその通り。正直、両親は昇のことをあまりよくは思っていなかった。父はエリート思考というのかな、そういうのがあったから、昇がろくに勉強もしなくなり、家に閉じこもるようになってしまった時は、人が変わったように激怒した。母も同じで、息子がいい大学を卒業していい会社に入るというのが当たりだと思っていたので、父の変貌ぶりにも、むしろ同調していた。こうなると誰にも止められなかった。その頃、姉は結婚して早々にこの家を出て行っていたし、私も仕事の関係で殆ど家には戻らなかったから、具体的に昇がどのように思いつめていたかまで知らない」
「昇がそのようなことに……」
義高は一度たりとも彼から家庭の不満を聞いた覚えはなかった。以前に高橋宅を訪れた時、お嬢様のような口調で出迎えた文子は、すべて仮面を被っていたことになる。人間の二面性なぞ、誰にも存在しうることは知っているにもかかわらず、義高はショックを受けていた。
窓からは、太陽の光が差し込んできた。義高はそれが鬱陶しいと感じた。
「昇が大学に入学してからはだいぶ両親の怒りは収まった。諦めたのかもしれない。どんなに言っても聞かないと母が愚痴っていたし、そう変われるものではないから。しかし、両親が昇を見る姿勢は冷たかったと想像は出来る」
健太はそこまで言うと、紅茶を口に含んだ。感情的になっている様子は見ていて可哀想に思えた。息を吐いて深呼吸をした。
「健太、大丈夫か?」
「気にしないで、話を戻そう。昨晩はそういう話をしていて、私は昇が自殺したのは家庭環境にあったのではないかと言った。両親の顔は引きつっていた。母は『なにを言い出すの』とそれ程反論はしなかったものの、父はそうもいかなかった。『自殺なんてするものは弱い人間なんだ』と激怒した。さすがに私は謝ったよ。引かない性格なんだ。そのまま謝らなければ、家庭崩壊になりかねなかったからね」
家族、特に義高は父親に育てられた経験がなかったから、実感はなかった。それでも、子供を能力だけで判断する両親を持ちたいとは思わない。
「質問があるんだ」
「なんだろう?」
「さっき調べたサイトで、昇君がチャットをしていただろう。あそこで、睡眠薬が常備されていたと言っていたが、本当なのか?」
「本当だよ。昇も医師から錠剤をもらっていたようだけど、昔から両親も常用していたから、置いてある場所さえ把握していれば、いつでも服用することが可能なんだ」
「なるほど。後、七月十日は何か昇君にとって大事な日だったとか覚えているか?」
「大事な日」
健太は上を向いて考え込んだ。義高はチャットの相手であるヒッキとの約束を果たしたのがたまたまその日だと思っていたので、ケンジの質問が理解できないでいた。
「そうだ、その日は昔飼っていた猫が死んだ日でもあったんだ」
健太の話しによると、学生時代昇は捨て猫を拾ってきて、長い間飼っていたらしい。ペットとしてではなく、自分の仲間のように可愛がり、死んでしまったときはひどく悲しんでいたとのこと。
「ありがとう。もう聞くことはない。嫌な気分にさせてしまって悪かったな」
「別に大丈夫だよ」
「そろそろ、行くとするか」
ケンジは義高に向けてそう言うと、席を立った。義高にはまだ聞いておかなければいけないことがあるようで、それが何かが思いつかないまま、高橋宅を後にした。
外はだいぶ熱くなっていた。日光に照らされたケンジの肌は透き通る質感があった。
「ケンジさん、今までの話が真実だとしたら、もう自殺を否定することは出来ませんね」
「得た情報がどこかで食い違っていたら話は別だったがすべて真実だろう」
「じゃあ、ケンジさんの言っていた自殺否定説の推理のはずれたということですか?」
「外れてはいない。むしろ、健太に会い、高橋宅を捜査したことによってより本格化した」
「えっ、それはどういうことですか?」
ケンジは義高を無視して、通りかかったタクシーを止めた。
「じゃ、俺は違う仕事があるから、またな」
「ちょっと待ってください。ぼくの質問に答えてく……」
ケンジはもうタクシー内に入っていた。運転手があの方はいいんですかと聞いていたが、ケンジは早く行ってくれと言い返した。直ぐにタクシーは見えなくなった。
義高はその場所で呆然と立ちすくんでいた。