28.兄弟との接触
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翌日、義高はケンジの指定通り、高橋家から歩いて三分のところにある公園にいた。待ちあわせの時間を過ぎたあたりでケンジは現れた。長い金髪にスーツといった服装、長身でハーフ顔は、やはりこういう場所では不釣合いだった。
高橋家のインターホンを鳴らすと、昇の兄らしき男、高橋健太が現れた。二十代後半ぐらいの好青年。顔の輪郭はどことなく昇に似ていた。
「どうも、先日連絡入れました探偵社のものです。はじめまして」
「ケンジさんでしたか。はじめまして、健太です」
知らない金髪の男と、大学生が尋ねてきて最初は驚いた態度を見せていた健太は、ようやく納得した。健太に案内され、高橋宅へ入った。彼の雰囲気から、表情が豊かで社交性があるように思えた。案内されたのは、前に訪れた時と同じリビングルームだった。
「家には誰もいないので、たいしたものは出せませんが」
健太はそういうと、アールグレーの紅茶を出した。
「数年前にイギリス出張の時、お土産で買ってきた紅茶で、それから母が気に入ったので、今でも取り寄せているんです」
「そうですか」
いただきますの言葉もなくケンジはティーカップに口をつけた。義高はケンジにならった。砂糖を入れないでも甘みがあり、苦さより香りが強い。
「確かにいい味だな。取り寄せる気持ちもわかる気がする」
健太は狼狽した。初対面に等しい状態で、なれ慣れし過ぎる。
「ケンジさん、それはちょっと……」
義高はフォローが出来ないでいた。
「何だ? 俺は敬語が苦手なんだ。人間同士の距離が縮小しない。会話を円滑に進める為だ。健太さんも理解してほしい」
「でも……」
「いいんですよ、京理さん。アメリカや、海外の数多くは、敬語が殆ど存在しない。これからは私もそうさせてもらうんで」
ケンジの性格上そうなるのも不思議ではないが、相手によっては不快にならないのだろうか。さすがに自分は無理だなと思い、無難に敬語を使用する方針にした。
「早速例の話をしよう」
「そうだね。でも、今日はもう一人来る予定だと言ってなかった?」
もう一人? 健太が言っている意味が理解できなかった。義高はケンジから何も聞いていなかった。
「ああ、もうじき来るんじゃないか。今この場にいなくても関係ないし、ここの場所は知っているから心配ない」
誰だ? 根本さんが来るのか。さすがに昇の調査で警察まで呼んでしまってはよくないのではないか。
「ならいいとして、ケンジさんが話したいことは、弟のことだよね?」
「いまさら、前のことを蒸し返すのは気分がいいとは言えないが、それは我慢してほしい」
「別に大丈夫。実は私も関心があるから」
昇の自殺に関心があるのは兄弟の絆なのだろうか。確かに出張中で通夜に出られなかったことは聞いていた。
ケンジは、この家で自殺した昇の部屋状況を説明した。根本から聞いた話と差異はなかった。健太は両親からくわしく聞いていなかったのか、驚いた表情を見せた。
「完全に自殺する状況が出来ていたわけだ」
健太がまとめた言葉は至極当然のものだった。話はそれで終わってしまうと義高は思っていた。
「ただ、気になる点があるんだ」
「というと?」
「説明した通り、昇君が自分で死を選んだことは間違いない。他殺の可能性はない」
突然インターホンが鳴る音がした。
「ちょうどいいタイミングだったようだな説明する手間が省ける」
健太は急いで玄関へと向かった。どうやら、ケンジの呼んだもう一人だろう。健太はどうぞと言ってゲストを招き入れた。そこに現れたのは……
武本博之だった。つい最近接触したばかり。なぜ彼が来ているのか。武本自身も義高達の姿を見て嫌な顔をした。
「俺が探偵のケンジだ、そう変な顔をするな」
不健康に痩せた長身の体は強張っていた。
「また会ったね。武本君」
「そうだね」
「でも、なぜ武本君が呼ばれたんですか?」
「もちろん、捜査に重要な人物だからだ」
重要な人物? 確かに昇と仲が良かったのはわかる。それに、どんな経緯で彼が捜査に協力することを決めたのか?前に会った時、あれだけはやく帰ってくれという態度を取っていたのに。義高には不思議で仕方なかった。
健太を先頭に、二階へと移動した。高橋宅の二階には五個の部屋が存在する。トイレ、バスルームを含めると七部屋。健太が言うには、階段が中央にあり、上がり切った所で書斎部屋に突き当たる。ここは父親の部屋でもある。そこを基準として左右に廊下が伸び、書斎の右隣が健太の部屋、向かい合っている部屋が両親の寝室で二部屋。書斎の左隣が昇の部屋、向かい合っている部屋が文子の部屋で二部屋。あと、左右に伸びた廊下左端の突き当たった場所がトイレ、右端の突き当たった場所がバスルームとなっている。一階はキッチンを覗けば客人用に構築さて、二階は完全に家族専用となっている。どの部屋も十畳はあり、自分の住んでいる六畳ワンルームと比べると気持ちが滅入った。
四人は昇の部屋に入った。片付いていた。部屋は入って右側にベット、左側は机と服を入れる棚、に本棚がある。そして正面にベランダに続く出窓。ケンジはドアノブに視線を向けた。警察が発見当初、開けるために付けた傷はなかった。
「ドアは頑丈に出来ている。中から施錠された状態で、外から体当たりで開けるのは不可能。警察は強引にドアノブを破壊して中に入ったらしい」
ケンジはそう言った。中から施錠できる構造を確認すると、今度はベランダに続いている出窓を見た。こちらはガラスを割らない限り、施錠された部屋に入る手段はない。そしてベランダへ出た。広くて、数々の植物と、二つのテーブルにそれぞれパラソルと椅子が並べられている空間は、オープンカフェと同じだった。ここは隣の部屋にも繋がっていて、つまり、書斎、健太の部屋のベランダにも繋がっている。真下はリビングルームだった。
「母は昇が自殺していた日、私の部屋からベランダに出て、昇の部屋の出窓を確認したそうです」
健太はベランダを調べ終わって戻ってきたケンジに言った。
「なぜ、隣の書斎からベランダに出なかったんだ?」
「たいした理由はないよ。父は昔から自分の部屋でもある書斎に入ってほしくなかったみたいです。そのせいもあったのかな」
「はいってほしくない理由でもあったのか?」
「父は几帳面な性格で、書類だとかの置いてある場所は常に決まっている。だから他の人が入室して、ものを動かしてほしくないみたいで」
「なるほどね」
「なんなら、書斎もしらべる?」
「別にいい。それより、昇君の使用していたパソコンは起動できる?」
プリンタ、パソコン雑誌やソフトが並べられている机の中央に置いてあるパソコンの電源をコンセントに差し込んだ。デスクトップとモニタが起動した。
「あっ、そういえば、パスワードをしらない」
健太がしまったという態度を取っていると、
「やっと武本の出番だな」
そういうことかと義高は思った。彼の役目はこんなところにあった。武本はブラインドタッチであっという間に十一桁のパスワードを打ち込む。
「俺が指示したことをやってくれればいい」
武本は無言で頷いた。さっきまでは浮かない表情をしていた彼だったが、パソコンに触れている彼は水を得た魚状態だった。
「まず、メール画面を開いてくれ」
ここでもパスワードが必要だった。武本はパスワードを打ち込むと、ゆっくり操作し一件一件見せていった。送受信トレイの残ったメールはたいした量じゃなかった。
「昇はパソコンを圧迫しないため、必要ないメールは消していました。俺も同じだけど」
武本がボソッと言った。
「どれもあたりさわりのない、メル友のやり取りだな。次は昇君が作成したデータボックスを見せてくれ」
検索でそれらしきファイル名を入力した。
「このファイルを開いてくれ」
ケンジの指示したファイルは更新日が昇の命日から二日前だった。武本の操作で開かれたファイルは、ワード文書で書かれたもので、内容はケンジに見せてもらった昇の遺書と同じだった。ケンジはポケットからなにやら紙を取り出した。それは昇の遺書だった。
「このフォーマットは縦三〇×二〇文字でいいな?」
「はい、そうです」
「同じだな、誰かが彼以外の誰かが作成したわけではない」
「遺書? 中身を私にもみせてくれないか?」
ケンジは紙を健太に手渡した。健太は遺書の存在は知っていたものの、内容までは把握していなかった。読んでいる最中、健太は表情が曇った。兄弟の死による悲しみが蘇っていた。ケンジと武本の二人はそんな様子をまるで気にしていなかった。
「じゃあ、例のサイトを開いてくれ」
「自殺志願者が集うサイトですね」
武本は履歴からサイトを検索した。
「これって警察が調べたことなんじゃないんですか?」
義高はここまでの捜査が意味ないのではないかと思ってしょうがなかった。冷静になると、どれをとっても、警察が捜査したことを辿っているとしか思えない。
「いや、警察が調べたのは、昇君の遺書が書かれたファイルだけだ。パスワードを知らないとここまで調べられないだろ」
「でも、そうなるとパスワードを知らないとなると、このパソコンは弄れないしファイルまで見れないのでは?」
「今武本が操作しているところを見ていてわかっていたと思ったが、何も知らないようだな。パスワードはあくまでネットワーク使用のものだ。パスワード入力画面でキャンセルを押せば一応は弄れる設定になっている」
「それで」
武本はこれかというと、画面には自殺志願者が集うサイトが表示された。ログインの会員IDまで知っていた。通常、セキュリティーに関わるパスワードは、打ち込んでも画面上には隠し文字として表示されて、所有する本人以外はわからないのだけれど、彼はすべて昇の近くで見た指の動きから覚えているらしい。
サイトに掲載された内容は、目を疑うものばかりだった。自殺方法、自殺志願者の日記、過去の自殺した人の状況等。
「彼がやっていたチャットの内容はわかるか?」
「とりあえずやってみますが、さすがに残っている保障はありませんよ。チャットルームはいろんな人が存在しますし、常に内容は更新されますから」
「能書きはいいから早く調べろ」
武本はふて腐れつつ、いろんな操作を試みていた。気が付くとケンジはメモを取っていた。健太は昇の遺書を読んでから、めっきり口数が少なくなった。確かに、気持ちはわかった。
「あった」
静かな空間を切り裂いたのは武本の声だった。
「よし、なるべく七月九日から前の、新しい順に表示してくれ」
昇はこのサイトでノボルというシンプルなハンドルネームを使用していた。一番新しかったのは七月八日。ヒッキという相手とのやり取りだった。